第4話:穢れた血、隠された真実
屋敷での生活の中で、桜は古くからこの鬼の家に仕える
老女中、お菊と密かに言葉を交わすようになった。
お菊は表向きは無表情で、感情を表に出すことはない。
彼女の顔には深い皺が刻まれ、その瞳は淀んでいた。
しかし、桜にだけは、時折、意味深な視線を投げかけたり、
誰もいない場所でひっそりと、鬼の家がいかにして
この国を支配し、どれほどの血と犠牲を積み上げてきたか
を物語り始めた。
その声は、古井戸の底から響くように低く、囁くようだった。
彼女の言葉は断片的だった。
だが、その闇の深さと、鬼の家が持つおぞましい歴史を
感じさせるものだった。
お菊は、まるで桜に何かを伝えたい衝動と、
それを悟られまいとする恐怖の間で揺れているようだった。
彼女の視線は、桜の背後に何かを見ているかのように
不安げに揺れた。
お菊は話しながら、震える手で帯を撫でた。
何度も、同じ箇所を往復する。
まるでそこに、血の染みが隠れているのでは
と思わせるほど。
その指の先は、妙に細く、冷たそうだった。
その仕草が、桜の心に不気味な影を落とす。
お菊は、慎重に言葉を選びながら、桜の家系が古くから
「清めの巫女」の血筋であること。
そしてその力が鬼の血とは真逆の性質を持ち、
鬼の血の呪いを浄化する力を持つことを、桜に示唆した。
桜の血管を流れる血が、ひどく熱く感じられた。
体内を、何かが逆流するかのようだ。
鬼の家が桜を娶った真の目的は、単なる人質や政略結婚ではなかった。
彼女のその「清めの血」を歪め、鬼の血を完全に制御するための
「器」にすることだったのだ。
お菊は、過去にも多くの清めの血を持つ女性が
同じ目的で嫁がされ、その多くが狂い、
あるいは命を落としてきたことも語った。
彼女の瞳に、遠い悲しみが宿る。
その犠牲者の中には、清らかな気を持つ少年がいたのではないか。
そう思うと、桜の心は深く沈む。
喉がひりつき、うまく息が吸えない。
吸っても、肺の奥まで届かない気がした。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
蓮も同じような運命を辿ったのではないか、という疑念が
胸に突き刺さる。
お菊の古い言葉が、桜の心を重くした。
喉が詰まる。呼吸が浅くなる。
体中の血が、逆流するかのようだ。
桜は、自身が単なる人質ではなく、
この国の運命を左右する鍵であることを知った。
大きな重圧が、桜の肩にのしかかる。
まるで、見えない巨岩を背負わされたかのよう。
同時に、自分が生まれたずっと前から、
この国は鬼の家のものだったという、
目を背けてきた真実に直面する。
人々の平穏な生活が、実はこの鬼の家の欺瞞の上に
成り立っていたという事実に、桜の心は深く揺さぶられた。
膝から力が抜けそうになる。
なぜ私はこんな目に遭うの?
どうしてこんな運命を受け入れなければならないの?
自問自答が、頭の中でぐるぐる回る。
その問いの答えは、闇の中だ。
その真実を受け入れた瞬間、桜は言葉を失った。
喉の奥から絞り出すような嗚咽と共に、
その場に崩れ落ちるように涙を落とした。
彼女の瞳からは、これまで抑え込んできた絶望と、
裏切られた故郷への悲しみが、とめどなく溢れ出した。
体が震え、呼吸が苦しくなるほどだった。
心臓が細かく跳ね、その震えが肋骨を伝い、
背筋を這い上がった。
指先がかすかに痺れ、冷たい汗がにじむ。
まるで、世界が崩れていく音を聞いたかのよう。
頭の中で、遠い雷鳴が響く。
それが、私の耳鳴りのように、ずっと鳴り続けていた。
遠い昔、蓮がくれた木彫りの守り札を握る手が、
冷たい。
その夜、蛟が桜の部屋を訪れる。
彼の足音は、いつもと変わらず静かだった。
しかし、その静けさが、却って不気味に感じられた。
部屋の四隅には護符が貼られ、
古い木の壁には薄く裂け目が走る。
そこから冷たい空気が滲み出すようで、
肩を抱くと、自分の体温が逃げていく気がした。
蝋燭の炎が揺れるたび、影が壁を這った。
その度、桜は寒気を覚え、肩を小さく竦める。
腐った木の匂いと香の甘さが混じり、気分が悪くなる。
蛟は私の前に立ち、冷ややかに告げる。
「お前の血は、我らが渇望する『器』となるだろう」
「準備はできたか?」
彼の瞳は、深く、暗い。
目的達成への冷酷な決意が宿っていた。
蛟の目が一瞬だけ私の心臓を握るようだった。
血が逆流しそうになり、喉が引き攣る。
桜は、彼が蓮を弄んだのではないかと疑い、
憎悪の念を覚える。
しかし、同時に、彼の完璧な冷酷さが、
どこか人ならざる、寂しさのようなものを帯びているように感じられ、
複雑な感情を抱いた。
彼の瞳の奥に、一瞬だけ理解しがたい、
優しさの名残のようなものを見た気がした。
……それはきっと錯覚だ。
鬼に心などあるはずがない。
私は必死に自分にそう言い聞かせた。
それは、嵐の前の静けさのように、不気味な光を帯びていた。
桜は恐怖と絶望で激しく脈打つ心臓を感じながらも、
この恐ろしい儀式が、蓮を苦しめてきた原因なのではないかという疑念に、
全身が震え、彼の冷たい視線から逃れようと必死だった。
その日の夜から、桜の周りの護符が、
かすかに光を放ち始めるのを感じた。
まるで、桜の体に宿る清めの血が、
鬼の血に反応し、悲鳴を上げているかのようだった。
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