第6話 巫女候補

「シュウ〜! マッサージしてー!」


 ドタドタと廊下を走る足音が、静まり返った教会内にけたたましく響きわたった。

 その音が治療室の前でぴたりと止まったかと思えば――


 バンッ! と、容赦なく扉が押し開けられた。


 勢いそのままに中へ飛び込んできた影が、弾丸のように俺へと飛びつき、ぱっと顔を上げる。


 やってきたのは、十歳ほどの少女。

 長い青髪を左右に結ったツインテール。

 瞳はやんちゃな光を宿し、口元には何かを企んでいる時のいたずらな笑み。


「ノーラ……またお前か。俺はマッサージ屋じゃなくて、れっきとしたプリーストだぞ。ほら、帰った帰った」

「いーやぁー! シュウにマッサージしてもらうのっ!」


 返ってきたのは、ガキ特有の駄々っ子モード全開の声。

 治療台にひょいと飛び乗ったノーラは、出ていく気などさらさらないという態度で足をバタバタさせる。

 その小さな足が台をトントンと叩くたび、俺の神経は少しずつ削られていく。


「俺は治療のために仕事してんだ。お前みたいに暇つぶしで来る相手に時間は使えねえ。それに……お前、お金持ってないだろ。ほら、さっさと出て――」

「――私の体、隅々まで触ったくせに」


 悪びれもせず、さらりと放たれたその言葉に、思わず眉が引きつった。


「お前なぁ……あれは治療のためにしょうがなかったんだよ。誤解を招くような言い方すんな」

「ねえ、私って結構可愛いよね? 将来はきっと美人になると思うんだ〜」


 人の話を聞く気ゼロ。完全に自分のペースだ。

 確かに今はまだ幼い顔立ちだが、その目鼻立ちには将来の美人の片鱗が見える。

 ……ただし、現時点ではつるペタ。ガキに興味はねえ。


「将来どうだろうが、今それは関係ないだろ。いいから――」

「つーかまーえたっ! んちゅ〜〜〜〜っ」

「っ!? 離せコラ!」


 施術台から引き剥がそうと身を乗り出した瞬間、ノーラが俺の体をぐいっと引き寄せ、そのまま押し倒すような形に。

 気がつけば、俺がノーラの上に馬乗りになり、さらに両足で腰をがっちりホールドされていた。


 ――ガチャリ。


 そのタイミングで聞こえた、扉の開く音。

 背中を冷たい汗が伝う。嫌な予感しかしない。


 ゆっくりと振り返ると、そこには修道服を着た一人の少女。

 ウィンプルの下から流れる長い青髪――顔立ちはノーラとよく似ており、しかし雰囲気は真逆。きりりとした瞳が、状況を見て一瞬で鋭く細まる。


「……変態」

「いや、わかるだろ? 俺からやったんじゃないって、ちゃんと見ればわかるだろ」

「っ! 変態! 変態! 変態! 変態! 変態! 変態! 変態! 変態!」


 怒涛の連呼と共にずかずかと近寄ってくる彼女――アミリアは、俺をノーラから引き剥がそうと腕を伸ばす。


「ちょっ! バカ! アミリア、いてえって! やめろ!」

「離れなさい、この変態プリースト! あなたみたいなのがいるから、ノーラは、ノーラは――!」

「んちゅ〜〜〜っ」


 前からはノーラが再びキスを仕掛けてくる。

 俺は前後から同時に引っ張られ、完全に身動きが取れない。


 だがアミリアの力が勝ったのか、ついにノーラの足のホールドが外れ――


「うおっ!?」

「きゃあ!?」


 その反動で、俺はアミリアごと床に倒れ込む。


 ――もにゅ。


 右手に伝わる、やわらかく温かい感触。

 目を開ければ、俺はアミリアを押し倒し、その胸をしっかりと鷲掴みにしていた。


「わかるよな? これは事故だ。不慮の事故なんだ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


 アミリアの顔が瞬く間に真っ赤に染まり、そこから放たれる殺気は剣より鋭い。

 横で見ていたノーラが、ぽつりと呟く。


「シュウって、見境がないね」


 お前だけには言われたくねえ。


「変態クソプリーストぉ〜〜〜ッ!!」


