定年の日

@towakey

竜タクシー

空が真っ赤に染まっている。

先ほどよりも赤みを増した夕日が肌をじりじりと焼くように蒸し暑い。

時間は5時を過ぎたころ。

昼間は人通りが少なくなる道にも、家路を急ぐ人が増えてきた。

「寂しい最後だな~…」

そんな道の脇で、初老のスーツ姿の男性が竜にもたれながら1人ぼやく。

深々とため息をつく男性を他所に、後ろで丸まっている竜はスース―と気持ちよさげな寝息を立てている。

男性と寝ている竜は、お客を竜の背に乗せて指示された場所まで人を運ぶ「竜タクシー」だった。

自動車を使用するタクシーもあるしむしろそちらが主流ではあるが、竜タクシーには自動車には無い長所がある。

空を飛べることだ。

自動車のタクシーでは渋滞などに捕まると大幅な時間のロスが発生するが、空を飛ぶ為にそういう事がない。

また直線距離を移動できるので自動車よりもはるかに速い時間で移動できる。

しかし竜は生き物なので維持コストという面で考えると自動車よりも割高にならざるを得ない。

金銭的デメリットよりも時間を優先する、そういうニーズがこういった官庁街には大きかった。

操縦士である彼はこの地で約半世紀も竜タクシーをしてきた。

だがそれも今日で引退だ。

「最後ぐらい誰かを乗せたかったな、辰雄」

寂しそうな笑いを浮かべながら『辰雄』と呼ばれた竜を撫でる。

もともと値段が割高な竜タクシーを利用する人は少ない。

1日数回利用客がいればいい方で、悪いときは3日も誰も利用しないという時もあった。

せめて最後ぐらいお客を乗せて身を引きたかったがそれも叶いそうにない。

仕方ないか………。

そう諦めていた時、今まで寝息を立てていた辰雄が目を覚まし、その長い首を道の先へと向けた。

そこには色とりどりの花束を持った、見覚えのあるスーツの男性が立っていた。

「お久しぶりです」

「あ、これはどうもご無沙汰しております」

一瞬誰か分からなかったが、すぐに顔なじみの客だと気づく。

ただ顔なじみと言っても「よく利用してくれる客」というだけで名前も知らない。

「今日、最後の出社でね。最後くらいは贅沢をしてもいいかってここに来たんですよ」

男性はそう言って手に持つ花束をちょっと上げて見せた。

「そうですか、長年お疲れ様でした。実を言うと私も今日で引退でして。誰もいない最後になるところでしたよ」

「そうだったのですか。ここも寂しくなりますね」

「大丈夫ですよ、明日からはうちの若いのが来ることになってるので」

「そうですか…。時代は移り行く…ですね」

「寂しいですが下の世代にバトンを渡すのが年長者の仕事ですからね」

二人で家路を急ぐ次代を担う者たちの背中を眺めて感傷に浸ってしまう。

「そういえば」と男性が気づいたように口を開く。

「長年お世話になっていたのにお二人の名前を知りませんでした。私、山本と申します」

「あ、私は滝本と申します。それで、この子は『辰雄』と言います」

そう言って、滝本が竜の頭をポンポンと叩くと、辰雄は気持ちよさそうに目を細める。

「竜日誌って言うものを書くんですがね、過去のを読むといつも『大人しくていつも居眠りをしている』って書かれるぐらい、のんびりした子なんですよ」

「それはいい。私も横で一緒に昼寝をしたくなります」

「でしょう。私もたまに客がさっぱり捕まらない時はこの子と一緒に山の方へ飛んでいって一緒にうたた寝したもんですよ。あ、この事はご内密に」

「分かってますよ」

「この子も私と一緒に引退して、来週からは老竜保護センターに行くんです。時々会いに行ってまた山にでも行ってお昼寝しようって思ってるんですよ」

「いいじゃないですか。私も混ぜてもらいたいもんだ」

「でしたらご迷惑でなければご一緒にどうですか?」

「いいんですか?せっかくのこの子との散歩ですのに」

「今だから話すんですがね、実は辰雄、あなたの事がえらく気に入ってるんです」

傍らにいる山本の腹部に辰雄が頭を押し付ける。

まるでもっと撫でろと言わんばかりだ。

「おお、よしよし。そうだったんですか、ちっとも気付きませんでした」

「いつもはのんびり空を眺めてるこの子が時々道の先を見てる事があったんですよ。その度にあなたが訪れた。たぶん足音でも聞こえたんでしょうねえ」

「ならもっと乗せてもらっとけば良かったですね」

そう言って山本は頭を撫でると、辰雄は嬉しそうに鼻息を鳴らす。

「ですから、あなたが良ければ一緒に来て下さるとこの子も喜ぶと思います」

「分かりました。では会いに行くときにお声をかけていただけると」

「はい。それじゃあ電話番号を交換しましょう」

「はい。ちょっとごめんよ辰雄」

そう言って辰雄が頭を押し付けていたスーツのポケットから携帯を取り出す。

それを不思議そうな目で辰雄が見つめる。

「未だにこの手のものが慣れなくてね。息子や部下に教えてもらうんだがさっぱり覚えられない」

自分の番号がなかなか出てこないのか、首をかしげながら山本がぽつりとつぶやく。

「やっぱりそうですよねえ。私も家内や子供に教えてもらうんですがさっぱり覚えれなくて。しまいには『いい加減に覚えろ』って怒られる始末です」

少し笑いながら滝本も返すが、こちらも中々見つからずに思わず頭をかく。

「ははは、一緒ですね。私もよく息子に『いい加減にしろ』って言われてます」

「覚えたと思ったらまた新しいものが流行りだしてまた教えてもらわないといけない。忙しい時代になりましたね」

「そうですねえ…おっ、あったあった。番号はこれです」

山本が滝本に鈍く光る携帯のディスプレイを向ける。

「はい。0…5…0…。はい、登録できました。一度かけてみますね」

「お願いします」

山本の携帯から俗に言う『黒電』の音が鳴り、ディスプレイに操縦士の番号が表示される。

「お、かかってきた。ありがとうございます」

数瞬どのボタンを押すか指を彷徨わせながら、着信を切る。

「それでは会いに行くときにまたお声掛けしますね」

「はい、楽しみにしております」

「ところで今日はどうされますか?」

「あぁ…最後だしちょっと贅沢させてもらいますかね」

「分かりました!最後のお客さんには最高の空の旅をご堪能頂きますよ」

その時、横から盛大な鼻息が二人の髪を揺らした。

「ほら辰雄もやる気になってますよ」

「こりゃ楽しみだ。頼むぞ辰雄」

そう言って山本が辰雄の頭を撫でて、その背に取り付けられた椅子に座る。

滝本は客席の安全具を確認して、辰雄の背に乗り、固定具を取り付ける。

「どこまで飛びますか?」

「辰見城のコンビニまでお願いできますか」

「分かりました。辰雄、最後の仕事だぞ」

そう言って手綱を引くと二人を乗せた辰雄が立ちあがり、一度大きく翼を羽ばたき、そして空へと舞い上がった。


~~~


指定されたコンビニに辿り着き、山本が辰雄から降りる。

「今日は本当にありがとうございました。最高の時間でした」

「そう言ってもらえると私たちも心置きなく引退できます。こちらこそありがとうございました」

そう言って、山本は手を振って住宅街へと続く道へと消えていった。

それを見送った滝本は操縦席へ戻ると、

「今日は遠回りして帰るか」

と、満点の星空を見ながら飛んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

定年の日 @towakey

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