第25話*

「なっ――アビっ――!?」

「し〜」


 私は頭が混乱する。

 目の前には確かにアビスの遺体が――だが私の隣にもアビスが――。

 アビスは慌てる私に、指を口元に当てて静かにそう囁いた。


 直後、アビスが一切の音もなく、前傾姿勢になって飛び出し、ブラッドの背後を取った。

 そして――。


冥暗ヴォイド


 アビスが闇に染まる左手で、ナイフを手にするブラッドの左腕にそっと触れた。

 すると、ブラッドの左腕は、アビスの触れた箇所から徐々に闇に飲まれていく。


「はっ――!」


 そして、一拍遅れてブラッドが振り返る。

 だが、いつの間にかアビスは私の隣に戻ってきていた。


「なっ――ぐぅぅうう!?」

「なぁっ! 坊ちゃん!」


 次の瞬間、ブラッドが痛みを訴えるかのように、左腕を押さえながら断末魔を上げた。

 奴が左腕を押さえた頃には、もう左腕は闇に侵食されて無くなっていた。


「アビス――お前っ――!」


 ブラッドは苦悶の表情を浮かべ、額には冷や汗をかきながら、アビスのことを睨んでいた。

 腕は闇に侵食されて無くなるが、その傷口は闇に染まっていて血は出ていない。

 ブラッドにとって、最も最悪な攻撃手段だったのだろう。


「はぁはぁ……お前、一体どうやって――」


 ブラッドは息を荒らげながら、アビスに対して問いを投げる。

 すると、アビスが声を発することもなく、パチンと指を鳴らした。

 次の瞬間、ブラッドとティールの間にあった、原型すら分からなくなっていたアビスの遺体が、真っ黒に染まって、塵のように消えていった。


「なっ――! 一体何が……」


 その状況に、私だけでなく、ブラッドやティールまでもが理解が追いつかなくなる。

 すると、ようやくアビスが口を開いた。


「それは私の作り出した虚像だ」

「きょ、虚像だと!?」

「……なに、貴様らが囮を使ったように、私も囮を使ったまでだ」


 そう口にするアビスの声は、今まで聞いたことがないほどに低く冷たかった。

 そして、その顔からは、一切の感情が消えている。

 いや、一切の感情が虚無なのか……はたまた、黒よりも黒い底なしの怒りや憎悪なのか……私には分からない。


「イルミナ、入りなさい」


 すると、アビスがそう言って、自身の羽織るクロークを広げた。


「は……はい……」


 私は何が何かよく分かっていなかったが、とにかく今はアビスの指示に従おうと、アビスの広げるクロークの中に入り、体にギュッとしがみついた。


───────────────────────


 私はイルミナをクロークの中に入れ、そっと閉じた。

 この中は真っ黒な暗闇だが、イルミナには少しの間辛抱してもらおう。


「アビスっ――お前!」


 すると、ブラッドが怒り狂った形相で叫んだ。

 左腕のない奴は、私に体を向け、全身に力を込める。

 すると、全身の血管が隆起した。

 直後、奴の皮膚が裂けながら、大量の血の針が、先ほどのように私の体に降り注ぐ。


「がっはっはっは! 女諸共これで死ねぇ――うっ!?」


 石の壁を砕くほどの凄まじい威力……。

 だが、その全ては私の体を貫通して、後ろの壁を砕くに過ぎなかった。

 私のクロークの中は、闇の力で外の世界とは別の空間を作り出している。

 故に、クロークを奴の攻撃が貫通しようと、イルミナには一切の傷も与えない。


「一体何が――あれを食らって無傷だと――?」


 あんな奴にいちいち説明するほど、私たちに暇はない。


「さぁブラッド……刻限だ」


 私は音もなく飛び出し、困惑するブラッドの目の前に現れる。

 それでも奴は一流の戦闘者。私の攻撃を回避しようと、足に力を込める。

 だが、そんなものは無駄だ。


冥暗束縛アビスホールド


 そう唱えると、奴の足元には2つの闇の渦が現れる。


「なっ! ぬ、抜けねえ!」


 一度闇に飲まれれば、もう抜け出すことは出来ない。

 足を拘束され、動けなくなった奴の顔面を、私は闇を纏った右手で掴み、そのまま地面に後頭部を突き刺す。


冥暗ヴォイド

「ぐぁぁぁあああ!!!」


 奴は情けない断末魔を上げるが、頭から闇に飲まれ消えていく故、それもすぐに収まった。


「ぼ、坊ちゃん!」


 ティールが、もう闇に飲まれ息絶えたブラッドに声をかける。


「おいティール。いつまでそんな皮を被っているのだ? いい加減姿を現したらどうだ?」


 私は奴に鋭い睨みをきかせながらそう言った。

 すると、奴の目が僅かに泳いだ。


「ひっひっひ。魔王アビス、バレていたのですね……」

「当たり前だろう」


 ティールが自身の杖の底をゴンッと一度地面に叩きつけると、眩い光が現れ、それがティールの体を覆った。

 背は縮み、シワが増え、髪も抜け、すっかり老いぼれたティールだったが、私はその真の姿を知っている。

 やがて、光が消えると、ティールは真の姿を見せた。


 


