フー・キルズ・イービル その2
隠れ穴襲撃二日前のことだ。トドロフ邸に悲鳴が響き渡る。惨劇の舞台はダイニング。豪華な細工が施された流しテーブルの上に乗るのは食器や食料ではない。人間の死体だ。それらは悍ましい拷問跡が残っている。
積み重なる無残な死体からは血液が流れ、銀細工の足を伝い、床にしかれたカーペットに染みを残す。主賓席の豪華絢爛な椅子に腰かけるのは主人である領主トドロフ。彼はそのシミを見る。彼の脇に立つ男が領主の表情を見て顎をさする。男は筋骨隆々であった。名はタウルス。魔人だ。
タウルスの胸に輝くのは“火掛け坩堝の悪印”のバッチ。
「いやはや、申し訳ありませぬな。このカーペットは使い物にならぬご様子」
タウルスは申し訳ないという言葉とは裏腹に、尊大な態度を崩そうとしない。
「血気盛んな部下たちをお許しいただきたい」
「血気盛んだとよ!」
「だははは! 俺達優秀ということよ!」
品なく嗤う男二人。二人は流しテーブル入り口付近の椅子に腰かけていた。彼ら二人の手は真っ赤に染まっている。彼らが死体の山を築き上げたのだ。二人の名はサウィスケラとテヘロンヒアワコ。
サウィスケラとテヘロンヒアワコは魔人である。彼らの胸にもタウルス同様のバッチが輝く。
「まぁ、いったんカーペットのことは忘れましょうぞ」
血に染まったカーペットはトドロフのお気に入りで一枚一千万デミ・円くだらない高級品だ。
被った被害を忘れられるはずがないのだが、トドロフは苦情を訴えることが出来ない。トドロフはあいまいにうなずく。
「むむ? むむむ? 歯切れが悪い。ああ、わかりましたぞ。自分の命が狙われているこの状況がおそろいのですな。だから、カーペットのことなど考えられない。大変ですな。領主殿」
サウィスケラとテヘロンヒアワコは声を上げて笑った。
「恐ろしい!? こんな連中貧弱な連中が恐ろしいのか!」
サウィスケラは死体を殴りながら言う。血がさらに飛び散り家具を汚す。
「へへへ! 所詮は成金の
二人の魔人をタウルスはなだめた。
「まあ、無理もなかろう。領主殿は魔人ではない。だから群れた人間には到底勝てっこない。実際命の危機なのだ。それなのに、冷静でいられるとはか弱き|人間≪スカム≫ながら立派ではないか。ははは!」
実際トドロフは危機に見舞われようとしていた。領の農民たちの蜂起計画が判明したのだ。
その計画は大規模で領内のほとんどの村が参加するという。決行日時は二日後の夜。サウィスケラとテヘランヒアワコはその情報を拷問により聞き出した。流しテーブル上の死体の山はその拷問の痕跡なのである。
「それで、領主殿。暴動者共からあなたをお守りするために追加料金をいただきたい。どうかな? 追加料金は六千万デミ・円」
「ろ、六千万……」
トドロフは先月行った奴隷取引の売上額を思い出す。一人一人値段は異なるが、働き盛りの男が大体五十万で、女が七十万。
つまり、六千万などという大金を用意するには村の男と女それぞれ五十人を売らねばならない。暴動に参加した村人を集めればそのくらいの人数は集まるだろう。だが、領内の人間が百人減るということは、農作物の収入もその分少なくなることを意味する。傭兵たちの雇金を確保するのが難しくなる。
「命がかかっているんだ。手頃だとは思わんかね?」
「お、おかしいじゃないか! 追加料金なんて! そもそも今回みたいな有事に備えて君らを雇っているわけだが……」
「しかし、我々の仕事量はいつもより増える」
「し、しかし」
「なら金は払ってもらう。当然のことだ」
「い、いや……」
「金を払え」
トドロフの視界に死体の山が入る。サウィスケラとテヘロンヒアワコのにやけ面も。彼らの手から血液が滴り高級カーペットがまた汚れる。タウラスは岩のような拳を握り指の関節を鳴らす。
トドロフの目の前に広がる光景。それは死。彼の命の灯がまだ消えていないのは金の力によるものだと彼は悟った。
トドロフは首を縦に振った。振らざるを得なかった。
タウルスはにっこりと笑い、部下の魔人達に呼び掛ける。
「貴様らボーナスだ」
「へへへ! そんな簡単なことで六千万! 楽勝な商売だな!」
「だはははは! 全員殺せばいいんだろ!?」
トドロフは焦った。
「ま、待ってくれ! 殺すのはやめてくれ!」
三人の魔人の視線がトドロフに刺さる。彼は一瞬叫びそうになったが、こらえた。六千万を失うのならせめてもう少しいい条件になるように注文を付けても良いはずだ。
「農民共を殺してしまえば奴隷として売りさばくことも、搾取することもできない! 私の収入がなくなってしまう」
テヘロンヒアワコが鼻を鳴らす。
「てめぇの収入がなくなろうと知ったこっちゃないね」
「しかし、そうなれば来月以降から君たちとは契約できなくなってしまう」
「ふむ。なるほど。困りますな。領主トドロフ殿は我々にとって大事なクライアント。我々も長い付き合いを維持していきたい所存」
「そ、それは私も同じで……」
