第33話 火の神の加護

 ——限界だった。


 稲夫はこの世界に来てずっと我慢していた。しかし、ついに我慢の限界を迎えてしまった。


「タバコ……タバコが吸いたい……!」


 稲夫は呻くように呟いた。

 この世界に来た初日にタバコを全て失い、それ以来一本も吸っていない。

 元々ヘビースモーカーというほどではないが、仕事終わりの一服や食後の一息——その当たり前を断たれた日々は、思いのほか辛かった。


(だめだ!何かしてないとモヤモヤする!)


 立ち上がり、倉庫にある鍬を掴む。

 とにかく体を動かして気を紛らわせるしかない。堀の整備でもしていよう――そう思った矢先、視界の隅に何かが映った。


「……これは?」


 倉庫の隅、土器に詰め込まれた大量の葉。

 近づいてみると、大量の葛の葉と――乾ききったヨモギやドクダミだった。


「こんなのあったっけ?しかも、傷んでるな」


 触れると葉はパリパリと音を立て、粉のように砕けた。

 薬草としても使えそうにない。恐らく、捨てるためにまとめておいたのだろう。


 だが――そのとき、稲夫の脳裏を一筋の閃きが走った。


(これ、吸えるんじゃないか?)


 乾燥したヨモギやドクダミを砕き、葛の葉で巻く。

 つまり、“タバコの代用品”だ。

 ニコチンは得られないだろうが、あの一服の感覚を少しでも再現できるかもしれない。


(いや、待て。倉庫の物はミズキが管理してる。勝手に使ったら怒られるやつだ)


 稲夫はミズキに許可を得るべく、葉の詰まった土器を手に取り外へ出た。


 ※ ※ ※


 ミズキを探していると、村の近くで採集をしていた。丁度、しゃがみ込んでキノコを摘んでいる。


「ミズキ、採集中か。いつもありがとうな」


「い、稲夫様……そんな、大したことでは……」


 数日前の徒長の件を、まだ気にしているのだろうか。ミズキの表情や声が、どこか沈んでいた。


「いや、たいしたことだよ。俺じゃ食用かどうか判断つかないからな。しかし、いつもどうやって見分けているんだ?」


「そうですね……基本的には見た目や手触り、匂いなどで判断しています。例えば——」


 そう言うとミズキは、湿った木の根元に生えていたキノコに手をばし摘み取った。


「このキノコは食用に適した物と、よく似た毒のある物があります。食用の方は傘の縁が丸く、指で押すと弾力があります。毒のある方は、少しぬめりが強くて、甘い匂いがします」


「そうなのか。どれどれ——」


 稲夫は試しにミズキが摘み取ったキノコを自分でも摘み、指で押したり匂いを嗅いでみたりする。


「……悪い、俺には全部一緒に見える。見た目も、触感も、匂いも……うん、全然分からん」


 しかし、触ってみても、匂いを嗅いでみても、食用か毒か全く分からなった。

 正直すぎる感想に、ミズキは口元に小さく笑みを浮かべた。


「慣れない内は仕方ありません。なので、どうしても分からない時は――こうして確かめます」


 ミズキはキノコの端を、ほんのわずかだけかじった。


「は……?え、ちょっ、ミズキ!?」


 稲夫が思わず声を上げる。

 ミズキは口元に手を添えて、齧ったキノコを吐き出した。


「このキノコは毒の場合、苦味があります。なので味で判断したりもできます」


「いやいや!毒かもしれない物をかじって大丈夫なのか!?」


「少量であれば問題ありません。ただ、物によっては少量でも命に関わる物もありますので、マネはしないでくださいね?」


「ア、ハイ。そうします……」


「それと、このキノコは毒でした」


「ちょ!?本当に大丈夫なのか!?」


「ふふ、大丈夫ですよ」


 稲夫は思わず慌てふためく。その様子が可笑しかったのか、ミズキは目を細めクスクスと笑った。

 少しだけ、徒長の件で沈んでいた空気が和らいだように感じられた。

 それに安心したのか、ふと思い出したように稲夫が口を開いた。


「そういえば、倉庫の端にこれがあったけど、使わないのか?」


 稲夫は倉庫から持ってきた葉が詰められた土器を見せる。


「これは、倉庫にまとめてあった物ですね?傷んでしまったので、後で地に還すつもりでした」


「そうか!なら貰ってもいいか!?」


「構いませんが……何に使うのです?」


「これでタバコを作ってみようかと思ってさ」


「タバコ……?」


 稲夫は葛の葉を取り出し、地面に広げる。

 乾燥したヨモギを細かく砕き、その上にのせて丸めていく。

 すると、不格好だが円柱状のタバコのようなものが出来上がった。


「見た目はそれっぽいな。さて……」


 稲夫は手製のタバコを口に加え、ポケットからオイルライターを取り出す。カチン、と蓋を開ける。ホイールを指で弾きタバコに火を灯した。


 稲夫は久方ぶりのタバコに、興奮する気持ちを抑えながらゆっくりと煙を吸い込む。


「……っごふっ!!ごほっ、ごほっ!!」


 高温の熱を持った荒い煙が肺を満たし、思わず咳き込む。


「稲夫様!大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫……」


 涙目になりながら手で顔をあおぎつつ、稲夫は反省する。


(考えが甘かった……!フィルターすらないのに煙を吸い込むのは無茶だった……)


 咳をこらえながら、稲夫は手にしたタバコをじっと見つめる。


(……吸うんじゃなくて、葉巻みたいに蒸すだけならいけるか?)


