『吠える森』ー8

 「―終わった⋯⋯か」

 夜の森を眩い黄金色こがねいろの光の欠片が照らし舞い散る中、猟銃を己の両手にぶら下げたままのシューヴェットさんがそう口にしました。 無限の闇へ吸い込まれるかのように消えていった光の奔流ほんりゅうはさながら、闇を走り抜ける狼のようにどこまでも気高く、美しく、誇りに満ち溢れたものでした。

  ―そして、そんな光の中心に居る少女も。 狼のミミと尻尾を持つその少女は暫く黙ったまま黄金色に染まった夜空を見上げていましたが、やがて光の奔流が完全に闇へ溶け消え、光の欠片が地面に触れて消滅し、再びの濃密な闇が戻ると―、


 「⋯⋯」

 少女は無言で目を閉じて数秒の間、黙祷もくとうを捧げました。それが誰に向けたものか なんて事は言うまでもないでしょう。

  少女は再び目を開くと、私とシューヴェットさんへ振り返って言いました。

 「―終わったよ」 と。 切なそうに、笑いながら。


 私は咄嗟に言葉が出て⋯⋯はきませんでした。少女の頬には、一筋の涙が伝っていたから。 ですが、私が躊躇ためらったのはほんの一瞬。

  少女―我が御主人、ティゼル様の元へと向かいます。


 「ティゼル様、大丈夫ですか?」

 やや控え目に、彼女へ声を掛けます。ティゼル様は私の心配を察したのか"ごめんね"と呟くと

 「もう大丈夫だよ。―大丈夫」 と手の甲で涙を拭いながらそう言いました。 ですが、私は知っています。ティゼル様は別に超人ではありません。普通の人より少しだけ特別なミミと尻尾を生まれ持っただけのただの女の子なのです。おまけに超が付く程の優しさ。悲しみに必死に耐えていても全くおかしくないのです。 ―ですので。


 「本当に大丈夫ですか?」

 「うん」

 「本当の本当に大丈夫ですか?」

 「うん」

 「本当の本当の本当に大丈夫ですか?」

 「うん」

 「怪我とか病気とかしてませんか?」

 「あはは、流石にしてないよ」

 「隠してるんじゃないですか?」

 「そんな訳無いでしょ。心配し過ぎだよ」


 私は怒涛の質問攻め。ティゼル様は苦笑しながら答えていました。私が"一緒に寝てあげますよ"等と冗談を言えば

 「リル、変態!」 と顔を真っ赤にして恥ずかしがっておられました。元気だなあと思いましたね。あと可愛い。


 まあ、御主人様が無事であるならば私としてはそれだけで十分。本人に直接は言えませんが、悲しんでいるより私に笑顔を見せてくれる御主人様の方が100倍素敵なのです。

  等と"心配"という名の御主人様との主従の時間を楽しんでいると。


 「―すまん、少し良いか?」

 と背後からしわがれた男性の声が聞こえてきました。私が許可していないにも関わらずその男性は無遠慮にも私とティゼル様の仲良し領域へと踏み込んで来やがりました。こちらへ近付いてくる足音からは一切の躊躇ちゅうちょがありません。何ですか と私は振り返ります。私は頑張った御主人様をねぎらっているんですよ!


 「⋯⋯ん、リルさん⋯⋯どうした?」

 まあ、シューヴェットさんなのですが。私が勢い良く"ふんがー!"等と振り返ってしまったものですからかなり戸惑ってました。


 「⋯⋯別に、どうもしてませんっ」

 「リルさんはティゼルさんの事になると、人が変わったようになるなあ」

 "ガハハ" 等と豪快に笑うシューヴェットさん。私はシンプルにムカッとしました。やはり貴方とは相容れませんね、この野郎。 ⋯⋯とまあ、おふざけなのもここまでにして。

  夜の森での化物騒動が幕を閉じ、シューヴェットさん的には気になる事や道具の撤収など色々あるはず。確かに、この森にもう化物は居ない訳なのでいつまでも長居する理由にはならないのでしょう。


