第5話「祈りは、誰のために」

夕暮れ、ミヨリノキの根元にある祭壇広場では、静かな神事が進められていた。


 サクヤは巫女装束を纏い、膝をついて両手に白い花束を抱えている。

 その姿に、他の若い巫女たちが一輪ずつ花を手渡していく。


「……この子の分です」

「どうか今日も、安らかに繋がりますように」


 手渡された色とりどりの花は「守花」と呼ばれ、咲いた証、寿命を繋ぐための印だった。

 サクヤは慎重な手つきで、それらを祭壇中央の水皿へ滑らせていく。

 夕日が差し込み、浮かんだ花々が光を反射してきらめいた。


 その背後で、集まったトキノビたちが静かに跪く。


「……ありがとう、ミヨリ様」

「……今日を、生きられる」


 サクヤは振り返り、一輪ずつ丁寧に花を手に取っては人々に配る。


「どうか、少しでも長く――」


 受け取った老いたトキノビは、深く感謝の笑みを浮かべた。


「咲かせた子たちに感謝だね。……次は誰が、咲かせるのかねぇ」


 サクヤの籠に、最後の一輪が残された。

 彼女はそれを見つめ、胸の奥に微かな痛みを感じる。


「……わたしの花は、まだ咲かない」


 俯瞰で見下ろすと、花を受け取ったトキノビたちが整然と花を口にしていく。

 それはまるで、言葉のない祈りを交わす神事のようだった。


 風がひとすじ流れ、霧がわずかにその身を引く。


 サクヤは空になった籠を抱え、静かに立ち尽くしていた。


「明日もきっと、この場所にいる。……咲かせるその日まで」



 黄昏時の光が柔らかく庭を包む中、祈りを終えたサクヤが帰路につこうとしていた。

 ミヨリノキの外苑で、ローズが彼女を迎える。


 ローズは微笑みながら、そっとサクヤの髪に手を伸ばした。


「今日もとても、清らかだったわ。あなたの祈りは風の香りまで変えるのね」


「……そんな、大げさです。わたし、今日はミスもしてしまって」


 サクヤは照れたように微笑むが、ローズはその顔へとさらに距離を詰める。


「その小さな失敗すら、愛おしいのよ。サクヤ、あなたが咲かないなら、世界の理の方が間違っているの」


「あなたは私の側にずっといてくれるだけでいいの」

 

その言葉に、サクヤは返す言葉を持たなかった。

 ローズの指先が、サクヤの額にそっと触れる。

「……はい」


 わずかに体が硬直するも、拒まない。

 その様子を、遠く木陰から誰かが見ていた。


 シデだった。



 木々の隙間に身を潜めながら、シデはふたりの姿を凝視していた。


「また……あの場所で二人きり……

 あんな顔、誰かに見せるなんて……」


 幼き日の記憶がふとよぎる。

 まだ幼いサクヤとシデが手を繋ぎ、花咲く儀に臨んだ、懐かしいあの夜。


 胸を押さえ、唇を噛む。

 震える手を握りしめながら、静かに呟いた。


「きっと私がサクヤを……」



 その夜、セレスの部屋を訪ねる者がいた。


 扉が静かにノックされ、セレスが応じる。


「……どうぞ」


 現れたのは、シデだった。

 うつむいたまま、彼女はかすれた声で言った。


「……少しだけ、お時間をください。私、話さなければならないことがあって」


 セレスは静かに頷き、椅子をすすめる。


「わたし、サクヤの花が咲かなかったの……きっと……私のせいなんです」


 その言葉に、セレスはまばたきを一つして、静かに問い返す。


「理由を聞いてもいいかな」


――つづく。


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