舞と呼ばれたかった少女
夏目 吉春
第1話 ドロイド、騙されるかよ
研究棟へと続くドアが静かに開いた。
そこから現れたのは、複数の少女たちだった。
白く磨かれた廊下に、コツコツとハイヒールの音が響く。
細い肩、撫でつけた髪、やわらかに揺れる腰。
まるで舞台のランウェイを歩くモデルのように、彼女たちは一糸乱れず歩を進めた。その瞳は少しも曇らず、ただ前を見据えている。
廊下の両脇には研究員たちが並び、黙って見送っていた。
白衣の袖口をそっと握りしめる者もいた。
それは畏敬なのか、期待なのか、それとも……。
送迎するのは、このロボテックス社の最新型派遣ドロイド──「パリーナ」。
人間と寸分違わぬ容姿、むしろ人間より整った四肢と滑らかな肌。
それらは“製品”として扱われるべきなのに、研究所の人間は妙に神妙な顔をしていた。
そして、その一角。
光の届きにくい廊下の端で、一人の少女が静かにそれを見つめていた。
マイ──、彼女は自身の事をそう呼んでいた。
「私、本当の自分を──、だからハルに会いたい」
底知れない闇を宿した眼差しで、パリーナ達を選別するように追っていた。
やがて、マイはふっと唇を動かす。
何かを囁いたのだろう。
選んだ一体の耳元で、短く、それでいて決定的な言葉を。
マイはパリーナを伴い備品室へ入った。
ドアを閉めた瞬間――少し乱暴だったのか、小さく『痛っ…』と声を呑んだ。
膝のあたりをそっと押さえながら、目の輝きを失ったパリーナを確認した。
すると、マイは少しだけ照れたように笑って、スカートの裾で痕をひと撫でした。
その後、どう入れ替わったのかは誰も知らない。
ただ気づけば、白色の車体に描かれた《ROBOTECS Co.,Ltd.》の文字は、ほのかなピンクで描かれ、水色のラインがその輪郭を包んでいた。
光を受けるたび、淡く瞬いて見える。
*
地方都市・鷹崎市。
駅前から少し歩けば、シャッター街が続く寂れた一角に出る。
そのはずれに建つ二階建てのアパートの一室で、夏目吉春──通称ハルは頭を抱えていた。
古ぼけた借家にひたすら溶け込んでいるポンコツな彼は、今では珍しくもない30前の独身だ。
ちゃちなテーブルの上には、一枚の書類。
ロボテックス社の封筒から出てきたそれを、ハルはしげしげと眺めては、ため息をついた。
「……はぁ。なんだよこれ。
高性能だかなんだか知らねえが、人間そっくりのドロイドを、一人暮らしの男んとこに寄越すなんざ……」
ぶつぶつと言いながら、指先で書類を叩く。
そのロゴマークは、やけに得意げに笑っているように見えた。
友人の和泉が勝手に応募し、なおかつ「彼女にバレたから」という理由だけで押し付けられたモニター契約。弱みを握られて断れなかった己を呪うばかりだった。
「ドロイド、ねぇ……。
はは、俺は二次元にしか興味がねえってのに……」
その言葉は寂しくアパートの壁に吸い込まれた。
と、その時。
外から、タイヤが砂利を噛む音がした。
ハルの顔がぎょっと引きつる。
「……来やがったか。」
***
ハルはしぶしぶ部屋の受話器を上げる。
(クソッ……和泉のやつ、余計なこと押しつけやがって。
よりによって、俺がドロイドなんざ──)
壁に埋め込まれた小型LCDモニターには、外の映像がはっきり映し出されている。 その画面に目をやった瞬間、思わず息を呑んだ。
映っていたのは、思い描いていた無機質なロボットではない。
そこに立っていたのは、まるで人間の少女だった。
栗色の柔らかな髪が肩先で揺れ、透き通るような白い肌に淡い影を落とす。
少し不安げに小首をかしげる仕草は、──生身の人間。
(……は? どう見ても普通の女の子だろ……)
ハルの住む二階建てアパートの2Kの一室は、築年数こそ古いがそこそこ綺麗にリフォームされている。けれど、そんな物件の玄関先に立つにはあまりに場違いな少女だった。
唇がわずかに震える。
頭の中では、白色の送迎車と《ROBOTECS Co.,Ltd.》のロゴが閃く。
あれに乗って来たのがドロイドなら、今ドアの外に立っているこの子は──。
(違う。これは、絶対違う。
ドロイドって、金属音がしたり、関節がぎこちなかったり……もっと、こう……)
思考がまとまらないうちに、ピン──ポーン、と遠慮がちなチャイムが響いた。
「あの……すみません……こちらって、夏目さんのお宅で……あってますよね?」
少しだけ視線を泳がせながら、それでも縋るように微笑んでみせる。
どこか頼りなく揺れる声は、不安と、奇妙に滲む執着を孕んでいた。
(……やばい、どう見たって人間だろ!)
