Chapter-02 異母兄
有馬記念──当日
「そうや国美さん、作戦は? ……いつも通りでええ?」
「いつも通り大駆けでいいよ。けど……歴戦の古馬との初対戦になる。胸を借りるつもりで行こう」
「了解です。気負いすぎんと、いつも通りロジェを信じますわ」
「……頑張れ。俺も応援頑張るから」
(…………まだ眠い……)
「ロジェわかりやすくおねむやな。ごめん、ごめんて」
渚ちゃんが手綱を引き、パドックを周回しているも眠そうに首を上下させているロジェールマーニュは、私が近寄ると珍しくふいと顔をそむけた。今日は気乗りしないようだが、もう発送時刻がすぐ迫っているのでスイッチを入れてもらわないと困る。
こういう時は秘密兵器を使うに限るわ。
梨を使う。ロジェは梨がやたら好きだった。
「ロジェ。梨。梨あるよ今日。終わったら渚ちゃんがむいてくれるって」
(──!! 梨!!)
下に向いていた首がものすごい速度で上に向いた。耳も真っ直ぐ前に向いており、完全に意識が覚醒したのを教えてくれる。私は笑いを堪えながら手袋を嵌めなおし、ロジェに話しかけた。
「おっ。起きた?」
(──おはよう、后子。いい朝だね)
無理矢理キリリとした表情を作ってロジェは私の方へ顔を向ける。ヘルメットを被って鞭を小脇にはさみ、鐙を少し長くして左足を引っかけて鞍上へ行く。ロジェの首筋を撫でながら、私は片手でヘルメットの顎ひもを締めた。
「寝ぼけてたん盛大に誤魔化すやん。ばれてるで」
(……………はずかしい……)
「んふふふ…………かわいいなぁ…………」
にやけながら私はロジェの鬣を指で梳かし優しく頭を撫でた。数度ロジェが目を細める。いいツボをついていたらしい。
主要なGⅠも残すところ二つ三つと、私は年末に向かっている事をぼんやりと実感した。一年が終わる。その中で私は今年GⅠ四勝。あと騎乗が予定されている重賞は今日の有馬記念のみだ。
十一月末に行われたJBCクラシックに関しては、私はスノーホワイトのやる気スイッチをうまく押せなかった。大外から飛んできた中央所属のダートGⅠ馬に差し切られてクビ差で競り負けた。
スノーが芝・ダートの二刀流であるとはいえ、やはりダート一本に絞っている馬と互角にやり合うのはもう少し上積みがいりそうだ。スノーの成績で勝っているレースは殆どが芝のレースで、ダートでも最高着順は二着。まだダートでは勝っていない。
そして、私の今年最後のGⅠレース。有馬記念。
正直こんなところまでやってこられるとは、思っていなかった。
ロジェはよく外枠を引く。今回も菊花賞よろしく外枠で、しかも今回は大外一六枠に入った。
まぁ逃げ一択の戦法やし。ぶっちゃけ枠とかどこでもええってロジェも思ってそうやけど、中山は直線短いし菊花賞みたいなことはやれんと思うんよね。
いかに菊花賞で強さを見せつけたといえども、古馬が黙っているはずがない。
「まぁロジェや。負ける気せえへんけど……、けど……いや……めっちゃ私の事見るやん……」
私を凝視するのは、ロジェと同じく青毛の馬だった。額に三日月のような流星が入っている馬だ。全体的にちょっとほっそりした馬だと思う。
そう、この青毛の馬。昨年と今年の天皇賞春の覇者であり、私が騎乗するロジェールマーニュの異母兄ラヴウィズミーだ。
本来競争馬は母親が同じでなければ兄弟とは言わない。しかしシャルルの産駒はシャルルマーニュだけで、神代さんが自社牧場で管理しているので超零細種牡馬。そのためラヴウィズミーは大抵『異母兄』と呼ばれることが多い──。そのように聞いていた。
脚質はロジェと同じ逃げ一択。逃げまくって勝つという戦法は青毛一族のお家芸みたいなとこあるけど、ラヴウィズミーの逃げはロジェのそれとは少し異なる。
最初から最後までエンジン全開、トップスピードで走るのがロジェならば、ラヴウィズミーは緩急をつけて逃げる。スピードを中盤で緩めて隙を敢えて作り、他の馬を先に行かせることもある。そして最後にトップスピードで駆け抜ける──そんな走りをする。今年の天皇賞・春でもそういう走りをして、最終的に逃げ切って勝った。
だが。
今日は違うらしい。
馬郡から一番突き抜けているのはロジェールマーニュではなくラヴウィズミーのほうだ。いや、正確にはロジェも馬郡から抜けてはいる。ただ──ラヴウィズミーが速すぎるというだけで、ハナを進むラヴウィズミーとロジェの差は大体二馬身程度、そこから後続の馬郡にさらに二馬身の差……というような状態になっている。
いやいやいやいやいくらなんでも速すぎやろ。
第三コーナー手前から仕掛け始めな前を突っ走るラヴウィズミーには追いつけん。
その思いはロジェも同じようで、私は手綱を握る手を動かして前へロジェを上がらせる。コーナーを抜けてラヴウィズミーと凡そ一馬身ほどまで差を詰めたが、そこから先が詰まらない。今から抜きに行くか?