「ならば、手間賃として一億デミ・円だ」
「一億!?」
「農民共からさらに搾り取ればよいではないですか。それでも足りん場合はこの家と家財でも売り払えばよかろう」
ここで一億を払ってしまったら素寒貧。今後、傭兵を使い領地を増やし有力貴族の仲間入りするトドロフの人生設計が座礁してしまう! トドロフは土下座した。
「捕まえた連中は何してもいい! 拷問でも、人身売買してもいい! だからお願いします! 一億は、一億は無理なんです!」
「見下げ果てたやつだ」
タウルスは一発トドロフに蹴りを入れた。トドロフはせき込み腹を抑える。サウィスケラとテヘロンヒアワコはげらげら笑った。笑われながらも彼は再度土下座した。なぜ金を払う側の自分がこんな思いをしないといけないのかという疑問を押し殺しながら。
「ど! どうか! どうかお願いします!」
「まあいい。クライアントの意向に従うとしよう。今回はな」
「ありがとうございます!」
トドロフは土下座をしながら歯を食いしばる。だが、一方で彼の心には安堵の感情も生まれていた。これで彼に危険は及ばない。いくら人間が群れようと魔人が負けることなどありえないのだから。
だが、農民決起当日、魔人達の仕事は滞った。
†
夜中の七時。暗黒物質天蓋下に浮かぶデミ・太陽達は沈黙する。その光無き時間に揺らめく光は火の光だ。点火された松明は一つや二つではない。ゼゼン村には無数の革命の光が灯っている。村にいるのはゼゼン村の人間だけではない。もっと多くの人々が集まっている。眼に闘志と覚悟の光をたぎらせて。
広場前方、木箱の上に立った男が叫ぶ。男の名はヤシキ。
「俺たちは負けない!」
広場に集まった男たちも叫ぶ。
「「「俺たちは負けない!」」」
ヤシキはまた叫ぶ。
「トドロフを倒せ!」
男だけではない。老人も女も叫ぶ。
「「「トドロフを倒せ!」」」
ヤシキが叫ぶ。右手に持った銃を天に突き上げる。
「豊かな暮らしを取り戻す!」
人々は叫ぶ。彼らが持つ、銃、剣、農具、棒を振り上げて。
「「「豊かな暮らしを取り戻す!」」」
一呼吸を置き、ヤシキはより一層大きな声で叫んだ。
「行くぞォ!!!!」
「「「「うおおおおおおおお!!!!」」」」
闇夜の空に響くシュプレヒコールと雄たけび。一丸となった彼らの心に一体感が生まれていた。
「クソ! ただの
村人たちの声とゼゼン村方面の松明の明かりは遠くなっていく。テヘロンヒアワコは村から離れるように森の中を移動していた。滞るミッション。こんなことでは楽しみにしていた村人の拷問を行えない。その状況に魔人テヘロンヒアワコがイラつきを覚えないわけがない。
その上、魔人の額に血が滴る。折れた右腕にも痛みが走る。テヘロンヒアワコは怒りのあまり叫ぶ。
「クソが! 本当だったら、今頃てめぇらは悲鳴を上げているはずなんだ!」
本来の傭兵たちの作戦。それは、子供を使う作戦だった。農民たちは子供を戦いに巻き込ませないために隠れ穴に隔離した。
その場所は二日前のトドロフ邸での拷問により把握済み。子供達をさらってきて、人質とし、農民たちの戦意を喪失させる。全員が絶望に染まったところで連中を自由におもちゃにする流れだ。サウィスケラが人質を用意し、テヘロンヒアワコが村人達を脅す。そういう手はずだった。
だが、現実は異なる。二時間前に子供をさらいに行ったサウィスケラはテヘロンヒアワコの元には現れない。代わりに現れたのは敵の魔人。サウィスケラはその魔人に殺されたのだ。その上、その魔人はミッションを邪魔する者としてテヘロンヒアワコの前に立ちふさがったのだ。
ピピピピピピピピピン!
軽快な音と共にテヘランヒアワコの周囲にシャイニング・マジカル・パワー・パーティクルが展開! 敵だ。敵の魔人はマジカル・パワーの光の粒子を纏う。その魔人の攻撃によってテヘランヒアワコは無視できないダメージを負わされていた。
折られた右腕がうずく。だが、彼はビビらない。闘志を見せる。
「ふざけんじゃねぇぞ!」
彼の耳に聞こえてくる農民たちのシュプレヒコールと雄たけびが、弱者をいたぶれないことに対する怒りに火をつけたのだ!
「俺がぶっ殺してやる! 殺人姫!」
テヘロンヒアワコは振り返り、ファイティング・ポーズ。背後の敵を迎え撃つ気だ! テヘロンヒアワコは踏み込む! 敵も同時に踏み込んだ! 二人とも敵の顔面に拳を放り込める間合い!
「セイヤーッ!」
「オラァ!」
農民たちの趨勢を占う戦いが始まった。ゼゼン村はずれの森で火ぶたが切られたその戦いの存在を知る農民は誰もいない。
ゼゼン村、ヤシキが声を張り上げた。
「行くぞ! 目指すはトドロフの館!」
「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
農民たちはトドロフの館に向かって進行を開始した。
フー・キルズ・イービル その3に続く
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