鼓動が嫌なほど速くなる。
「……は、はい、そうだけど……」
自分でも情けないほどか細い声で答えると、モニターの向こうの少女はほっとしたように微笑んだ。そして小さく、いたずらを企むように目を細める。
「じゃあ──入って、いい、かな?」
その言い方が、あまりにも自然で。
あまりにも、ずれていて。
ハルの背筋を、ぞわりと妙な予感が這い上がった。
***
ハルはぐ、と息を詰めた。
なんだ、この胸のざわつきは。
あんなに人懐こそうな顔で、平然と──いや、あまりにも自然に「入っていいか」などと。
(……待てよ、やっぱおかしいだろ。いくら何でも。)
額ににじむ汗を拭い、深く息を吐く。
もう一度、ドアモニターを見つめた。
そこに映る少女は、わずかに首を傾けてじっとハルを待っている。
まるで、ずっと昔から知っている誰かのように……いや、そんなわけがない。
「──悪い、帰ってくれ。」
咄嗟に口から出た言葉だった。
少女の目が、一瞬きょとんと丸くなる。
「え……?」
「人違いだ。うちは頼んでないし……悪いけど、帰ってくれ。」
玄関の外からは返事がない。ただ、モニター越しに少女が唇を小さく開いたまま立ち尽くしているのが見えた。
(……なんだよ、あれ。宗教の勧誘か? それとも……新手の詐欺か?)
そうやって自分に言い聞かせながら、ハルは乱暴にモニターを切り、壁から離れた。胸の奥が妙にざわついて、落ち着かない。
(くそっ……やっぱ俺は、二次元にしか縁がないんだよ。こんなの、関わっちゃいけねぇ。)
思わず頭をかきむしる。
古びた部屋の中、積み上げた本の山に囲まれながら、やけに薄っぺらい自分の生活が目の前に突きつけられた気がした。
すると、その時だった。
ポケットに放り込んでいたスマホがブルルと震える。
見れば画面には「ROBOTECSサポートセンター」の文字。
(……は?)
訝しみながら通話ボタンを押す。
『あ、もしもし。こちらロボテックスカスタマーサポートです。先ほどパリーナがお伺いさせて頂いたのですが……ご不在でしょうか?』
「──いや、待て、あれが?」
思わず声が裏返る。
スマホ越しに届いたのは、淡々とした女性オペレーターの声だった。
『念のため送迎時の確認写真をお送りしますね』
ピロン、とLINEのような着信音が鳴る。
画面を覗き込んだハルの心臓が、ひゅっと縮んだ。
そこに映っていたのは──さっきの少女。
あの、玄関先で不安げに小首を傾げていた、どう見ても「人間」にしか見えない、あの少女が。
「……マジ、かよ。」
冷や汗が背中を伝う。
(俺……追い返しちまったのか? あれが、ドロイド……?)
もう一度モニターをつける。
しかし、玄関先には誰もいない。
慌ててドアを開けると、冷えた外気がわっと顔を撫でた。
(いない……?)
