『吠える森』ー7
とある森に、仲睦まじい狼の家族が暮らしていた。とても大きな身体をした母狼は十匹の子供達の面倒を見ながら日々を過ごしていた。
朝はまだ寝たいと愚図る子供達を優しく起こし。
まだ自力では食べていけない子供達にミルクを飲ませ。
昼になったらお昼寝の為に子供達と一緒に眠り。
夜になったら一人起きて食料調達の為に
― ― ―
育児と狩りに追われる毎日だったが、母狼にとって十匹の子供達は宝物のような存在。日々に疲弊する母狼を日々癒していたのも、また十匹の子供達だった。
だが、いつまでも平穏を
― ― ―
ある、夜の事だった。
その日も母狼はいつものように子供達を寝かせた後、狩りへ出ていた。草花や大量の獲物と共に住処へ帰る。いつもと変わりない道中、のはずだった。
だが、途中から、"本能"が何か違和感を感じ始めていた。
言葉には出来ない何かが母狼に到来する。
母狼は訳の分からない焦燥に襲われた。
何故か、今、急いで住処へ帰らなければとんでもなくまずい。そう思った。そう"本能"が訴えていた。
―走る。 走る、走る、走る、走る、走る……。
住処に辿り着く。息せき切って帰ってきた我が家。愛する十匹の子供達が待つ、母狼にとっての安らぎの場所。
が、辺りはかなり異様な有様だった。一言で言い表すのなら、変な匂いが充満していた。鼻を"つん"と刺激する、とんでもなくまずい、匂いが。
(……!?)
混乱しながら、とりあえず子供達を探さなければ、子供達が無事かどうかを確認しなければ と母狼は一歩を踏み出して―、
―ぬちゃっ。
一歩踏み出した右の脚が、嫌なものを踏んだ気が、した。
生暖かく、ねっとりとした感触だった。
それが何なのかは、直ぐに理解出来た。―いや、出来てしまった。
呆然とした。呆然として、辺りを見回せば、そこかしこに転がっている、元の原型を留めていない、何かが大勢。
一体、何だこれは? 何があった?
一気に様々な、果てしなく混ざり合った感情が、濁流のように頭へ流れ込んできて。
人間の声がしたのは、その時だった。
― ― ―
『おい!まだいたぞ!』
『でけぇな……母親か?』
『ひゃっほう!今日の晩飯は最高だな!』
複数人の男達だった。
皆、ナイフやライフルを所持していた。ライフジャケットを皆身に付けており、ところどころに、赤いものが付着していた。母狼はそれを見た瞬間、悟った。 悟って、怒りに震えた。
―こいつらが殺ったんだ。 と。怒りで目の前が真っ赤に染まった。
―■■■■■。
母狼は吠えた。 怒りのままに。
男達が、僅かに怯んだ。その隙を見逃さなかった。
母狼は男達に飛び掛かった。鋭い眼光と鋭い牙と鋭い爪を、容赦無く振りかざした。
男達は、口程にも無かった。有り体に言えば、馬鹿やカスといった感じだった。
『う、うわあああああっ!』1人が、ナイフを放り出して逃走。その背に深く深く爪を突き刺して男を黙らせた。
2人目も、簡単だった。銃を手にしていたが、向かってくる自分に対してしっかり目標が定まっていなかった。銃を構える両の手が"カタカタカタ"と震えていた。口を大きく開け、その獰猛な牙で、その不甲斐なさごと一気に噛み砕いた。残るは1人。だが、見当たらない。どこだ―
"ドガン"ッ!
重厚な銃声が、響いた。
身体がよろめく。"どしゃあ"っと大量の葉の上に倒れた。
"ざまあみやがれ!"と声が聞こえた。
木陰に隠れていた最後の1人はそう言って仲間を見捨て、その場から逃げ去っていった。
(おのれっ……!下衆がぁっ……!)
