第7話 火傷熱 ※
「……熱い……っ、熱いよぉ……っ」
掠れた声で吐き出すような呻きが、薄暗い部屋にこだました。
少女は首筋を掻きむしり、汗で貼りつく髪を振り乱しながら、ベッドの上でもがき苦しむ。
吐き出す息は熱を帯び、体中から滲み出る汗は尋常ではなく、胸は激しく上下している。
全身が燃えるような感覚――今すぐにでも衣服をすべて脱ぎ捨ててしまいたいほど、体温が狂ったように上昇していた。
「アルテミシア様……ケリュネイア様……っ」
微かに震える唇から、信仰する神と、その眷獣でもある聖獣の名がかすれるようにこぼれる。
少女はそれにすがるように、己の熱病が収まる瞬間を、ただひたすら待ち続けていた。
◇◇◇
「――ミゼット様! ミゼット様っ!」
早朝。空はまだ淡い藍色を残す時刻。
その静けさを破るように、ミレイスターの家の扉が勢いよく叩かれた。
現れたのは息を切らし、焦燥を滲ませた一人の女性だった。
「なんだい、こんな朝っぱらから……」
「アミリアが! アミリアの熱が収まらなくて……! 今までにない高熱なんです! お願いです、診ていただけませんか!?」
切羽詰まった声。
その必死さに、ミゼットの目がわずかに鋭くなる。
「アミリアが……わかった。あんたは家で待っておれ」
「あ、ありがとうございます!」
深々と礼をして駆け戻っていくアミリアの母親。
その背が見えなくなるより早く、ミゼットは厨房に向かっていた。
棚からフライパンとおたまを取り出し、手に持つと、まるで戦場へ赴く兵士のような足取りで二階へ。
そして、目的の扉を勢いよく開け放つと――
「起きなーーーーーっ!!」
ガンガンガンガンッ!
「うわあああああ!? なんだぁっ!?」
フライパンをおたまで叩きまくる金属音が、容赦なく眠気を吹き飛ばす。
その被害者は、ベッドでまだ夢の中にいたシュウだった。
◇◇◇
「ねむい……」
「いいから、さっさと歩く!」
まだ午前五時。いつもなら布団の中でぬくぬくと夢を見ている時間だ。
だが俺は、ババアに叩き起こされ、寝ぼけ眼のまま修道服を身にまとい、半ば強制的にアミリアの家へ向かう羽目になっていた。
道中で聞いた話によれば、アミリアは高熱を出し、危険な状態らしい。
熱といえば、村の薬師が調合した風邪薬を飲めば大抵は治る。
ババアだって、俺ほどではないが光魔法の<キュア>で、ある程度の状態異常は治せる。
しかし、万能ではなく、熱そのものに効くとは聞いたことがない。
だから俺が呼び出されたというわけだった。
「アミリアを見せな!」
「ミゼット様!」
家に到着すると、そこにはアミリアの両親と、まだ眠そうに目を擦るノーラの姿があった。姉の一大事に、必死で起きてきたのだろう。
案内されてアミリアの部屋に入ると、そこは彼女らしい可愛らしさに包まれていた。
棚や机、ベッド脇には、小さなぬいぐるみが所狭しと並んでいる。
この村に出入りする商人が持ち込むこともほとんどない物のはずだ。
おそらくアミリアか母親が一針ずつ縫い上げたのだろう。
そしてベッドの上――
苦しそうに眉を寄せ、布一枚で横たわるアミリアがいた。
なぜか上半身裸だった彼女は着ていたであろう寝間着が体の上にかけられている。
もしかすると、熱による熱さで脱いでしまったのかもしれない。
故に胸の一部や、へそまでが無防備に覗いており――
……いや、さすがに今は興奮してる場合じゃない。
欲情しそうになる下半身を、心の中でタコ殴りにしながら、ババアと共にベッドへ近づく。
「――<鑑定>」
ババアが右手をかざすとスキルを発動。
すぐに手を下ろした彼女の口から、低く重たい言葉が落ちる。
「これは……『
「『火傷熱』……?」
聞いたこともない名前だ。
「ある虫から感染して発症する熱だよ。普通、人間の免疫力なら感染はしないはずなんだが……アミリアは運悪くかかってしまったらしい。このままじゃ危険だ」
「普通の熱じゃないってことか?」
「ああ。体が火傷したみたいに熱くなって、とんでもない高熱が出る。そこらの薬やポーションじゃ効かないし、私の<キュア>でも治せない……治せるのは、お前だけだ」