いやまだ脚は残す。仮にここで離されても第四コーナーを曲がりきる手前で鞭を入れ、菊花賞の時のように差しに行く!
第四コーナーを無駄なく曲がりきる直前で私はロジェに鞭を入れた。前を走るラヴウィズミーにぐんぐん迫っていくロジェは疲れを知らないという風にトップスピードを超えていく。突き放そうと走るラヴウィズミーに半馬身、アタマ、クビ……今なら超えられる。そう確信して私はもう一度ロジェへ鞭を入れた────
「────ウソやろ!?」
ロジェと初めて戦ったフジサワコネクトと瀬川もこんな気持ちだったのだろうか、と頭の隅で思った。ラヴウィズミーはさらに私たちを突き放す。爆発的な加速で稍重の芝を蹴り飛ばし、ロジェとの差を開いていく。だがまだ勝負は続いている。
行ける。まだ負けてへんし!! 奥歯を噛み締め、私はロジェを前へ、さらに加速させて行く。差し返せるか? 行けるに決まってるやろドアホ!! 半馬身差ならまだ──!!
(っ……差が……縮まらない!! この有馬で后子に敗北の泥を被せるのか!? いや……それは。それだけは!! ──いいわけ、無いだろうが!!)
(……──悪いなぁ)
(!? ラヴウィズミー……!?)
(得意距離では負けられんのよ。あと普通に弟にはいい恰好みせたい!!)
(えっ……ええ……理由……雑だな……)
(じゃそういうことだから。グッバイ)
(えっ。えっいやちょっと待て──────!!)
『────ラヴウィズミー!! ラヴウィズミーだ!! ラヴウィズミー、ロジェールマーニュをねじ伏せ今一着でゴォオオオオォオオル!! 勝ったのはラヴウィズミーだ!!
ラヴウィズミー有馬二連覇!! 強い……これが、これが〝孤高のステイヤー〟の実力だ!!』
スタンドに響く実況が、異母兄・ラヴウィズミーを讃える。
……ロジェの邪魔をしてしまった。そのせいでラヴウィズミーに追いつけんやった。
強烈な後悔に唇を噛む。走り抜けたラヴウィズミーの鞍上にいた騎手はゴーグルを外し、口元を覆っていたネックウォーマーをずらして私のほうを見た。
そこにいたのは、嘗て幼い日に私が憧れた馬の背にいた人。シャルルを無敗の三冠馬に導いた騎手。ラヴウィズミーと組むのは初のはず。
というか、私が知る限り闘病生活を送っていると……そう思った。だが戻ってきていたのだ。病をひょいと、何でもないように乗り越えて。
彼はラヴウィズミーを軽く歩かせながら私とロジェのほうへ近づいてくる。緩やかな微笑みはあの日と同じ。私は驚きながらゴーグルを外して、同じように口元を覆っていたネックウォーマーを下に引っ張って外した。
「古馬の壁は厚いだろう? 僕も最初、そう思ったよ」
「……ええ。分厚い、壁です。やからこそ破りがいがある、そうでしょ」
「強くなったね。本当に──。
ようこそ、古馬たちの戦場へ。歓迎するよ、后子さん。
その気高さと強さ、次の『天皇賞・春』で僕らの前に示してくれ」
「望むところです、
────私は、嘗てシャルルを三冠馬に導いた貴方を超えて、馬が誇れる騎手になります」
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