第14話 記憶ノートの秘密




ミーアが去った翌朝、カフェには重い空気が漂っていた。


「王子、あの子は一体……」


コトハが恐る恐る尋ねた。王子は窓の外を見つめたまま、しばらく黙っていた。


「幼馴染だよ。王宮で一緒に育った」


その声には、深い悲しみが滲んでいた。


「でも、どうして感情を……」


「それは、僕にもわからない」


王子が振り返った。透明な体が朝の光を通して、より一層儚く見える。


そんな時、シェルが真剣な表情で近づいてきた。


「コトハ、王子。ちょっと見せたいものがあるんだ」




シェルが導いた先は、カフェの奥にある小さな書斎だった。


「ここは普段は入れないけど、今は特別だ」


本棚には古い書物がぎっしりと並んでいる。その中から、シェルは一冊の本を取り出した。


「『感情魔法の原理と応用』……これを見て」


ページをめくると、そこには見覚えのある模様が描かれていた。


「これって、交換ノートの表紙の模様!」


コトハが驚いて声を上げた。王子と交換している記憶ノート。その表紙に刻まれた紋様と、まったく同じものだった。


「やっぱりそうか」


シェルが深刻な顔でうなずいた。




「この紋様は、願望成就の魔法陣なんだ」


シェルの説明に、コトハも王子も息を呑んだ。


「願望成就?」


「そう。このノートに書いた願いは、条件が揃えば現実になる」


でも、とシェルは続けた。


「すべての魔法には代償がある。特に、願いを叶える魔法には大きな代償が伴う」


王子の顔が青ざめた。いや、透明な体がさらに薄くなったように見えた。


「僕は……僕は何を書いたんだろう」


記憶を失っているせいで、王子は自分が何を願ったのか覚えていない。




コトハは急いで交換ノートを取りに行った。


今まで何気なく使っていたノートが、実は強力な魔法のアイテムだったなんて。


「王子が最初に書いたページを見てみよう」


でも、最初のページは破り取られていた。まるで、誰かが意図的に隠したみたいに。


「待って、でも……」


コトハは気づいた。破れたページの下に、うっすらと文字の跡が残っている。強く書いたせいで、下のページに跡がついていたのだ。


「『もう、誰も失いたくない』」


かすかに読み取れた文字に、王子が息を呑んだ。




「思い出した……」


王子の声が震えていた。


「母さんが亡くなった後、僕は……僕は願ったんだ。もう二度と、大切な人を失う悲しみを味わいたくないって」


だから感情を捨てた。悲しみを感じなければ、もう傷つかないから。


「でも、それじゃ……」


コトハの目に涙が浮かんだ。悲しみを消すということは、喜びも愛情も、すべての感情を失うということ。


「代償は、僕の存在そのものだったんだ」


王子の告白に、部屋が静まり返った。




「じゃあ、ミーアは……」


シェルが何か思い当たったような顔をした。


「きっと、王子の願いを叶えるために協力したんだろう。でも、その過程で彼女自身も感情を失ってしまった」


なんて悲しい話だろう。お互いを思うあまり、二人とも感情を失ってしまうなんて。


コトハは必死に考えた。何か方法はないだろうか。このノートの力を使って、王子を救う方法が。


「待って、もしこのノートに新しい願いを書いたら?」


でも、シェルは首を振った。


「一度使われた願いは、上書きできない。それが魔法の掟だ」




その時、コトハはあることに気づいた。


「でも、私はまだこのノートに願いを書いてない」


王子とシェルが同時にコトハを見た。


「そうか! コトハの願いなら」


でも、とシェルは慎重に言った。


「代償のことを忘れちゃいけない。願いが大きければ大きいほど、代償も大きくなる」


コトハは迷わなかった。ペンを手に取って、ノートに向かう。


「コトハ、待って」


王子が止めようとしたが、コトハは振り返って微笑んだ。


「大丈夫。私、決めたから」




でも、ペンを持つ手が震えた。


何を書けばいいんだろう。王子を救いたい。でも、下手な願い方をしたら、また誰かが犠牲になるかもしれない。


「願いは、具体的じゃないといけない」


シェルがアドバイスした。


「曖昧な願いは、予想外の形で叶うことがある」


コトハは深呼吸をした。そして、一文字一文字、慎重に書き始めた。


でも、最後の一文字を書く前に、手を止めた。


「やっぱり、今はやめておく」


王子が驚いた顔をした。


「どうして?」


「だって、まだ私たちにできることがあるはずだから。魔法に頼る前に、自分たちの力で何とかしてみたい」


その言葉に、王子の瞳に光が宿った。透明な体の中で、小さな希望が生まれたみたいに。


「書いたことが叶うって、逆に怖くない?」――そんな読者の共感が聞こえてきそうな瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る