追いたかった。だが、無理だった。
ライフルから発射された
(我は不甲斐なさ過ぎる……)
段々と遠ざかる意識の中。母狼は十匹の子供達に深く謝罪した。そして、自身の不甲斐なさを心底嘆いた。住み心地の良さそうな森に子育ての場所を選んだのは良かったが、その結果がこれだ。 条件の良い場所には、良からぬ考えを持つ人間が侵入する事があるとまだ幼かった頃に教えてもらったのに―。
(済まぬ、我が子達よ。我は……とんだ大馬鹿者だな)
目を閉じ、意識を手放した。
その瞬間、身を真っ黒いものが覆っていくのを最後に自覚しながら。
△▼△▼
「―私は信じますよ。ティゼル様のこと」
シューヴェットさんの拠点に戻る途中、私の相棒で精霊なリルはそう言って私のことを信頼してくれた。信頼って不思議な2文字だと思う。リルとはもう2年もの付き合いだから、私の大抵の発言に対して疑ったり、嘘だと遠ざける事はほとんど無い。(自意識過剰)けど、その信頼がシューヴェットさんにも当てはまる なんて。悪く言えば今日会ったばかりの他人なのに、私の奇妙奇天烈な発言を、シューヴェットさんは疑うことなく信じてくれたのだ。それを何故?どうして?なんて問い詰めたりはしない。答えはもう出てるんだから。
「―しかし、ティゼルさんの話が確かならばまだこの戦いは終わっていないのだろうな」
私とリルの後方を歩くシューヴェットさんがそう呟いて、私は"そうですね"と頷いて。ついさっき2人と交わした、数分前の会話を思い出した。
『―記憶が見えた、ですか?』
謎の大きな化物をとりあえず追い払った後。私は化物に襲われた時に感じた普通じゃあり得ない出来事を、リルとシューヴェットさんにそう話していた。
『⋯⋯うん。さっき襲われた時にね、あの一瞬の間に、私の頭に流れ込んできたの』
記憶が流れ込んできた。 説明しようにも、他に表現するべき言葉が見つからない。私は化物に襲われてリルに助けられたあの一瞬の間で、化物と直接目が合った。逃げなきゃいけないのに、化物の細長く凶暴な眼差しに私は何故か目を離せなくなって、迫りくる獰猛な牙をただ為す術も無く見つめていた―はずだった。 でも、リルの魔法が飛んでくる寸前、頭に痛みが走って、流れ込んできたのだ。恐らくあの化物の記憶らしき映像が。
『不思議な出来事だな。ティゼルさん、体調に変化は?』
シューヴェットさんがそう聞いてきて、私は答えた。
『変化とかは特に無さそうです。ただ⋯⋯』
『ただ?』
『私、あの狼さんの事を"可哀想"って感じてて⋯⋯』
『―ふむ。ティゼルさん、詳しく聞かせてくれ』
『⋯⋯はい』
それから私は、自分が垣間見た化物の記憶らしき映像の話を2人にした。信じて貰えるか分からなかったから少し自信無さげに、余りにも悲しい運命を辿った一匹の狼の話を。
私が話し終えると、リルはすかさずこう言ってくれた。
『ティゼル様が嘘なんかついても何のメリットも無いですからね』 と。優しい口調だった。
『リル。私の話を信じてくれるの?』
『当たり前じゃないですか。ティゼル様は私の御主人様です。御主人様を信じない相棒がどこにいますか!ティゼル様は可愛い、正直、天使の三拍子揃った全世界信仰必須の神なので!』
『あはは、私ってば飛躍し過ぎ⋯⋯』
この子、いつか冗談抜きでティゼル教とか始めそうで怖いな⋯⋯。リルに少し緊張を和らげてもらった気がして、私は次にシューヴェットさんへ視線を向けた。シューヴェットさんは何かを考える素振りをしていた。正直、また怖くなっていた。私が半獣だってことはすんなり受け入れてくれたけど、こんな、取り留め無いような、根拠の全然存在しない話も信じてくれるのかなって。 でも、またしても私の杞憂に終わったのだ。
『―ワシも信じるよ。思い返せば、あの化物には常識では計り知れない事ばかりだ。真実を己の目で見極めるのも、旅人 なのだろう?』
ガハハと豪快に笑って。ああもう、私って馬鹿。
リルとシューヴェットさん。2人が居るなら、私は―。
私はある事を決意すると、2人に言ったのだった。
『この夜の決着を付けにいこう』 と。
なんて、そんな感じの出来事があって。私、リル、シューヴェットさんは拠点である森で一番開けた場所へと戻ってきた。木々に四方八方を囲まれて、天上は吹き抜けになってるみたいにどこまでも無限の闇が広がっている。ふと視線を別の箇所に向けてみれば丸くて綺麗な銀色の光を放つ満月。地面は落ち葉や枯れ葉で一面覆われていて、その一番奥にシューヴェットさんの立てた簡易な黒テントがあった。