 「シューヴェットさんはもうこの森を出ますか?」

 「ん?ああ、目的自体は達したからな。この森を出るくらいには陽が昇り始めるだろう。そこに合わせて旅に戻るつもりだよ。リルさん達は?」

 「私達は⋯⋯」

 私はちらとティゼル様を見た後、シューヴェットさんに言いました。

 「私達もこの森は出ようかと。元々野宿するつもりでしたけれど、色々あって疲れましたからね」 と。

 再度ティゼル様を見ると彼女も無言で頷いていました。

 「そうか、分かった。なら、今から撤収の準備をする。リルさん達はここで待っていて貰えるだろうか」

 「ええ、良いですよ」

 そう私は返事をして、頷いたシューヴェットさんが黒テントの方へ歩き出そうとして― ふと、ティゼル様を振り返り言いました。


 「―ありがとうな」 と。


 ただ一言。短いお礼でしたが、我が御主人様は笑顔で返事をしました。


 「こちらこそ、ですよ。―シューヴェットさん」


▼▼▼▼


 ここで1つ、私の独断と偏見ですが、あの化物の正体について話しましょう。 え?心当たりがあるのか ですって?

  ええ。あるから話してみようと思ったのです。



 ―まず大まかな大前提として、私含める『精霊』のことを皆さんにお教えしましょう。

   私のような『精霊』と呼ばれる存在は簡単に言うと"緑多き大自然"の中で生まれた存在であり、人間達が俗に言うところの魔法使いです。姿は私で既に御存知でしょうが丸っこい掌サイズの光体。(色は皆違います 例えば魔法の得意不得意等で) 主に草花や綺麗な澄んだ空気、とにかく自然ある場所に発生する魔力を精霊達は自身のエネルギーとしています。【自然ある所に精霊有り】と人間達はよく唱えているようですが、全くもってその通り。 精霊と自然は切って切り離せるものではありません。魔力がエネルギーという事は、逆にそういう濃度の薄い場所であればある程、精霊は生存が厳しくなっていく訳なのです。精霊の一生は自然と共に と私は生まれたばかりの頃に教わりましたが、私達精霊は基本は深い森の中や草花芽吹く場所で生まれ、その一生を終えるまでに出る 等という事は無いのですが―、


 例外が、2つだけあるのです。


 まず1つ目は国で信仰対象として信奉しんぽうされている精霊。数はかなり少なく、精霊界隈でも希少なグループとして分類されていますが、人間を利用して騙そうとする悪辣あくらつな輩が非常に多いのが特徴です。

  そして2つ目はそれよりさらに数の少ないグループ。外の世界へ飛び出し、人と契約を結んで人と共にある精霊。つまり、私のような相棒精霊 という事ですね。 さらっと言いましたが人と精霊にもそれなりの信頼関係は必要なので、そもそも人間嫌いが多い精霊にとっては人と共にあるという発想すらありません。そういった事情もあってかなりの少数派なのです。


 ⋯⋯とまあ、私のような『精霊』という存在を端的に説明したら今のような感じとなります。


 そして、この話を踏まえた上で私、ティゼル様、シューヴェットさんが対峙した化物の正体ですが―、


 『精霊』である私の観点から考察するに、あの化物も精霊の類であったのではないか―そう思っています。

   ですが問題はその先。精霊は精霊でも、【邪霊】と呼ばれる存在だった可能性が高いのです。


 【邪霊】とはその名の通り、精霊とは正反対のモノ。元々精霊ではない生物がその命を落とした時に強い怨念が残っていると一時的に異形化する例があるのです。

   全身を真っ黒い影のようなもので覆い、生前とは似ても似つかない力を発揮し、魔法すら扱ってしまう。


 そのメカニズムは未だ分かっていませんが、私がまだ故郷にいた頃【邪霊】について勉強したものと姿が酷似していた事を考えるとあの化物が元々狼だった事も納得がいくのです。



 ―私の考察としては以上でしょうか。 まあ、この話をこれ以上するつもりはありません。これ以上深掘りすれば旅に支障が出そうですし。 何より、化物と対話していた時の御主人様の優しさを、私は絶対に否定したくないのです。


