第19話 [歩幅を合わせるということ]

朝、川辺に霧がかかっていた。

白くかすんだ世界に、鳥の声と水音だけが浮かぶ。

私たちは早めに荷をまとめ、次の村を目指して出発した。


「……ねえ、このあたり、靴の跡が多くない?」


イフミーがしゃがんで地面を指差す。

湿った土に、いくつもの踏み跡が交差していた。

それは馬の蹄と、大人のものと思われる足跡、そして小さな子どものものまで。


「集団で移動してるわけじゃなさそうだね。……でも、目的地は同じかもしれない」


「競り合うつもりはないけど……注意はしておこうか」


私たちは互いに視線を交わし、小さくうなずき合った。



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昼前、山を越えた先の集落へ入った。

そこではちょうど、旅芸人の一座が来ているらしく、即席の広場に屋台と人があふれていた。


「わあ……にぎやかだね」


「食べ物も売ってるみたい。……昼はここで済ませようか」


私は懐の袋を確認した。

宿の仕事で得た銀貨が五枚。小銅貨もいくらか残っている。


「見て、この甘露餅、三枚で銀貨一枚だって」


「……た、高い。でも……食べたい……」


イフミーが視線を逸らしながらつぶやく。


「じゃあ、一つだけにしよう。半分こ」


私は銀貨を一枚取り出して、露店の若者に差し出した。

イフミーは嬉しそうに、小さな餅を大事そうに受け取る。


「……こういうの、久しぶり。道端の草ばっかりじゃなくて、甘いものって……沁みるね」


「たまには贅沢もいいでしょ」


イフミーは餅を割り、半分を私の掌にそっと置いた。

その指先は冷えていたけど、手のひらに乗った餅は、ほんのりあたたかかった。



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その午後、旅商人の紹介で、近隣の領主宅まで書状を届ける仕事をもらった。

報酬は銀貨二枚。道のりは長くないが、城館までは森を抜ける必要がある。


「道は平らだけど、わたしが先に立つね。風の通りが、ちょっと違う」


イフミーはそう言って、裸足のまま柔らかな草の上を歩く。

琥珀色の肌に乾いた土が薄くつき、銀白の髪が陽に照らされて揺れる。

髪は長く、今日は後ろでゆるく一つに束ねていた。


「……イフミーって、風の動きがわかるの?」


「うん。風は“隙”を教えてくれるんだ。木のざわめきとか、枝の揺れとか。見えないけど、読めるの」


私はその背中を見つめながら、ふと自分の歩幅を合わせていたことに気づいた。

無理のない、けれど確かな距離感。

私たちは、似ていないけれど、重なるところがある。



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任務は滞りなく終わり、帰る道すがら、イフミーがぽつりと呟いた。


「……ねえ。わたしって、どこまで行けると思う?」


「え?」


「この先も、君と一緒に行っていいのかなって。……わたし、“神様”だった時より、今の方がずっと、自分を感じるからさ」


私は足を止めて、イフミーの隣に並んだ。


「行けるところまで、行けばいい。……帰りたい場所が見つかるまで、一緒に行こう」


イフミーは少しだけ驚いた顔をして、それから笑った。


「……ありがと。じゃあ、そのときまで、よろしくね」


私たちは互いに笑い、また歩き始めた。



---


夕暮れ。

空に薄い雲がかかり、金の光が地面を長く染めていた。

私たちはその光の中を、並んで歩いていく。


足音はふたつ。

それが、旅のリズムになっていた。



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