「―ここで、本当にそんな事が起こっていたとは到底思えんな」
「そうですね。でも、それならここだけ狙われなかったのも納得じゃないですか?」
「そうだな。―複雑な気持ちではあるが」
「⋯⋯ですね」
リルとシューヴェットさんがそう会話をしていた。私はそれを聞きながらこの拠点周辺の中央に立って、目を閉じながら考えていた。
ここに戻って来てから、リルやシューヴェットさんと共に色々と痕跡が無いか探してみた。けれど、もうあの記憶の中の出来事はかなり前だったのか何も見つけられなかった。正直なところ、木の幹がべったりしてるとか飛び散った跡が見えるとか、葉をどかして地面を掘り返す勇気なんて無いからこれで良かったと思ってる。実際に見てしまったら、私はリル無しじゃ絶対に耐えられない。
真夜中のひんやりとした空気が辺りには流れている。
私は一度深呼吸をした。大丈夫、身体はまだ動かせる。後ろを振り返った。リルとシューヴェットさんが居る。さっき私はリルに私の決意を伝えた。リルは静かに聞いてくれていた。何か文句を言われるかなと思っていたけれど、リルはたった一言だけだった。
―信じています。
私はリルに感謝しないといけない。これから危険な事を1人でやるのを、許容してくれたから。
化物―狼さんの記憶が私に流れ込んできたのは、きっと偶然じゃない。私だった事に、意味がある。
だから。
「―ねえ、狼さん。私と少しだけお話しない?」
右の掌を、何も無い虚空へ向けて差し拡げた。
その直後。
▼▼▼▼
―端的に言うならば、自分は、死んだはずだった。
憎たらしい人間の持つライフル銃で撃たれ、もうどうしようも無い程に命を破壊され、失った子供達の
だというのに。
―目が覚めた。大いに困惑した。
一体何故?消えたはずの自身の命が、エネルギーが、まだ身体中を駆け巡っている。
不思議な高揚感もあった。何でも出来そうな無限の気力が湧いてくる。
"むくり"と身体を起こしてみる。もう、血も流れていなかったし、撃たれたはずの傷も無くなっていた。
しかし、そこである事に気付く。
―身体が、真っ黒だった。驚きで軽く目を見開く。
目を向ける箇所、全てだ。かろうじて、感覚で目や脚、牙などの部位は"ある"と確認する事が出来た。
不思議な気分だった。全身を、影で包まれたような。
死んだはずの自分に何が起こったのか。全く持って意味が分からなかった。 もしかしたら、ここが既に死後の世界である可能性もなくはなかった。 ―が、特にそんな事を言及するつもりも、無かった。
『ワオォォォーンッ』
試しに吠えてみたら、夜の真っ暗闇に溶けて消え行くように綺麗な遠吠え。気持ちが良かった。
―一走り、したくなった。
― ― ―
それからは、毎晩毎晩、森を疾駆するようになった。
走る前は、必ず吠える。自身に
誰も邪魔者が居ない夜の森を、ただに、ひた走り続けた。
憂さ晴らし。これが一番近かったのかもしれない。
ただ森をひた走っているだけで、人間から受けた理不尽な閉塞感から段々と解放されてゆく気がした。
今の自身が影だろうが風だろうが何だろうが別に良かった。今の自身は、万能感で満たされているのだ。
―だというのに。
一週間程前、邪魔者が現れた。 人間だった。
あの日と同じ、銃を持った人間。
怒りを覚えた。激しい憎悪が、己が肉体を内側から突き破って溢れそうになった。
―■■■■■。そう思い襲い掛かったが、仕留められなかった。妙に勘の働く人間だったのだ。
仕留め損ない、それから暫くはその人間は姿を現さなかった。だが、今日、この日だ。人間は再び現れた。"少女"と"精霊"を伴って。
だが、恐れるには足らなかった。何人来ても同じ事、何人掛かりで殺しに来ても無駄。また、あの時のように。同じ
そう思っていたのに。結果論から言えばその人間と少女と精霊に良いようにあしらわれた。
