第24話

 鉄格子の隙間を通り抜け、牢獄の中に入ってきたのは、あのアビスだったからだ。


「アビ……ス……うぐっ!」


 直後、ブラッドは私の首から手を離したかと思えば、腰に隠していたナイフを取り出し、私の背後に回ると、首にナイフの先を当てながら話した。


「がははははは! 随分と早かったな! 貴様ならここに来るとは思っていたが、なぜここが分かった?」


 すると、アビスはブラッドに対して鋭い睨みをきかせる。


「話す暇などあるか――イルミナは今にも失血死しそうなのだぞ」

「あぁ安心しろ、こいつの出血は止めてある。俺の言う通りにしないなら、今すぐこいつの首を掻っ切る。さぁ話せ」

「――そもそも初めから違和感を抱いていたのだ。奇襲を仕掛けるにしても夜が早すぎる。衛兵の様子や鎧に付着した血痕。そして、私の首を狙う貴様が、『イルミナを救いたければアビス以外の者で来い』という発言――そこで全てが繋がった。イルミナが捕らえられているのは、悪魔帝国ディンメルではなく、この人魔帝国アビスなのだと……」


 私はアビスの言うことがいまいち理解出来なかった。

 つまり、ここにアビスが助けに来たと言うことは、ここは悪魔帝国ディンメルではない……?