△▼△▼


 「―もうすぐ、夜明けだな」


 シューヴェットさんが、そう呟きました。


 「そうですねえ」


 私はそれにのんびりとした口調で返しました。

  "ザッ" "ザッ" "ザッ"と落ち葉を踏む音が響き渡る森の中。背の高い木々が林立する道の無い道を私達は進んでいました。 時刻はそろそろ朝方―でしょうか。森の中は―いえ、世界は段々と夜明けへと近付いていました。


 時間も永遠ではありません。移ろい、それに合わせて見える景色も変化するもの。

  この森を夜の間中支配していた濃密な闇は時間の経過と共に薄れつつありました。先程まで感じていた感覚が圧迫される感じはほとんど存在しません。僅かながら先の見通しも良くなり、私達以外の生き物達の気配も徐々に濃くなってきていました。


 「そろそろ小鳥さんがさえずりそうですねー」


 私は前方を歩くシューヴェットさんにそう言いました。


 シューヴェットさんは"ああ"と答えます。

  そして、少しだけ躊躇ためらいがちに、言いました。 簡易折り畳み式の黒テントや小型カメラ、罠一式や愛用の猟銃が入ったバッグ越しに首だけ振り返って。


 「リルさん⋯⋯姿?」 と。


 その言葉の意図を汲めないお馬鹿な私ではありません。一度シューヴェットさんに微笑んでから、私は言いました。



 「シューヴェットさん。―です」 と。


 それを受けたシューヴェットさんは一瞬だけ呆気に取られた後、口端を獰猛に歪めて笑ったのでした。


 「成る程な。―分かった、黙っておくよ」



 今現在、我が御主人であるティゼル様は夜の森で起こった一連の騒動で完全にダウンしていました。つまり寝たんですね。 ただ、シューヴェットさんと同じく森は出なければいけません。 彼女の眠りを邪魔せず、無事に森から脱出させる方法。 1つだけ存在していました。


 シューヴェットさんが見つめる先―、そこにはフードは被っていませんでしたが、御主人様と同じ白のワンピースを纏った少女の姿がありました。

  少女は静かな寝息を立てる御主人様をおんぶしていました。体格は御主人様よりやや小柄ですが、力は全然ありますから、特に苦ではありません。少女は幸せそうな表情をしていました。 まあ、気持ちは分かるのですが正直顔に出過ぎでした。ちなみに御主人様の旅鞄はシューヴェットさんに押し付け―いえ、持ちかせをして貰っていました。罪悪感はありません。少女には御主人様を守る使命があるのです。重たい荷物は高身長な男性が居るならばその人に預けて良し。


 「おっ、そろそろ森を抜けるようだぞ」

 どれだけ歩いていたでしょうか。 やがて、進む先に仄かな光が見え始めていました。


 「そろそろ、お別れですね」 少女は言います。

 「なんだ、次の国まで一緒に行かんのか?」 シューヴェットさんが少し残念そうに言います。

 「ですね。私達は旅人なので。旅人にはそれぞれの物語があるんです シューヴェットさんも旅人を続けるなら大事な事ですよ」 少女は別れの寂しさをぐっとこらえて御主人様からの受け売りをシューヴェットさんへ伝えました。