いや。
階段の陰、鉄製の手すりの脇で、小さく膝を抱え込んでうずくまる影があった。
「おい……っ」
声をかけると、その影がわずかに震え、ゆっくりとこちらを振り返った。
街灯に照らされ、泣き出しそうな瞳を向けるその顔は──さっき、確かに追い返したはずの少女だった。
ハルは、どうしようもなく、ぐらりと心が揺れた。
***
「……なんで、まだここに──」
問いかけた言葉は、自分でも驚くほどに掠れていた。
少女──マイは、ごく弱々しく笑った。
その頬を伝うものは、夜気に溶け込むほど小さな滴。
けれど、はっきりと光を反射していた。
「だって……行くところ、ないもん。」
心臓が、変な音を立てた気がした。
ハルは頭を抱えるようにして俯いた。
そして、どうにか踏みとどまる理性をかき集める。
(クソ……これじゃあまるで……人間じゃねぇか。
なんなんだよ、おい。こんなの聞いてねぇぞ……和泉!)
それでも結局、ハルは手を差し出してしまう。
マイがその手にすがるように触れた瞬間、ひどく熱いものが伝わった気がした。
部屋に戻ると、玄関の隅に置きっぱなしだった封筒が目についた。
ロボテックス社から届いた、例の契約書類だ。
「……あ?」
慌てて引きちぎるように開き、中を確かめる。
その申込用紙には──きちんと、はっきりと。
《住み込み型:〇 / 通宅型:✕》
と、記されていた。
「……マジかよ、和泉……お前ほんっと……!」
思わず書類をくしゃりと丸め、床に放る。
いつの間にか、マイは部屋の隅に座り込んでいた。
何もない薄いカーペットの上で、膝を抱えるようにして小さくなる。
「なあ……」
ハルが声をかけると、マイはゆっくり顔を上げた。
「私、今日から、ここに……ずっといていいんだよね?」
「…………」
こっちが聞きたいくらいだ。
どう見たって、普通の人間じゃねぇか。ロボテックス社は何考えてんだ。
「……ま、勝手にしろよ。」
やけになったように言い捨て、ハルはテーブルの上のタバコに手を伸ばす。
しばらく黙ったまま、それぞれの間合いで時間を過ごした。
やがて、マイがぼそりと呟く。
「ねぇ……ハル。」
「……なんだよ。」
「私、ちょっと……眠くなっちゃった。」
「…………は?」
心臓がどくん、と跳ねた。
眠い? ドロイドが? いや、いや、待て待て。
ハルは意味もなく頭を掻きむしった。
目の前の少女は、少しだけ瞳を細めて、額を押さえるようにしている。
その仕草が、どこまでも人間にしか見えなかった。
(やっぱ……人間じゃねぇのか、これ……)
とてつもない疲労がどっと押し寄せ、ハルはその場に座り込む。
マイは小さく微笑んで、そのままカーペットに身を横たえた。
その寝息は、ごく穏やかで。
まるで、この世界で一番無垢なもののように響いた。
ハルは小さく息をつき、そっと立ち上がった。
その肩には、もうどうしようもなく重たい何かが、どっかりとのしかかっていた。
(これ……ほんとに、大丈夫なんだろうな……?
いや、大丈夫なわけがないだろ、普通に考えて。)
薄暗い部屋の中、かけた布団にくるまったマイは、静かに寝息を立てている。
頬に触れそうな栗色の髪がわずかに揺れて、それが何故かたまらなく人間らしく見えた。
ハルはそっと布団の端を直し、まるで悪いことをするかのように忍び足で部屋を後にした。そして、玄関のドアを音を立てぬよう開け、逃げるように外へ飛び出す。
夜気に触れた途端、肺の奥まで冷たい空気が流れ込む。
それだけで、やっと自分がこの街に生きていることを思い出した気がした。
(やばいやばいやばい……っ。あんなの、絶対おかしいって。
何がドロイドだよ……あれ、どう見たって──いや、考えるな。)
小走りに人気のない街角まで出ると、ハルはとうとう堪えきれず、頭を抱えてうずくまった。
「うああああ、ムリムリムリゲーッ……俺、HPゼロ、ダメだってばよ!!」
夜の空洞化した街に、その情けない叫びだけが木霊していった。
つづく
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