 すると、ブラッドは満足そうに笑う。


「がっはっはっはっは! 貴様の考察力を侮っていたよ。まさかもう来てしまうとはな。おかげで一発もやることが出来なかったよ」

「ぐっ――貴様、イルミナに何を!?」

「まぁそう慌てるな。何もしてはいない。騒ぐなら、この小娘の首が飛ぶぞ?」

「ぐっ――」


 ブラッドがナイフの刃先を、私の首に僅かに突き刺し、その先から少量血が流れる。

 それを見たアビスは、苦い顔をしながらも、ブラッドの言う通りにその場にただ立ち尽くす。


「そうだ、この小娘の命が惜しくば、俺の言う通りにしろ」

「――分かった。だが、貴様の狙いはこの私だろう。私は何をすれば良い?」


 アビスが鋭い眼光を突き刺しながら、ブラッドに問う。

 そんなアビスに対し、待ってましたと言わんばかりにブラッドの口角が上がる。


「がっはっはっは! 貴様ら人魔族は、魔族の恥だ。我々が統治していれば良かったものを、貴様の代から独立なんぞしよって――ましてや人族との付き合いまで――」


 そう口にするブラッドの手は、怒りで細かく震えていた。


「――人族との付き合いがあるお前なら、この状況、どうすれば良いか分かるだろう?」

「……」

「さぁ、だよ土下座!」


 そして、ブラッドが私の首を押さえる力が強くなる。


「うぐっ――!」

「イルミナ!」

「さぁ! さっさとやれ! やらないのなら、この小娘を殺す!」

「――分かった」


 そう言うとアビスは、ゆっくりとその場に膝を付き、頭を床に擦り付けた。

 そして、アビスは悪魔族に対する、深い謝罪を述べた。

 その謝罪は、悪魔族に対する怒りや悲しみ、悔しさなど、感情が複雑に入り交じったものだった。

 魔族ですらない私のために、アビスがこんな屈辱的な姿をさせられている――。

 それなのに私は何も出来ない――。

 そんなアビスを見て、私は情けなくて、気がつけば自然と涙が零れていた。


「うぅっ……アビス……」


 そうして、アビスによる土下座が終わる。


「がっはっはっは! 良い! これで貴様の死後、我々が人魔族を再び統治する足がかりが整った!」

「貴様、何を言って――」

「ひっひっひ!」


 すると、アビスの後方から、聞き覚えのある甲高い笑い声が聞こえてきた。

 アビスの後ろに目をやると、鉄格子の奥で、ニヤリと醜悪な笑みを浮かべたティールが立っていた。

 その左手には、小さな、青く発光する何かが握られている。


「まさか! 映晶石!?」


 私はその石に見覚えがあった。

 エスペラー王国でも、国王様やその他幹部が他国との外交で使用していたから、見たことはある。

 確か、青色に発光するものは、複数回再生することが出来るのだったか……。


「ひっひっひ! 今の土下座、全て撮らせてもらいましたよ。魔王アビス」

「なっ!」


 まさか、ティールが隠れていたのは、この土下座の様子を映晶石に記録するためだったのか。

 この映晶石を、ブラッドが人魔族をも支配した後に再生することで、歴史歪曲しようとしている――ということだろう。


 だが、アビスはそれを聞いても、眉ひとつ動かすことなく、じっとブラッドを見つめていた。


「さぁ! では本題に移ろうか!」


 ブラッドの声に力が込もる。


「その映晶石――魔族の間で流れれば大変だろう? そこで、この映像を世に出されたくなければ、今この場でお前の首を差し出せ!」


 こいつらはどこまでも卑怯だった。

 私の解放条件は、アビスがブラッドの指示に最後まで従うこと。

 だがそれだけでは、最悪の場合は首を差し出さずに反撃する可能性がある。

 それらも考慮した上で、ここに誘い込み、人魔族の未来をも天秤にかけることで、確実にアビスの首を取ろうとしているのだ。


 その言葉に、アビスは僅かに眉を顰める。


「――では、先にイルミナを解放してもらおうか」

「あ?」

「人魔族の未来、そしてイルミナのためなら、私は喜んでこの首を差し出そう。だが、貴様らのことは全く信用していない。先にイルミナを解放することが条件だ」


 すると、ブラッドの声に怒気が籠る。


「――何を言ってるのだ? お前も分かっているだろう。この小娘の解放条件は、俺の指示に最後まで従うことだと。大人しく首を差し出せば、俺もこの小娘は解放してやる! だが、この俺が信用出来ないのならば、俺もお前を信用しない――」


 そう言いながら、ブラッドはナイフに力を込めて、首に刺さる切っ先を僅かに押し込んだ。


「いぃっ――」

「イルミナっ――くっ――分かった」


 アビスは葛藤の末、目を瞑りながらそう言った。

 だが、いくらなんでも、この状況を私が黙って見過ごす訳にはいかない。


「アビス! やめろ! こいつらの言葉は信じるな! 貴様が命を差し出そうとも、こいつらは、きっと――」

「喋るなイルミナ!!!」

「――はっ」


 その時、アビスが鬼のような表情で怒鳴り声をあげた。

 怒鳴るアビスの姿を初めて見た私は、その気迫に思わず声が漏れた。


「――今はこいつらを信じるしかないのだ。私の首1つで、アビスの民とイルミナが救えるのならば、私は本望だ――」


 私はアビスの言っていることが全く分からなかった。

 自分が死ねば、私も民も救える?

 アビスほどの者が、この状況で敵を信じるなんてことがあろうか?


 すると、アビスはその場に静かに正座した。


「さぁ、いつでもやるが良い」


 そう言って、静かに首を差し出す。


「ひっひっひ! 動いた瞬間に、イルミナは殺しますからね?」


 牢獄の外にいるティールが、杖を構えながら言った。

 ――そして。


魔力盗取スティール!」

「ダメぇぇぇえええ!!!」


 直後、ティールの杖先から、数多の紫色の稲妻が放たれ、それらがアビスの体を、縛るようにしてまとわりつく。


「ぐっ――!」


 きっとアビスは、ティールに魔力を吸い取られているのだろう。

 アビスは声を上げることこそなかったものの、どんどんと体から力が抜けていったのが分かった。


「がははははは! ジジイ! よくやった!」

「ケホッ……ケホッ……」


 そう言うと、ブラッドが私の首から手を離して前に出た。


血雨千針ゴアレイン!」


 そして、アビスの前で体を大の字に大きく広げると、その全身から大量の血液が吹き出し、それらが瞬時に固まって鋭い針となってアビスに襲いかかった。

 その威力は、もはや嵐だった。

 ――本来なら、アビスには物理攻撃が通じないところ、ティールの攻撃で、ブラッドの血の針がもろに全身に突き刺さっている。


「アビス!!!」


 ――もう、私は見ていられなかった。

 あの強く優しいアビスが、無抵抗のまま、ひたすらに刺され弱っていく。


 そうしてそれから10秒ほどした時だった。

 ブラッドの激しい連撃が、段々と弱まってやがて音が消えたのだ。

 すると次に聞こえたのは、ブラッドの醜い笑い声。


「ぐふふふふふ……がはははははは! ついにやったぞ!」

「……えっ」


 私は信じたくなかったが、塞いでいた両目を開いて、様子を確認する。


「はぁ……はぁ……あっ――アビス――」


 それは、もはや凄惨なんて言葉では表しきれないほどに残酷なものだった。

 何せ、アビスの肉体は原型を留めていなかったのだから。

 ピクリとも動かないアビスに、2人は勝利を確信する。

 それとともに、私は絶望に飲まれた。

 ――もう、助からないのだと。


「イルミナ……」


 だがその時――私の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 幻聴……いや、幻聴にしてはハッキリしすぎている。

 そして、涙で歪む私の視界に、黒い何かが映る。

 そこからは、人……ではない何かの気配がハッキリとした。

 私は恐る恐る首を横に向ける――。


「なっ――あっ――」


 そう、私の隣に立っていたのは――半身が真っ黒な闇に包まれたアビスだったのだ――。

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