少女を執拗に狙ったが、まるで自身の行動が読まれているように攻撃を全て避けられた。少女とは思えない身体の動かし方なのも気に喰わなかった。そしてそのまま冷静さが無くなり、銃を構えた人間に容赦なく撃たれた。今の身体で痛い 等と感じる事は無かったが、それでも油断したのは確かで、憎悪の炎が自身を灼き尽くしていくのが分かった。そして、極めつけがあの精霊だ。自身を倒したと思い込み油断する少女へ噛み付いた刹那、魔法が数発飛んできた。炎の魔力弾。触れただけで熱いと感じたそれは自身を軽く森の奥へ吹き飛ばした。 精霊が何故、人間の味方をしている? 怒りと混乱でどうにかなりそうになりながら、ふらふらとよろめき立つ。 夜はまだ終わっていない。終わっていないなら、やるべき事は1つだ。 ―人間は、人間だけは。必ず■■。
△▼△▼
―確信みたいなものがあった。あの狼さんは多分私を一番狙ってるって。リルの魔法でも完全に倒し切れていないとしたら。 私達を追ってくるんじゃないかな。私の見たものが本当にこの場所で起こっていたのなら。
―多分、本当の意味で狼さんの悲しみを受け止めてあげられるのは、私なんだって。 何となく、分かる。
だから。
「ティゼル様っ!!」 「ティゼルさん!」
リルとシューヴェットさんの血を吐くような絶叫が聞こえて。
『―憎き、人間共が』
無限にも思える闇を引き連れて真っ黒な感情で全てが包まれた狼さんが姿を現して。
『我の大切なものを壊し続ける人間など、要らぬ!!』
激情を
「大丈夫だよ」
根拠の無い一言を、安心させるように私はそう言った。
▼▼▼▼
やはり、人間は狼にとって害悪だ。
化物は怒りのままに、強く強く
直ぐに奴らの後を追った。幸いしていたのは、一切物音がたたない事。先程は失敗したが、今度は完璧に背後から奇襲して、噛み■■■やる―。
奴らの後を、慎重に付いていく。 ⋯⋯が、段々と物凄く強い嫌悪感と閉塞感が周辺に漂い始める。
覚えのある感覚だった。 相当に嫌な予感がした。
―そして、その予感は的中する。
少女達が向かっていたのは、森の一番中心。木々に囲まれた開けた場所で、かつて十匹の子供達と暮らしていた場所に黒いテントが立っていて。
―この人間達もかつて大切だった住処を荒らそうと。
それだけで、再度襲う理由には十分過ぎて。
―■■。
化物は迷う事なく、少女へと襲い掛かった。
今度は明確な殺意を掲げて。
だが。
(―何故だ⋯⋯?)
化物は大いに困惑した。
―少女が安心させるように微笑んでいたから。
それに。
先程は気付かなかったが、少女にはよく見ると化物と似たようなミミと尻尾があった。
『―ッ!!』
獰猛に開かれていた口は閉じてしまい、牙も引っ込み、少女に対して振り下ろそうとしていた凶暴な爪も、そのどれもが少女を傷付ける事が出来なかった。
不思議な雰囲気を持つ少女だ。頭に付いている狼のミミと、長く丸っこい尻尾。その部分は間違いなく自身と同じ獣のモノで親近感のようなものを覚えるのに、姿は人間。怒りや憎悪の感情があるのも確かだった。
■■■と思えばいつでも出来る。だが、そう出来なかった。本能が、叫んでいるのだ。 ―この少女を■■■はならないと。
「狼さん、私と少し話さない?」
そして、そんな少女はあろうことか、自身に対して対話を持ち掛けてきた。
ふざけている。人間が我と対話だと? そう思ったが、抵抗出来なかった。 少女の声に、包容力がある。素直にミミを傾けたくなるような、安心感があった。
『―人間と話す事など無い』
試しにそう口にした。
少女はかなり驚いた顔をしていた。まさか、喋れない とでも思っていたのだろうか。一方的に自身と話すつもりだったのだろうか。 ―馬鹿馬鹿しいことこの上無い。
『―貴様は、獣か?それとも人間か?どちらだ』
馬鹿馬鹿しかったが、どうしてこの少女に関心が出たのかが気になり、つい、自身から質問していた。
少女は一瞬何を言われたのか分からない といった表情をしていたが、自分のミミと尻尾を見て"ああ"と納得すると
「私は、どちらでもない かな」
そう、笑って言った。
そして、奇妙な事を言ってのけたのだ。
「うーん……表現が難しいんだけど、人ではあるんだけど獣ではない⋯⋯みたいな?いや、違うな。獣なんだけど人⋯⋯何言ってんの?私」
本当に、何を言っているのか意味不明だった。
呆れて、この話は終わりにした。
『―貴様は何故、この森へ立ち入った?』
質問を変えた。返答次第ではまた少女を襲うことになるだろう問いだった。さあ、人の本性を見せてみろ。本当は、今すぐにでも我を倒したいのだろう?