 稲夫は再びタバコを口元へ近づけた。吸い込まず、煙を軽く口に含んで吐き出すだけ。


 ふわりとした香りだけが鼻先をくすぐり、さっきのような刺激はない。


(おお……これならいける!しかも、思っていた以上に良いぞ!)


 少し軽すぎる味わいだが、久しぶりに煙を味わう満足感に、思わず上機嫌になる。


「煙を……食べている?もしや、タバコとは火の神の加護を宿す祭具なのでしょうか?」


 ミズキが、何か神聖なものを見るような目で稲夫を見つめた。


「いや、これは別に尊いものじゃなくてだな……まぁ、日頃のささやかな楽しみかな」


「稲夫様は、日頃から神の加護を宿すための儀をしているのですね」


 そう言うとミズキは、手を合わせて祈り始めた。


(ああ……ミズキがまた何か勘違いしてる)


 訂正してもよかったが、今は久方ぶりの煙を楽しみたかったので、そのまま放っておくことにした。


「巫女様、稲夫様は何をしてるんですか?」


 そこへ、ヒナタとロウが現れる。

 二人はタバコを蒸す稲夫と、タバコから立ち上る煙を交互に見つめ、不思議そうな顔をしている。


「火の神の加護をその身に宿す儀だそうです。邪魔しないように静かにしていようね?」


「はーい!」


 ヒナタは元気よく、大きな声で返事をした。

 ロウもヒナタをマネして「うー!」と大きな声で返事をする。

 二人共、静かにするという意味をまったく分かってなさそうだった。


 稲夫はそんな賑やかなやり取りを脇目にタバコを楽しんでいたが、残念なことにあっという間に吸い終わってしまった。


(もう吸い終わっちまったか……)


 ヨモギを使った手製のタバコは思っていた以上に良かった。

 だが、ヨモギは食料にも薬にもなる貴重な資源。今回は傷んだものがあったから良かったが、ただの娯楽に安々と使うわけには行かない。


「今度は、こっちを試してみるかな」


 残念な気持ちを押さえながら、稲夫は次の材料――ドクダミに手を伸ばした。


 再び葛の葉で巻いて火をつける。

 口に加えた瞬間、強烈な草の匂いが鼻に突き刺さった。


(こ、これは!クセが凄い!)


 先ほどのヨモギは清涼感のある爽やかな味わいだった。

 対して、ドクダミは苦味があり青臭く、鼻の奥がしびれるほど強烈な味わいであった。


(悪くない!これはこれで味わい深いぞ!)


 自然と笑みがこぼれる。

 ドクダミならそこら中の日陰に生えているので、ヨモギの代わりにいくらでも手に入る。


(起きたらまず一本、食後の一服は外せないな……作業の休憩中に吸うのもいいな!)


 稲夫は今後の喫煙生活を思い浮かべていると、ヒナタとロウに目が合った。二人ともジトーっとこちらを見ている。何故か視線が冷たい。


「ヒナタちゃん、ロウ、どうした?悪いけど、タバコは大人になってから——」


「稲夫様……なんか、くさい」


「……え?」


 思考が止まる。

 手にしていたタバコが、指の間からぽとりと落ちた。


「そ、そんなことないよな?ロウ?」


「うぅー……」


 ロウは低く唸り、ヒナタの後ろに隠れた。


「……ミズキ、俺、臭いか?」


 稲夫は最後の望みを込めてミズキに向き直る。


「い、いえ……臭い、というより独特な香り……です、かね?」


 ミズキは微妙に視線を逸らしながら取り繕うように答えた。


 稲夫は、ずしりと膝を落とす。

 女子供に「くさい」と言われる衝撃は、想像以上に精神的ダメージが大きかった。


「禁煙、頑張るか……」


 そう呟き、地面に落ちたタバコの火を消す。空に消えていくその煙だけが、ほんの少し名残惜しかった。

 稲夫の禁煙生活は続く。

———

※今回作中に登場したキノコは「ヒラタケ」をイメージしています。

現実には、そっくりの毒キノコ「ツキヨタケ」などがあり、間違えると中毒を起こすこともあります。

また、ミズキのように“味で確かめる”のは非常に危険です。

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