サバとサンダルと覇道の女
第1話 目覚めは荒野、片足サンダルの不運
冷たい砂が頬に張り付く感覚で、
体は重く、胃は空っぽで痛む。息を吸うたび、乾いた空気が喉をざらつかせる。
ゆっくり目を開く。
視界に広がったのは、不吉な紫色の空だった。
どこまでも続く荒れ地。遠くに見えるのは、ひび割れた壁を残す建物群。墓標が並んでいるようだった。
「……は」
喉から絞り出した声は、ひどくかすれていた。
静香は喉に手を当て、考え込む。
何が起きた?
ここはどこだ?
なぜ私はこんな場所にいる?
私は刺されて殺されたはず……
服装は刺されたときのままだった。赤のクロップドカーディガンに、インナーは黒のキャミソール。ローライズデニム。すぐ近くに転がる愛用のブルーのトートバッグ。それに手を伸ばしたとき、頭の奥に痛みが走った。
そうだ。見た目だけ可愛い女神がいて。
愉快なやりとりをして。
それから、
最後に何か、嫌な記憶があるけど。
……思い出せない。
とりあえず立ち上がろうとして、足元に違和感を覚えた。
右足には、いつもの高級ブランドの白サンダル。
だが左足は、なぜか素足だった。
その光景を処理するのに、数秒を要した。
だがその数秒は、果てしなかった。
人類の戦争の歴史よりも長く、砂漠の砂粒全てを数え上げるより、気の遠くなるような間だった。
そして遅れてきた理解と、それを上回る怒りが、思考を飲み込んだ。
――あなたは激ハードモードです。
「片足サンダルって……地味すぎる。そして思いのほか、不便!!」
右足で砂を蹴り上げた。
「やってくれたわね、あのクソ女神」
異世界転生という、本来なら神イベント。
だが、現実は片足サンダルで荒野に放り出されるという、なんとも苦いスタートだった。
転生ガチャ、大ハズレではないか。
想像していた魔法も、チートも、ハーレムもない。あるのは乾ききった大地と不穏な雲だけ。時折、遠くから唸りのような不吉な低音が聞こえ、周囲に生える痩せた草は、不自然な速さで枯れていくように見えた。
思わず額に青筋が浮かび、こめかみがぴくりと脈打つ。
――陰キャじゃないのが悪いのか? 経験人数がマイナスに働いた? なんだ、この状況……。いるだろ、目を開けると小娘が。都合よく。そういうもんでしょう。なんで、誰もいない。出迎えない。この一条静香を。日本の至宝を。
ぐうううう〜〜〜〜〜〜。
胃が警鐘を鳴らす。
脳は糖分を失い、理性は急速に失っていく。
それでも、静香の歪んだ生存本能だけは、衰えることはなかった。
ギラついた、生存への執着。
このザマで死ぬのは、美学に反する。
それに、死だけは、二度と味わいたくない。
あの『無』に帰する恐怖だけは。
……まさか、異世界転生早々、餓死の危機に瀕するとは。
女神め、チャンスがあれば、食料くらいは支給しろとカスハラしてやろう。真のカスハラってやつを、見せてやるわ。
静香は、重い足を引きずりながら歩き出した。
片足サンダルが砂に沈み、歩くたびに、パコ、パコと間の抜けた音を立てる。
その音は、彼女を嘲笑うかのように荒野に響いた。
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