 「⋯⋯旅人には旅人の。⋯⋯そうか」 シューヴェットさんは納得したように頷き。

 「なあ⋯⋯1つ、聞きたいのだが」

 「はい。何でしょう?」


 「旅を続けていれば⋯⋯ワシ等の旅路は、またどこかで交わる という事だろうか」 控え目がちに、言いました。


 何だ、貴方も少し寂しいんじゃないですか。 私は笑います。シューヴェットさんも、ちゃんと旅人でしたね。

  ですから少女は、こう言ったのです。



 「―大丈夫です。また、会えますよ。どこかで、きっと」

 少女と御主人様にとっての、自分達の在り方を肯定してくれた、大切な、感謝するべき人物へ。


 シューヴェットさんは"ガハハ"と笑った後。 再度獰猛に口端を歪めて。


 「そうだな。―それまでに、旅の土産話を沢山用意しておかないとな!」 と。


〜〜〜


 ―いつの間にか、微睡まどろみに落ちていた気がする。


 旅の猟師さんだというシューヴェットさんに協力して、夜の森で狼さんを鎮めた後、私は旅を始めてから久々にあんな運動したからなのか、糸が切れたみたいに眠ってしまった。


 その後の事は、記憶に無い。

 普通に寝ていたからなんだろうけれど、私は今の状況がよく分からない。


 私は、仰向けで寝転がっている。

 うっすらと目を開く先には無限の蒼。

 夜の森には無かった、真っ青な清々しさ。

 どうやら、陽が明けたらしかった。

 頬を優しい風が撫でた。視線を横に向ける。

 そこは、周りに遮るものが何も無い、視界360度ぐるりと見渡して全てが緑。なだらかな草原だった。


 草々が揺れる。時折優しい風が吹いては、まるでそこだけが世界と切り離されたような、気持ちの良い錯覚を覚える。

 そういえば、私、誰かのお膝元に横になっている気がする。人の温かみだ。誰だろう?シューヴェットさん? いや、そんな訳無いよね。そんなのリルが許さないだろうし。


 と、いうかリルはどこにいったのだろう―


 「ここはまだ夢の中ですよ、ティゼル様」

 そう思っていると、頭上から声がした。

 少女のような、柔らかな声。

 頭を少し傾けて視線を斜めにずらすと、見慣れない少女の姿があった。

 誰? と思ったけれど、何やら絶妙な違和感。

 何だろう?今感じたんだけど。 考えるけど分からない。

 「夢?⋯⋯って事は私、まだ寝てるんだね」

 「そうです。私はティゼル様が妄想で生み出した、少女のリルなのです」

 「そうなの?私って頭おかしい⋯⋯?」

 「まあ、元からお花畑さんなので否定はしませんね」

 「夢の中まで辛辣過ぎない⋯⋯?」


 私はここで確信する。

 うん、多分この子はリルじゃないな。

 疲れた私が夢の中であり得ないものを創り出してもおかしくないのだから。


 「ところでティゼル様」

 優しげな顔をした少女、リルもどきは私に優しく語り掛けた。 それはまるで私を労うかのような声音で。

 「うん。なあに、リル?」

 まあ、夢の中なら何を言われても自分の妄想だから平気だよね。 そう思って私はそう返事した。


 リルはまるで慈母のように私を見下ろして微笑む。

 ゆっくりと私の頭を撫でて、言う。

 「―お疲れ様です、ティゼル様」

 そう、一言。


 おや、リルにしては珍しい事を言うんだなあ。

 夢って凄い。そう感じた私は、少しふざけてみた。

 「リルもお疲れ様。―その姿、可愛いね」

 本人に言ったら間違いなく頬を染める一言。夢だし何とも無いでしょ。そう思っていたらリルもどきは何故か頬を紅色に染め始めた。 ⋯⋯え? ―かあっ、ぼふっ。


 「ティゼル様はやっぱり罪な女ですねっ! ―ぁぁ、っっ〜!!」

 リルもどきが火山みたいになった。

 夢にしてはリアルが過ぎる……。

 私はそう思いながらも、リルもどきから視線を外す。

 もう少しで目が覚めるかな。



 ―一陣の風が吹く。

 「うっ!」「風、強いですね……っ」

 急な突発的な強風に、私もリルもどきも呻く。

 でも、一瞬。

 【ワオオオオオンッ】

 どこか懐かしさを覚えるような遠吠えが聞こえた気がした。

 揺れる草々。 風の通り道を、優しく温かい何かが通り過ぎていった気もして。



 2人して、笑い合っていた。

 おかしい、本当に夢なのか分からなくなってきた。

 けど、あともう少し休んだら。



 ―大切な相棒と、また旅に出よう。


『吠える森』END


【補足】

最後のティゼルとリル(?)のシーンは現実なのか夢なのか曖昧になるような終わり方にしてみました。


シューヴェットさん、このお話に関しては近況ノートで少し裏話のようなものも書こうと思っていますので宜しければそちらもお読み下さい。


次回は恐らくですが小話を挟みます。

その次からがようやく3人目のメインキャラ登場予定のお話となりますので宜しくお願い致します。

 

 

   

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