第2話 海を、語らう

 これは「交換日記」と呼べるものなのか、まだ定かではない。

 でも、僕が何かを書いたら、また返事が書かれている――そんな確信に近いものがあった。


 今朝の海は、今までと違って、よく澄んで見える。

 昨日、あのノートに返事が書いてあったことが僕の心の霧を晴らしたからだと思う。


 僕は授業中も、あのノートに何を書くべきか、ずっと考えていた。

 ひとまず相手がどんな人なのか、純粋に知りたいと思った。


 でもたぶん、こんな僕の相手をしてくれる人なのだから、きっと優しいんだろう。

 僕は芯を替えたばかりのシャーペンを、小さなペンケースから取り出した。

 表紙をめくる左手に、少し力が入った。


 今度はどんな答えが返ってくるだろうか。


 いや、返ってこないかもしれない。

 それでも、僕は書かずにはいられなかった。


 1枚目の裏、ページの左側にこう書き足した。


 「返事、ありがとう。あなたは、どんな人?」



 次の日も、教室に時計の針の音だけが響くまで、僕は一人、席に座って海を眺めていた。

 僕の「期待」と「不安」が行ったり来たりする感情は、まるで波の押し引きのようだった。


 視線を海から机に戻す。

 誰も聞いていないのに、音を立てたらいけない気がして、僕は静かに手を机の中へ差し込む。

 表紙のつるっとした感触。

 あのノート以外の紙は、今日は入っていなかった。


 僕は軽く息を吐いて、そっとページをめくった。

 そこには前と同じ、薄くて丸い文字があった。


「私も、ありがとう。

 今日も、学校から綺麗に海が見えるね」


「夏は、特に綺麗だね。

 あなたは、何年生?」


「私は、冬の海も好き。

 下校のときに、ちょうど夕陽が沈むから。

 今日から、ルールを決めましょ。

 質問は、無し」


「分かった。質問はしない。

 僕は冬の海、ちょっと怖い。

 すぐ真っ暗になるから」


「それもそうだね。

 冬のミステリアスな海も、

 夏の煌めく海も、どっちも素敵で、呑み込まれそう」


 彼女の言葉は、海よりも綺麗だと思った。

 そして、どこか謎めいている。


 質問をしないルールは、かえって僕たちの関係には、ちょうどいいのかもしれない。

 知りすぎてしまうほど、怖くなるから。


 ノートを読む僕の隣で、「夏の煌めく海」が穏やかに音を立てている。

 僕は、彼女の言葉になら、溺れてもいいと思った。

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