第18話 [見えない火を灯すもの
山道を下ると、川沿いにぽつぽつと民家が並びはじめた。
その先にあるのは、小さな水車と干し柿の吊るされた屋根が特徴的な集落だった。
「……このあたり、空気がやわらかいね」
「うん。土地も人も、穏やかそう」
宿と一緒に茶屋を営んでいるという老夫婦の家に泊まり、私たちは荷をほどいた。
イフミーは縁側に座って、足の裏に残った泥を拭いていた。
「やっぱ、靴って大事だね。……ほら、また泥がついてる」
「その色、また濃くなった気がする」
私が何気なく口にすると、イフミーはくすっと笑った。
「日焼け……じゃなくて、もとからこの色。琥珀ってよく言われるけど、たぶんそれよりもっと、土に近いと思う」
「……あったかい色だと思う。陽の光みたい」
言ってから、少し照れくさくなって、私は荷袋を閉じた。
イフミーはそれ以上何も言わずに、そっと頬をかいた。
その頬にかかる銀白の髪が、夕日に照らされてやわらかく揺れていた。
長く伸びた髪は、旅の間は後ろで緩く束ねられていることが多い。だが今は下ろしていて、肩のあたりで風に流れていた。
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その日の夕方、宿の主人に声をかけられた。
「おふたり、旅の途中だそうで……もし、手が空いていれば、ひとつ頼みがあるんです」
詳しく聞くと、山の中腹に住む知人のもとへ、届け物をお願いしたいということだった。
道は険しくはないが、最近イノシシが出るということで、年寄りや子どもには危ないらしい。
「大したものではないのですが、どうしても今日中に。お礼は、この通り」
銀貨1枚と、夕食の追加を申し出てくれた。
「やらせてください」
私は即答した。
荷物を受け取り、道を確かめてから、イフミーとふたり、林の奥へと踏み出した。
「……道を照らすって、こういうことかもね」
「え?」
「さっきのおじいさんの顔、あたたかかった。何かを任されるって、悪くないなって」
「……たまには頼りにされるのも、いいもんだよね」
イフミーの笑顔に、私は少しだけ胸が熱くなった。
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道中は静かだった。
鳥の声と、風に揺れる木の音。それだけが、私たちの背を押してくれる。
「……さっき、すぐに“やる”って言ったよね」
「うん?」
「君って、助けを求められると、止まれないタイプだよね」
「……そうかも。誰かが待ってると思うと……つい」
「それ、“火”がついてるときの顔だったよ」
イフミーの言葉に、私は歩きながら目を伏せた。
「……自分では気づかないんだ、そういうの」
「でも、わたしは見える。君の背中、ちょっと光ってた。あれは……ホタルビかもね」
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届け先は、小高い場所に建つ一軒家だった。
扉をノックすると、中から少女が顔を出した。
「わあ……ほんとに、届けてくれたんですね」
「お母さんが奥で横になってて……代わりに私が受け取ります」
母親の薬だという包みを受け取った彼女は、何度もお辞儀をした。
「……お礼に、これどうぞ。干し果実の飴なんです。お母さんが作ってて……」
イフミーがそれを受け取ると、飴の甘い香りがほのかに香った。
「……やっぱ、あったかい。人の気持ちって」
少女は恥ずかしそうに笑いながら、そっと言った。
「今日みたいな日は、空気まで甘く感じます。……また、来てくれたら嬉しいな」
イフミーはその言葉に、うん、とやさしくうなずいていた。
その瞳は、何かを思い出すように、遠くの空を映していた。
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帰り道、もらった飴を一つずつ口に含んだ。
淡い甘さが、夜の森を照らすようにひろがっていった。
「……名前を名乗っていないのに、“また”って言われた」
「うん。たぶん、心が先に届いたんだよ」
私は足を止めて、夜空を見上げた。
名前がなくても、灯せる火があるのだと。
言葉にせずとも、残せるあたたかさがあるのだと。
そんなことを、思った。
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