第八章 僕は、君のエンディングだったんだ

 あの日から、四日が過ぎた。


 クラスでは誰ものことを話題にしない。

 ニュースも落ち着きはじめ、

 SNSでは「デマだった」「演習だった」なんて言葉が飛び交い、

 人々は早々にいつも通りへと戻っていった。


 でも僕だけは、戻れなかった。


 廊下でヒカリを見かけるたびに、

 心臓が過去と現在の狭間で迷子になる。


 教室では相変わらず笑っていた。

 友達と冗談を交わし、ノートを回し合い、

 蓮とも少しずつ会話を再開していた。


 あのときの彼女は、どこにもいなかった。


 まるで、

 僕の記憶だけがバグっているみたいだった。


 ◆


 放課後、帰り支度をしていると、

 ヒカリが廊下の向こうで、蓮と話していた。


 一歩踏み出して、声をかけようとした瞬間——

 八木の手が、ヒカリの頭をぽん、と撫でた。


 その仕草に、ヒカリは笑って頷いた。


 僕は、そのまま足を止めた。


 音もなく、心のどこかが崩れる音がした。


「彼女が、俺を選んだのは世界が終わると思ったからだったんだ」


 当たり前じゃないか。

 ヒカリには、もともと好きな人がいた。

 僕は、そのすき間に入り込んだだけの、

 終末専用の代用品だったんだ。


 ◆


 帰り道。

 夕焼けの中、自転車を押しながら歩く。


 風が少し冷たい。

 焼きそばパンを半分こして、

 手を繋いで、あの踏切まで歩いた日のことが、

 昨日のことみたいに浮かんでくる。


 でも、もうヒカリからは一通もメッセージが来ない。


 僕のLINEには、

 未読のままの「無事だった?」という文字だけが残っていた。


 ポケットのスマホが重く感じる。

 足取りも重くなる。


「俺は——」


 言いかけた言葉は、風にかき消された。


 その続きを、

 誰かに聞いてほしかったわけじゃない。

 ただ、自分自身に言い聞かせたかっただけだ。


「俺は、ヒカリの物語のエンディングだったんだ」


 あの夜、終わるはずだった世界の中で、

 一瞬だけ輝いた名前。

 それが僕の役割だったんだ。


 そして今、物語は続きを始めてしまった。

 僕を置き去りにしたまま。


 その夜、僕はメッセージを打った。

 ずっと送れなかった言葉。

 ずっと送るべきじゃないと思っていた言葉。


 スマホの画面には、

 ヒカリとのトーク履歴がそのまま残っている。

 終末の夜に交わした、たった数行のやりとり。

 そして、最後に僕が送った「無事だった?」という未読メッセージ。


 そこに、

 新しい一文を加えようと指を動かした。


「あのときの気持ちは、嘘じゃないって言ってくれたよね?」


 それだけ。


 問いでも、責めでもない。

 ただ確認したかった。


 ——あの夜のヒカリは、本当にあそこにいたのか。

 ——それとも、僕だけが信じてただったのか。


 送信ボタンを押す指が、数秒宙に浮いた。


「……っ」


 結局、送れなかった。


 僕はスマホを伏せ、

 枕元に置いたままベッドに沈み込む。


 天井を見上げながら、思う。


 あれが本当だったとして、今さら何になる?


 世界は壊れなかった。

 だから、

 壊れなかった世界の中でを選ぶ人たちが戻ってきた。


 僕は、正しくなかった。

 終末を言い訳にして、感情をぶつけて、

 ヒカリの中にあるに手を伸ばしてしまった。


 その結果が今だ。


 彼女は戻っていった。

 優しい、安心できる場所へ。

 きっと、何もなかったような顔で、

 笑って、学校に通い、将来の話をしていくのだろう。


 そして僕は、

 どこにも届かない言葉だけを胸に、

 あのときのまま止まっている。


 ◆


 夜が更け、部屋の明かりを落としたあと。


 スマホが震えた。


 画面をのぞく。

 期待はしていなかった。

 ……していなかった、つもりだった。


 でも、通知欄にあの名前が浮かんでいた。


 七草ヒカリ


「……ごめんね。」


 たった五文字。


 それだけで、

 僕の呼吸は、一瞬止まった。


 謝罪なのか、否定なのか、同情なのか。

 なにを意味しているか、わからなかった。


 ただ、

 その一行が届いたことで、

 あのときのすべてが消えていなかったことだけは証明された。


 でもそれは、

 救いではなかった。


 むしろ、

 再び僕をあのときに引き戻すトリガーだった。


 心の中に、冷たい水が流れ込んでいく。


 そして静かに確信する。


 このままじゃ、俺はこの世界で生きていけない。

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