説明を聞いても、まだ全容はつかめない。
だが「火傷のような熱」という一言だけで、その危険性は察せられた。
前世の知識が脳裏をよぎる。体温が四十二度を超えれば、脳は深刻なダメージを受け、命さえ危うい――。
迷っている時間はなかった。
昨日まで元気に口喧嘩をしていた顔が、今は苦痛で歪んでいる。
この変化を見せられて、放っておけるはずがない。
「シュウ……お願い、アミリアを助けてあげてちょうだい」
「お前しかいない……頼んだぞ」
「シュウ……おねーちゃんを助けてあげて……」
家族それぞれからの切実な頼み。
俺は静かに頷き、右手をかざした。
途端、脳内に<完全解呪>の発動条件が流れ込んでくる――だが、内容を見てゴクリと息を呑んだ。
「………………」
……うそ、だろ。
治療はできる。だが指示はこれまでで最も細かく、あまりにも踏み込んだ内容だった。
ババアが危険と口にした意味がよくわかる。
「アミリアの母さん。悪いが、俺とアミリアだけにしてもらえるか?」
「わかったわ……アミリアも死ぬよりはマシでしょうから……何をしても文句は言わないわ」
「お、おう……」
アミリアの家族は俺のスキルの性質を知っている。
治療がセクハラまがいになる可能性も、理解しているのだろう。
だからこそ、その言葉が出た――父親の複雑そうにしている顔は直視できなかったが。
全員が部屋を出る直前、ババアが小声で耳打ちしてくる。
「シュウ。お前には伝染らないから、安心してやりな」
「……? ああ、任せとけ」
意味はよくわからなかったが、今は気にしていられない。
「熱い……熱い……肌が焼けそうだよぉ……っ」
「アミリア……俺が治してやるからな……あとで殴るのだけは勘弁してくれよ……」
熱にうなされ、俺の存在も感知していない様子。
俺は修道服を脱ぎ捨て、上半身裸になってベッドに上がる。
「熱っ……でも、まだ……」
彼女の頬に触れた瞬間、手のひらに伝わる異常な熱。
一晩も持たないかもしれない――そう直感するほどだった。
仰向けの彼女をそっと横向きにすると、汗ばんでいる白い背中が露わになる。
俺は背後からぴたりと体を密着させ、包み込むように左腕を彼女の首の下から回し、心臓の位置に右手を添えた。
少しばかり前に触れたアミリアの胸の柔らかさと、心臓の鼓動が手のひらから伝わった。
そして――
「――<
俺はスキルを発動させ――アミリアの左胸を揉みはじめた。
密着しているからか、今まで嗅いだことのないアミリア特有の濃密で甘い香りが立ちのぼる。
このままでは、こちらまでおかしくなりそうだ――。
……だが、これは治療行為。
今回は、左胸を揉みしだく。それだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない……はずなのに、指先から伝わる感触が、そう簡単に割り切らせてくれない。
汗ばんだ彼女の胸へと埋まっていく俺の右手の指先は、布越しに触れたときとはまるで別物だった。
柔らかく、温かく、形が崩れるほど沈み込む――言葉では到底言い表せない、吸い込まれるような感触。
「あっ、あっ♡ 熱い……熱いよぉ……っ♡ はぁんっ♡」
俺のスキルを発動させている最中、なぜかこうして可愛い子に限って喘ぎはじめる。
未亡人のマリーも、まだ幼いノーラも、それから村の若い娘たちも――例外はなかった。
美人に限ってこうなるのは、役得……いや、本当に謎だ。
だけど、その艶めいた声を耳元で聞かされて、平常心でいられるほど俺は聖人じゃない。
……それでも、我慢しなきゃならない。
「そこ……っ♡ だめぇ……♡ あっ、あっ……♡ シュウ……♡ シュウ……っ♡」
――って、我慢できるかぁっ!
おいおい、なんでそこで俺の名前呼びはじめてんだよ。
確かにアミリアは、この村に来てからよく顔を合わせる相手ではある。
教会のババアの下で働いていれば、嫌でも毎日目に入るし……むしろ、こいつ俺のこと嫌ってたんじゃなかったのか?
クソ……今お前、死ぬか生きるかの瀬戸際なんだぞ……。
その状況で、乳首なんか勃たせてんじゃねぇ!
