1-2 お忍びでお嬢さま
「では、行ってくるわね。みんな、お留守番よろしくね」
支度を終え、虹花や他の女官に声をかける。皆がそろって頭を下げ、いってらっしゃいませ、と見送る声を背に余花は羽衣を伴って外に出た。
無殿を出たとき、白堅城のほうから一人の男が歩いてくるのが見えた。背が高く、まるで大木のような男は名を
「おや、余花さま。お出かけですかな」
「ええ。ちょっとそこまで」
「飾り耳をつけていらっしゃるということは、いつものお遊びでしょう。護衛もつけずにふらふらと……。もっとご自分の立場を考えて行動なされよ。お付きの者も余花さまがいつまでもお転婆では心配が尽きませんよ」
「そうね。気をつけるわ」
伊黄の顔を見ればわかる。本当に余花を心配する人間は、もっと怒っているか、不安そうにしているものだ。薄っすらと笑いを浮かべているこの男は心配などしていない。余花を困った子どもとして下に見ている。
姫という立場で頻繁に外へ出かける余花は、確かに子どもだろう。その行動をやめれば伊黄の態度も変わるだろうが、この男のために今の自分を変えるべきなのだろうかと考えると、前向きな答えは出てこない。もっと外に出るのが難しくなる立場になる前に、余花は国を見ておきたいのだ。
だから伊黄が指摘する『お転婆で自分の立場がわかっていない姫』になった。
「でも今日は出かけるわ。伊黄はお仕事がんばって。それじゃあね」
「ああ……。まったく、あの子どもは……」
聞こえてもいいと思っているのかどうか。小さなぼやきが聞こえたけれど、余花は気にせずいつもの場所へ向かう。
城を囲む塀のとある場所。見張り台からよく見えるその場所で羽衣が、さっ、さっ、と大きく二回袖を振る。それから中腰になり、余花の前へ腕を差し伸ばした。
「さ、姫さま」
余花は羽衣の腕の中へ、すっぽり入り込む。もうそろそろ十五を迎え、大人になろうとする余花だけれど、体が小さいために羽衣の腕の中に収まってしまう。もう少し大きくなりたいと思う一方で、このぴったりとはまる感覚も失いたくないと思う。
行きますよ、と声をかけて羽衣は地面を蹴った。宙に飛び上がる瞬間は一瞬、どきりと怖さを覚える。何度繰り返しても慣れない感覚と、ふわりと浮く高揚感。一気に目線が高くなって、塀の向こう側が見えたときに、降下する。
一旦、塀の上に着地した羽衣は見張り台を見上げた。余花も倣い、ついでに手を振る。いってきますの意味も込めて。
犬国の姫さまのお忍びは、秘密のようで城の皆が知ることだ。正門から出ては目立つから羽衣の力を頼っているけれど、こっそりと抜け出すのは難しい。
見張りの兵がこちらを見たときには、もう一度羽衣は跳んでいた。羽衣の兎の脚は塀なんてひとっ飛び。塀の向こうにあるお堀も軽々と越えて、城の外に着地する。毎度見事なものだ。
城の外に出たら、あとは人通りの多い大通りを目指した。城から離れてすぐに、羽衣は口を開く。
「あの男は姫さまに対して失礼が過ぎます。どうして姫さまは放っておくのですか?上様にもご報告されていませんよね」
余花を非難こそしないが、理解はできないと滲ませた声。羽衣の気持ちを知りながら、余花は頷いた。
「伊黄の言うこともわかるわ。私が自由がすぎるって。羽衣だって注意してくるじゃない」
「あの男と同じにされるのは不本意です」
「わかってる。羽衣と伊黄は違うわ。でも、言うことはわかるでしょう?」
大きな建物の陰から大通りを覗く。今日も商人やら買い物客やらで人が多い。するりと人混みに紛れたら、犬国の姫さまではない、どこかの大きな商家のお嬢さまになる。羽衣も同じく、なんでもない顔をして余花のそばについてくる。
「私が自由にしすぎるのは危ないことだってわかってる。護衛も羽衣だけで町に出るのは危険だって。でも、仰々しくしたら町のみんなは畏まって本当の姿を見せてくれないじゃない」
籠に乗って、町に降りたことはある。そのとき、町の人たちは手を止めて首を垂れた。大人から子どもまでそろって傅いたのだ。今のように活気ある姿を見ることはなかった。