「お久しぶりですねぇ。魔王アビス」


 その声は、先ほどまでの老いぼれたしゃがれ声とは異なり、透き通った若々しい声である。

 また様相も、白い縮れ毛は、真っ直ぐと長い綺麗な髪へと変わり、一切のシワもない。

 まさに、若返ったと言えよう。

 だが、これが奴の真の姿。普段はあのように老いぼれた姿をして、力を隠しているのだ。


 ティールは牢獄の鉄の扉を開け、中に入る。


「お互いにこの姿――まるで10年前を思い出しますなぁ」


 そう、私たち人魔族は以前、悪魔族に支配されていた。

 先代が、悪魔族に国を売り渡したのだ。

 そうして10年前、私率いる人魔族は、人魔族独立のため、悪魔族と激しい抗争を繰り広げた。

 その際に最大の障壁となったのが、この男……ティールである。

 数多の魔族から魔力を吸い取り、100年以上にも渡って悪魔族のトップに君臨している。

 その魔力量はおぞましいほどに多く、魔王に匹敵するほどだ。

 目の前に立つティールからは、凄まじい覇気と魔力を感じる。


「あの頃は、奇しくもアビス……貴方に敗れましたが、もう貴方には負けませんよ」

「……そうか」

「魔法が使えぬ人族と長年付き合ってきたのです。それが貴方を弱くした。その間にも、私はどんどんと魔力を吸い続けた。もうあの頃の過ちは繰り返さない。悪魔族こそ魔族の頂点であることを思い知らせてやりますよ」


 奴はまるで勝ちを確信しているようだが、私は一切負けるつもりはない。

 ――というよりも、奴の御託に、私は思わず口角がつり上がってしまった。


「おや……? この状況で笑えるとは、随分と余裕ですねぇ、魔王アビス」

「くっふっふ。貴様はあの頃の私が本気を出していたとでも思っているのか?」

「――何?」


 奴は僅かに眉を顰める。


「ふんっ――女の前で強がりですか。――ですが、この狭い空間は私の領域――その腑抜けた心を叩き直してあげますよ!」


 そう言いながら、ティールは杖を私に向け、夥しい量の稲妻を私に放った。

 それはもはや、この狭い牢獄の逃げ道を全て塞ぐかのような攻撃――先のブラッドとは比べ物にならないほどの連撃だった。

 ――単純な物理的攻撃としても火力は高く、触れれば魔力を吸われ、この狭い空間に逃げ道などない。

 一見、私の絶体絶命のように思える――だが。


「ひっひっひ! 私とて成長しているのですよ――何っ!?」


 ティールが目を丸くして驚く。

 それもそのはず――奴の放った稲妻は、全て闇を纏った私の右腕に吸収されたのだから。

 黒よりもさらに黒い私の闇は、光を吸収することは当然ながら、魔力、いかなる攻撃すらも吸収する。


「どうした? もう終わりなのか?」


 攻撃が一切通じない――。

 それを理解したティールは攻撃を止めた。


「ひっひっひ――まさか私の攻撃が一切通用しないとは――これぞ底なしの闇ですか」


 奴の表情から余裕が消える。


「悪いが、貴様と遊んでいる時間はないのだ。そろそろ決着をつけよう」

「ふっ――遊びだと……」

「狭い空間が貴様の領域と言っていたな? 相手の長所を消すのもまた戦闘――」

「なっ……一体何を……」


 相手はあのティールだ。

 いくら優勢だとしても、油断は禁物――。

 私は持てる魔力を最大限解放する。


「うぐっ! な、なんだこれは――!?」


 私が魔力を最大限に解放すれば、並大抵の魔族は、その覇気だけで倒れてしまうほどだ。

 私は右足に漆黒の闇を宿し、決着をつけにかかる。

 

「さぁ、終焉に誘おう――冥暗の深淵グランドアビス


 私が右足を床に付けると、そこから辺りは瞬時に漆黒に覆われる。


「一体何がっ――!?」


 次の瞬間、奴の足元までもが漆黒に包まれると、奴はその場で落下した。

 やがて辺りは一切の光をも吸収する漆黒に包まれ、底なしの奈落へと変貌する。


「くっ!! アビスめ、何を……」


 奴は上も下も分からぬまま、ただ垂直に落下していく。


「だが、ここから抜け出すことも出来――うぐっ!」


 次の刹那、奴の右足に激痛が走る。

 そう、私が奴の右足に触れたのだ。


「なっ! くそアビス! どこにいる!?」


 私自身も漆黒と化している――もはやこの奈落で、私の姿を捉えることは不可能だ。


「――こうなったら私も全力を出そう」


 そう言って、ティールは杖を両手で持ち、額に擦り付けた。


「貴様の領域内全ての魔力を、私諸共消し去ってやる――魔力消滅アナイアレイト!」


 直後、奴の体から膨大な量の魔力が放出され、赤黒い靄が、この領域全体に広がる。

 ――だが、何を勘違いしているのだろうか。


「なっ!」


 私は奴に見えるよう、目の前に姿を現す。


「見て学ばなかったのか。この冥暗の深淵グランドアビスは一寸先が闇。貴様の如何なる魔力や魔法をも吸収し続ける――貴様では、闇を照らす光にはなれないようだな」


 そして、私は奴の杖を消し去り、手のひらを広げて奴の顔面を掴んだ。


「んぐぅぅぅううう!!! ぎゃぁぁぁあああ!!!」


 一切の音も響かないこの深淵の中で、奴は醜い断末魔を上げながら、闇に飲まれて絶命した。

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