 直後、頬に叩き込まれた強烈なビンタの衝撃が、俺の体を壁際まで吹き飛ばした。

 ……なんでシスターってのは、こうも暴力的なのが多いんだ。


 ◇ ◇ ◇


「なんだい、何かあったのかい?」


 その夜。

 俺の家の食卓を囲んでいたのは、俺とオウジ、ミゼット、そしてアミリア。


「な、なんでもありませんっ」


 テーブルの反対側で、わざと距離を取りながら座るアミリアは、そっぽを向いてババアの問いに短く答えた。


「まあ、シュウの赤く腫れた頬を見れば、大体察しはつくけどね」

「ほんとだよ。不慮の事故だってのに、いちいち怒りやがって」

「それはあなたが……私の胸を……っ!」


 必死に弁明するも、アミリアは全く納得していない。

 俺としては、本当に事故だったので悪いとは思っていないが。


 そもそも今日アミリアがここにいるのは、胸に下げた金色のロザリオ――それが理由だった。


「――聖獣様が仰られた通り、私が巫女で、その巫女候補がアミリアだよ」


 鹿の聖獣――ケリュネイアが言っていた巫女。

 盟約を結び、更新し続けることで村と森を守る存在。

 その毛並みを磨いてやっているのも、ババアとアミリアだという。


「そうだよな。この金のロザリオを持ってるのは、俺含めて三人だけ。教会で働くアミリアが候補なのは当然か」


 アミリア・フェレノス。十五歳。

 俺が村に来た三年前から既に教会で働いており、おそらく最初から巫女候補だったであろう人物。


「なぜこんな変態プリーストが……ミゼット様、本当に何かの間違いでは?」


 変態なのは俺じゃなく、スキルの仕様だ……たぶん。


「アミリア、シュウの治療スキルは本物だよ。それにこれほどの奇跡を起こせる存在は世界を見ても珍しい。だから聖獣様の守護を得るため、ロザリオを渡したのさ」


 思えば、俺を森で最初に見つけたのもババアだった。

 そして引き取られ、姓まで授かり家族にしてくれた裏には、何か理由があるのだろう。


「そういや、なんでババアは俺のスキルを知ってたんだ?」

「言ってなかったかい? 私は<鑑定>持ちだよ。相手のステータスや使える魔法、所持スキル、本名や偽名まで見える」

「……そうか。だから怪しい俺を受け入れたわけか」

「あなた、本当にミゼット様のこと知らないのね。これだから変態プリーストは」


 今の話に変態は関係ねえ。

 だが俺は二人の過去には興味がない。育ててくれている、それで十分だ。


 二階のジジイの部屋に置かれた四人の男女が並んでいる古い写真。

 若き日の二人はイケメンと美女であり、只者ではない気配を纏っていた。


「それに、聖獣様からもらったんだろ?」

「ああ、この指輪な」


 右手中指に光る水色の宝石の指輪。ケリュネイアから授かったものだ。


「絶対になくすんじゃないよ」

「わかってるよ。……これについて、他には何か言わないのか?」

「聖獣様が渡したんだ。シュウならうまく使うだろう」


 ババアは<鑑定>によって、効果を知っているはずだ――魔法やスキルの効果を反転させる指輪だと。


「変なことに使ったら許さないんだからねっ」

「へいへい」


 アミリアは俺を全く信用していない。

 だが彼女の妹であるノーラを一度、俺の治療で救っている。子供特有の重めの風邪だったらしく、俺は<完全解呪>が指示した全身マッサージで治したのだ。

 それ以来ノーラは懐いてくれたのだが、アミリアがその治療方法を聞くと、「変態が伝染る」とノーラを近づけないようにしている。


 その夜は、ジジイが昔モテすぎて節操がなかった話を聞かされ、俺も同じようになるんじゃないよと釘を刺されたのだった。



 ――そして翌日。


 アミリアが、生死の境を彷徨うほどの高熱を出し、俺は早朝、ババアに叩き起こされることになる――。





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