第3話:陰謀の片鱗、深まる確信

鬼の家で定期的に開かれる「祭」への参加を命じられた。

私にとって、それは一縷の希望だった。

もしや、外の世界と繋がれるかもしれない。

この館から逃れる手がかりが、見つかるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いた。

胸が、小さく高鳴る。


表向きは国を祝う盛大な儀式とされていた。

しかし、その実態は、鬼の家がこの国の全てを支配する。

それを民や他の貴族たちに見せつけるための、

傲慢で残忍な見せつけの儀式だった。

祭の準備は数日前から始まった。

屋敷内は異様な熱気に包まれる。

いつもは静まり返った館が、どこかざわめき立つ。

使用人たちは興奮し、その瞳には奇妙な輝きが宿っていた。

彼らの動きは、以前にも増して慌ただしい。

地底から響くような、不気味な太鼓の音が、

遠くから聞こえてくる。

それは、桜の胸に重く響き、不吉な予感を募らせた。

終焉の序曲のようだった。

肌寒かった。


祭の準備が進む中、私は女中たちの奇妙な様子に気づく。

彼女たちの無表情な顔の奥に、

奇妙な高揚感や恐怖が入り混じっている。

それは、まるで人間ではない、

何かに憑かれたような表情だった。

女中たちは時折、互いに意味深な視線を交わす。

そして、私には聞こえない、不気味な囁きを交わす。

その声が、私の耳にまとわりつく。

まるで、耳鳴りのように。


奥方同士の、嫌味な会話が耳に届く。

「贄の花嫁は、やはり血が清らかで……」

「今度の器は、長持ちすると良いわね。

すぐに枯れてしまうと、手間ばかり増える」

使用人たちの密やかな噂話も耳にする。

「清めの血」「器となる者」「贄の役割」。

不穏な言葉が飛び交うたびに、

自身の身に何が起きようとしているのか、

漠然とした不安が具体的な形を帯びていく。

喉が渇ききり、息が詰まる。


ある夜、私は屋敷の探索を続けた。

隠し通路を求め、古い木戸を開ける。

屋敷の片隅にある、忘れ去られたような小さな社。

埃と蜘蛛の巣が張り巡らされていた。

社の内部は、冷たい空気が澱んでいる。

そこに蹲る幼い蓮の姿が、

怯えた顔で私を見ているような幻覚を見る。

その幻影は、あまりにも鮮明だった。

まるで、蓮が鬼の家に囚われ、

苦しみ、そして闇に染まっていく未来を

暗示しているかのようで、桜の胸は締め付けられた。

心臓が、ひどく脈打つ。

「蓮……」

声にならない呼ぶ声が、喉の奥で消えた。

小さかった頃、蓮はいつも私の袖を掴んで、

「大丈夫だ」って笑ってくれたのに。

あの時みたいに、そっと背中を押してほしかった。

今、こんなに怖いのに。


祭りの当日。

私は輿に乗せられ、屋敷の門をくぐる。

館から一歩外に出れば、

もしかしたら逃げられるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いた。

祭の混雑に紛れて、こっそり逃げ出そうと試みる。

輿から降りた瞬間、人々のざわめきと祭の賑やかさ。

一瞬だけ、安堵を覚えた。

外の空気は、屋敷の中とは違う。

少しだけ、清らかに感じられた。

肌を撫でる風が、冷たいが心地よい。

しかし、その安堵は一瞬で打ち砕かれる。


屋敷を取り囲む門番の厳重な監視。

そして、肉眼では見えないはずの結界によって、

その試みはあっけなく阻まれた。

見えない壁にぶつかったかのように、私は弾かれた。

胸が、ちくりと痛む。

すると肩がわずかに震え、

その振動が背骨を伝い、足の指先まで冷たくなった。

人々の顔は、祭の熱狂に酔いしれているように見えた。

しかし、その笑顔の裏には、鬼の家への深い恐怖。

そして、抗うことを諦めたような虚ろさが隠されている。

それが、私には痛いほど分かった。

桜は、彼らもまた、鬼の家によって巧妙に

操られているのだと悟る。

都の華やかな祭りは、欺瞞に満ちた空っぽの祭りだった。

私の心は、冷たい泥の中に沈んでいくようだ。


祭の舞台で、蛟が国の繁栄を謳う演説をする。

彼の言葉は甘く、民衆は畏敬の念をもって

その言葉を受け入れているように見えた。

香炉の甘い香が、少しずつ重く、粘ついて鼻腔に絡む。

気分が悪くなった。

しかし、私には、それが全て偽善に満ちていることが

痛いほど分かった。

彼の瞳の奥に、冷たい嘲笑が見えた気がした。

この国がどれほど深く、そして完璧に

鬼の家に侵されているのかを実感し、

絶望に打ちひしがれる。


「どうしてこんな目に遭うの?」

「蓮はどこにいるの?」

「もしかして、もうこの世にいないの?」


……いや、違う。蓮は生きている。

そうじゃなければ、私はきっと、

こんなにも蓮の面影を追いはしない。

私は必死に自分にそう言い聞かせた。

だが、心の奥では、もう蓮は戻らないと、

諦めの色が強くなっていた。


そして、蓮もまた、この鬼の家の手に落ち、

私と同じように、あるいは私以上に苦しんでいるのだという

確信が、桜の心を支配した。

希望の光は、どこにも見当たらなかった。

喉の奥がひりつく。涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。


その夜、蛟は桜の部屋を訪れる。

彼の足音は、いつもと変わらず静かだった。

しかし、その静けさが、却って不気味に感じられた。

部屋の蝋燭の炎が揺れるたび、影が壁を這った。

その度、桜は寒気を覚え、肩を小さく竦める。

彼は私の前に立ち、冷ややかに告げる。

「次の儀式の準備が進んでいる。

お前の清めの血を、完全に器に馴染ませるためのものだ」

彼の瞳には、目的達成への冷酷な決意が宿っていた。

桜は、彼が蓮を弄んだのではないかと疑い、

憎悪の念を覚える。

しかし、同時に、彼の完璧な冷酷さが、

どこか人ならざる、寂しさのようなものを帯びているように感じられ、

複雑な感情を抱いた。

障子の端には、薄茶色の小さな染みがあった。

血だろうか。いや、そうではないかもしれない。

けれど、その輪郭が指の形に見えて、

桜は視線を逸らした。

その夜は、屋敷全体が、生贄を求める獣のように

うなり声を上げているかのようだった。

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