「もっと……もっと……♡ 熱いのが……流れ込んでくるのぉっ♡ シュウ、シュウ……はぁんっ♡」
「……もう……早く終わってくれ……っ」
しかしアミリアの嬌声は止まらない。
この反応も今までにないものだった。より強力な治療が必要な場合は、このような強い反応になってしまうのかもしれない。
故にアミリアは、俺の前で――
「あぁ……あぁ……っ♡ ……これ以上は………シュウ、シュウっ♡ 気持ちいい……もっと……もっと……あぁっ♡……このままだとっ……ダメっ……くる、くるっ……あ゙ぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜っ!?♡」
「………………」
さすがに全てはアミリアには言えないな。
――結局、治療は三十分にも及んだ。
俺が他人にスキルを使ってきた中で、間違いなく最長記録だ。
やっぱり命に関わる状態だと、必要な時間も長くなるらしい。
恐らく非接触のまま発動していたら、数日かかっていたはずだ。
それだけの間、同じ胸を揉み続けた右手は、攣りそうになるほど酷使されていた。
だからだろうか、全身から体力がごっそり奪われ、治療が終わった瞬間、糸が切れたように――そのまま彼女の隣で眠りに落ちた。
◇◇◇
――夢を見た。
あれは十二歳の頃。
シュウが村に来て、ミゼット様の家の子になったばかりのこと。
彼はどこか気の抜けた子だった。
理由は知らない。けれど森に捨てられていたという事実から、想像に難くない。
きっと、私には計り知れない過去があったのだろう。
けれど、あの二人のもとで暮らすうちに、シュウは少しずつ表情を取り戻した。
二人なら、彼を元気づけることなど造作もない――だって、二人は……。
それに、シュウには特別な力があった。
世界中の教会関係者が喉から手が出るほど欲しがるスキルだろう。
でも彼はそれを鼻にもかけず、目の前の人を救うためだけに使う姿は、素直にかっこいいと思えた。
あのセクハラな施術内容を知るまでは――だけど。
ある日、ノーラが木の上にボールを飛ばし、私が取ろうと登った時、足を滑らせて落下した。
骨折は免れない高さ。だけど、ちょうど通りがかったシュウが迷わず飛び込み、私を力強い腕で抱きとめた。
お姫様抱っこ――あの瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
やっていることが、セクハラなことじゃなければ、今だって……。
だから、あの時みたいにこんなふうに彼の匂いに包まれ、力強い腕に抱きしめられるのも悪くないと思えてしまうのに――
あ……なんだか、すっと楽になっていく。
ついさっきまで、体中が燃えるように熱くて、このままでは息もできなくなるのではと思っていた。
意識は霞み、自分がどこにいて、何をしているのかもわからなくなるほど、頭の芯まで熱に侵されていたのに……その熱が、ゆっくりと引いていくのがわかる。
「そこぉ♡ だめぇ……♡ あっ、あっ……♡ シュウ……シュウ………♡」
気がつけば、唇から自然とシュウの名がこぼれていた。
どうして今、彼の名前を呼んでいるのか、自分でもわからない。
ただ、左胸の奥が心地よく震えて、私はその名を、熱に浮かされたまま、何度も何度も呼び続けていた。
「ん、ん…………あれ……朝……?」
目を開ける。
視界に入ったのは、自分が編んだ数々のぬいぐるみ。そして、見慣れた天井。
ここは自分の部屋だとすぐにわかった。
けれど、背中を包む温もりと、全身を覆う汗の感覚が、妙な安心感を与えてくる。
なぜだか体も軽く、とてもスッキリとしている。
――そうだ、私は熱にうなされて。
ふと視線を落とす。
昨日見たばかりの、水色の指輪を嵌めた手が、自分の左胸をしっかりと掴んでいた。
「え…………え……?」
理解したくない状況。
私は体を起こし、ゆっくりと振り返った。
「ん……あれ、俺……寝ちまったのか……?」
そこにはなぜか上半身裸のシュウがいた。
私も裸で、シュウも裸……。
彼の視線が自分の胸元に向かったのを感じた瞬間――脳が高速で回転する。
だが処理は追いつかず、口をついて出たのはただ一言。
「っ! …………あり、がとう……」
シュウは変態クソプリースト。
だけど、スキル発動時以外、自ら進んで手を出すような人ではない。
だからこそ、それを知っている私は、羞恥を押し殺し、感謝を伝えたのだった。
それなのに――
「はは…………もっと揉んでいいってこと?」
やっぱりこいつ殺そうかな。
―――――――
ノクターンの方では少しだけ追記しています。
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