だが、それにも少女の答えは期待外れも良いところで。
「あ、それはね。単に休憩する為だったんだ。一晩ここで野宿して明日の朝に出発するつもりだったの。だけどまさかこんな事になるなんて思わないからね。―ふわあ」
何なのだ、この少女は。
狼には、恐怖や敵意の感情を持つ人間だらけだ。
そのせいでいちいち住処を変えなければならなかったし、ようやく落ち着いて、子宝に恵まれて、幸せだと感じていた矢先の人間だ。自然と共生する事を知らないクズ共のせいで、皆■■■のだ。
この少女も信用ならないはずなのだ。
はず、なのだ。
「私も最初は貴女の事を倒すつもりだった。―でも、貴女の"悲しみ"が流れ込んできたから。だから私は」
少女は自身を見つめながら、真剣な眼差しで、続けた。
「私は―貴女とちゃんと、向き合おうと思ったの」 と。
―向き合う。この我と。
その言葉の意味を、暫く考え。
―。 ふざけるな!!
再び、怒りで目の前が真っ赤に染まる。
少女に爪を振り上げ、咆哮する。
我の苦しみが人間如きに分かってたまるか―!!
しかし、少女は怯むことなく自身を見上げると
「そうだね」 と言った。
少女の白く柔らかくそして
「私は人だけど獣だし、獣だけど人。だから、狼さんの苦しみを完全に分かってあげられる事は無いよ」
「でもね、たった1つ言える事がある」
少女はそこまで言うと自身に近付いてきた。
逃げようとしたが、身体が動かなかった。
そのまま少女は真っ黒で埋め尽くされた巨躯に抱きついた。
不思議と、振り払おうとは思わなかった。
「―ねえ、狼さん」
少女は、言う。
「―怒りだけに支配されたら子供達を失った悲しみさえ忘れちゃうよ。私はそんなの、寂しいと思う」 と。
少女の言葉が、何故だろう、悲しい程染みる。
「世界には色んな人が居る。貴女を■■■みたいに、悪い考えを持つ人だって沢山居るよ。そして、そういう世界はずっと変わる事は無いんだと思う。 ―でもね」
だから、素直にこの言葉が聞けたのだろう。
少女は自身に微笑みを向けて、言った。
「そんな人達と同じくらい、いや―それ以上、貴女達と分かり合おうとする人間が居るって事も知って欲しいな」
ああ、そうか―。
ようやく、納得した。
自身が一番殺したかったのは―。
『一つ、聞かせてくれないか』
自然と口が開いていた。
「うん。なあに?狼さん」
少女も自身に抱きつくまま、そう言った。心地良さそうに、温かそうに、していた。
『―貴様の、名を聞きたい』
この言葉も、自然と出た。
少女は軽く目を見開いたが、直ぐに
「ティゼル。私の名前だよ、狼さん」
そう、言った。まるで、昔からの親友と話しているような穏やかな口調だった。
ティゼル、か―。
狼は思った。 とても愛おしい名前だと。
少女を見下ろす。自身と比べたら小さくて、
温かい。安心する。そんなはずは無いのに、我が子のような愛しさが、少女にはあった。 だから。
『ティゼル。―懸命に生きよ。この世界を』
自身が言えたことでは無いが 等と自嘲する。
少女―ティゼルはたった一言。
「ありがとう。狼さん」
優しく、お礼を言って。
心の底から、満たされた気がした。
今まで覆われていた闇から解放された気分だ。
「ふふっ、狼さんかっこ良くて、優しい目をしてたんだね」
少女が言う。そうか、確かに、元々狼なのだから当然だな。
『そうだな』
ティゼルに優しく返事をして。
狼はどこまでも続いていそうな真っ黒闇を見上げた。
今日は満月だった。銀色の月光が冴えている。森全体に綺麗な光のカーテンが掛かっているようだった。
どうせなら、狼らしい最期でこの世を去るとしよう。
そう考え、ティゼル―愛しい我が子へ向けて一言、"さらばだ" と言い。
『―ワオォォォォォン!!』
最期の遠吠えが闇へ溶けて消え行き。
自身も光の結晶となって、森を明るく照らした。
【補足】
自分の描きたいものを詰め込んだ結果凄く長くなりました。
読み辛かったら申し訳ないですm(_ _)m
次回でようやくラストです。(次回は短いです と言いつつそこそこはあります⋯⋯)
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