窓際の席で、君と交わす詩

海音

ここで、話そう。

第1話 いいよ。話そう

 下校を知らせるチャイムが鳴った。


 僕には、帰る時間なんて、どうでもよかった。

 部活も入ってない、塾や予備校にも行ってない。


 そして、一緒に下校する友達もいない。


 どうせ一人なら、何時に帰ったっていい。

 ぞろぞろと帰るクラスメイトの声を背に、窓の外をぼーっと眺めた。


 ここからは、海がよく見える。

 白く輝く波はまるで、優雅に踊るドレスの裾のように見えた。

 波の揺れる様を見ていると、不思議と心が落ち着いた。

 一人でもいい、そう言われている気すらした。


 教室に残ったのは僕一人。

 支度して、そろそろ帰ろう。

 僕は、机の中に手を入れた。


 ズボッと中身を全部取り出すと、知らないノートが入っていた。

 ノートの表紙にも裏にも、クラスや名前は書いてない。

 たぶん、移動教室のときに、誰かが忘れたんだろう。


 僕は、興味本位でノートを開いた。

 全部のページが白紙だった。


 まっさらな紙に、僕は何かを書き残したくなった。

 別に、何でもいい。

 だけど、僕の本音は、ここに書くしかないと思った。

 そして僕は、こう書いた。


「ここで、話そう」


 次の日もまた、下校のチャイムを聞き流した。

 クラスメイトの声は、もはや今日は聞こえもしなかった。


 今日の僕は、昨日までの無気力とは違った。

 机の中に、まだあのノートはあるだろうか、と僕の鼓動は少し速くなる。


 僕は目を閉じて、おそるおそる手を机の中に差し込んだ。

 昨日より少ない紙の束を掴むと、丁寧に引き出した。


 乱雑に折れ曲がった紙と紙の間、昨日見たノートの表紙が顔を出していた。


 やっぱり表紙には、クラスも名前も書いてないままだった。

 そのノートの中、僕が書いた文字だけが取り残されていたら、と考えると怖くなった。


 僕は震える左手で、鉄の扉を開けるように、ゆっくりと表紙をめくった。


 白紙の1ページ目、右下の隅に僕の文字。


 その数センチ下、僕じゃない誰かの文字。

 丸くて筆圧の薄い、優しい文字が、そこにはあった。


「いいよ。話そう」


 その一言を、僕はこの十六年間、待っていたような気がした。

 誰かと「通じ合う」って、こんなにも尊いものなんだと、初めて知った。

 その瞬間、僕の心臓がドクンと跳ねた。


 誰が書いたのか、そんなのどうだっていい。

 僕の存在を、知らなくてもいい。


 ただそこに、返事を書いてくれた。

 その事実は、僕にとって、暗闇の中の光だった。


 きっと僕はこのとき、何も気づいていなかった。

 この一言が、僕を知らない世界に連れて行く鍵になるなんて。

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