「私は生活を見たいの。だから、こうやってこっそりと来るわ。羽衣だけを連れてね。そうやって自分のわがままを通しているのだから、小言くらい聞いて流すわよ」
「流すのはおやめください」
「はぁい」
「お嬢さま」
また流したと、羽衣は一言で咎める。それから周囲にちらりと視線を向けた。
「一応は白もいると思います。ですが、確実とは言えませんし、いざとなったら守るのは近くにいる私です」
「ええ。頼りにしているわ、羽衣。それから……」
後ろを歩く羽衣に振り返る。
「私は、自分のわがままを通しているけれど、あなたを傷つけたいわけではないのよ。だから、危ないことは避けてる」
「危険なことに首を突っ込まないことだけは、私もお嬢さまを信用しておりますよ」
「その信用は裏切らないわよ」
大切な、一番の仲間だ。その羽衣を危ない目に遭わせず、なおかつ自分の目的を果たすために、余花はよくよく周囲に気をつけて進む。
しばらく行けば、噂の団子屋が見えてきた。楽しみに覗いてみたけれど、予想よりも人が多い。羽衣を見上げると、黙って頭を振られた。もう少し落ち着いてから行きましょうという返事だ。
それならば、と馴染みの店へ足を運ぶ。先日、その店で兎の眷属神の加護を持つ赤子が生まれた。店は呉服店で、表は忙しいが、余花が顔を出せば裏へ案内し、女将が話し相手になってくれることが多い。だが、余花は店に顔を出す前に足を止めた。
「赤ん坊の泣き声が聞こえるわ」
「生まれたばかりですからね。いろんなときに泣きますよ」
「そうよね……」
女将のあやす声も聞こえてきたが、赤子の泣き声は止まらない。使用人も一緒になってあやしている。
余花は店に立ち寄らず、回れ右をした。
「お嬢さま?」
「お邪魔したら悪いわ。もう少し落ち着いてからにしましょう」
「この前はおおはしゃぎでお祝いに向かいましたのに」
「こんなに大変そうだなんて思わなかったんだもの。あと、お祝いでしょう。お祝いは大切よ。遊びに行くのとは少し違うわ」
余花には三つ年下の弟がいるが、無殿で暮らしていたときはお世話をする機会がなかった。乳母が面倒を見て、余花は一日に一回、顔を見に行くだけ。許される時間だけ遊び、乳母が「今日はもう休ませましょう」と言ったら別れる。ぐずることはあったけれど、泣き止まないところは見たことがない。
「今度、表に買い物に行きましょう。そのときに様子を聞けばいいわ」
そう答える余花の声は、少し落ち込んで響く。余花には母がいない。生まれてすぐに死んだと聞かされている。父が愛情をかけてくれる分、余花は寂しさを覚えることは少なかったけれど、呉服屋の女将は母親代わりにように優しく、好きだった。なかなか会えないというのは寂しい。
子を望んでいた女将が自分の子を抱いているのは嬉しい。一方で、前のように会うのは難しいだろうという線引きが、余花には寂しかったのだ。
「会えなくなるわけじゃないもの」
自分に言い聞かせるように呟くと、羽衣も頷く。
「会いに行かなくなれば、女将が寂しがりますからね。また様子を見て、伺いましょう」
羽衣の言葉に余花は目を瞬かせる。女将が寂しがる?
「お邪魔にならないかしら」
「なりそうなときはお暇すれば良いのです。これまで通り、忙しければ遠慮して、時間がありそうであればお邪魔する。それだけです」
淡々と告げる羽衣は、余花の目をじっと見つめる。
「遊びに行ってもいいのね……」
安心したような、嬉しいような気持ちで零す。ええ、と答える羽衣はいつもと変わらぬ調子だ。
羽衣が言うなら、大丈夫だろう。そう信頼し、安心できる。
「よかった!」
パッと笑う余花に、羽衣の表情を柔らかくなった。次に行くときは子ども用の遊び道具を持って行こう、自分が使っていたものを渡してもいいだろうかと、楽しい話題に変わっていく。羽衣と相談しながら、あてもなく歩いていたときだった。
大通りには不似合いの、大きな犬の遠吠えが余花たちの耳に響いた。
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