サバしか捌けないクズ勇者、異世界で今日もサバ読み人生
彗星愛
第1部 民の心はサバで買える。
第1部 プロローグ:この世で一番賢い愚か者
なんもかんも、政治が悪い。
そう毒づいたのは、意識が薄れる刹那だった。
予言が外れていなければ、冴子に刺されることはなかった。
レジ袋が無料のままなら、親友の彼氏とラブホに行くこともなかった。
コロナがなければ、新弾を買い占めて転売することもなかった。
豊洲に移転しなければ、ゼロ円カルピスを作ることもなかった。
地デジに完全移行しなければ、高橋くんの机であんなことしなかった。
きっとそうだ。
なんもかんも、政治が悪い。
私が死ぬのは、私のせいじゃない。
――そう言い訳を重ねながら、一条静香(いちじょう しずか)は死んだ。享年28歳。
死因:自業自得。
***
うっすらとした光が静香の目の前に浮かんだ。光の球体がゆっくりと近づいてくるにつれて、彼女の心は不思議とポカポカと温かくなる。
その温かさはあまりに優しく、静香は思わず声が漏れそうになる感覚に襲われた。息が詰まるような錯覚。
そこには肉体はなく、ただ自分がどこにもいない、死んでしまった事実だけが漠然と漂っていた。
――ああ、死んだらこうなるのか。
体は虚ろだが、思考は妙にクリアだ。
不思議と恐怖はない。それよりも、この宙ぶらりんの状況が気に入らない。
そんな思考が頭の中で渦巻く一方で、感情的な何かが急速に拡大していく。心はないはずなのに、胸の奥が締め付けられる感覚。それはきっと……
後悔だ。
私はひどく悔やんでいる。
家族に、友に。そして世界に。
心から謝罪したい。
どうか、もう一度。
彼らに謝る機会を……
「その反省しているフリ、意味がありませんよ」
大きなため息とともに聞こえた声に、静香のモノローグは、文字通り一瞬で冷え切った。声の主は、目の前でぷわぷわと浮かび、きらきらと輝いている、いかにも「女神様」といった体裁の少女だった。静香は内心で問いかけた。
なぜだ? どうしてこの私が、上辺だけの「反省アピール」と見透かされた? そもそも、アピール以外の反省など、この世にだってあの世にだって存在しないだろうに。
「あと、リケジョっぽい知的アピールするの、やめてくださいね。なんでも効率とか損得で考えるの、私に筒抜けですから」
それにしても、この女神。見た目は幼くて可愛らしいが、口調は事務的で愛嬌がない。この愛嬌のなさも、どうせ男どもを漁るための演出だろう。まったく、どこまでも計算高い女だ。静香は内心でうんざりした。
女神が、手元の煌びやかなボードをチラつかせた。
「あの。今、あなたの思考を逐一記録していますので」
そこには、静香の「心の声」がリアルタイムで文字として表示されている。やはりそうか。思考がすべて筒抜けだったのだ。静香は眉をひそめた。
「随分と趣味が悪いわね」
「仕事ですから」
「リアクション薄。何? サバサバ系? やめな。男受け悪いから」
「私の感情を逆撫でしようとしても無駄です」
「そういう態度やめた方がいいよ? 女の子は、見抜くから。それで変なあだ名つけられたり、悪口言われたりして。で、男はそういう噂、間に受けちゃうから味方がいなくなって。結局クソな男に騙されろ」
「不適切な言動・思考は、すべて上層部に報告させてもらいます」
無表情なのに、女神の言葉はわずかに震えている。
静香はふふ、と内心で笑った。どうやら怒っているようだ。結構だ。もっと怒れ。
そして私を地獄へと送るがいい。
それが貴様の使命だろう、女神よ。
私は地獄を所望する。
「地獄には送りません」
女神はため息をついて言った。
「……待ってよ。ねえ、私、世界でも五本の指に入るレベルの悪女なんだけど。まさか地獄が定員オーバー? それとも神界の予算が足りないのかしら?」
必死に理由を聞いている静香をよそに、女神は手元のボードを眺め、ブツブツと呟き始めた。
「……父は飲料メーカー社長。幼少期からピアノ、花道、バレエ、水泳、空手などを習得。学生時代は弓道で日本3位。京都大学在学中に複数の論文が表彰され……新卒で大手広告代理店に入社後、2年目で大手自動車メーカーのプロモーションを担当。その際、社の機密情報を競合他社に売り飛ばし、社内政治を掻き乱し、同僚の彼氏を寝取り、上司の秘密を握り、最終的に自社株を空売りして莫大な利益を得て……」
そこまで言うと、女神はボードから顔を上げた。小首を傾げてぽかんと口を開ける姿は、確かにキュートだ。瞳は、深い疲労の色が宿っているが。
女神ははっきりとした口調で、冷たく言い放った。
「地獄なんてありません」
「……え?」
「地獄なんてありません」
女神は二度、繰り返した。
つまり、そういうことなのだろう。地獄がない。
だとしたら?
すなわち、生き物は皆、天国へと召される運命。
なんと、やさしい世界。
……。
天国か。
ま、ひとまず男を漁るとしよう。そう静香が思案したとき。
はあ……、と女神の何度目かのため息が漏れる。
「転生、です」
「はい?」
「命が尽きたら、一度だけ異世界へと転生するのです。私の役目は転生を案内すること、そして加護を一つ授けることなのです」
「もういいって、転生とか。さっさと天国に送ってちょうだい」
「いいえ。残念ながら、天国も地獄も存在しないのです。この先にあるのは“無”。最後にどうか、異世界を謳歌してください」
無。
この言葉に静香の心が揺れる。
ああ、そうだ。
死ぬのは終わるから怖いんじゃない。
終わりがなくなるから怖いのだ。無が続く。どこまでも。どこまでも。
死ぬというゴールがなくなるから、怖かったのだ。
どうして忘れていた?
怖い。
今後こそ本当に終わりがなくなっちゃう。
異世界で終わったら、本当の終わり。
いや?
「ってことは、異世界で終わらなければいいだけよね?」
「……」
「異世界転生ってあれでしょう? 不老不死的なアイテムがあって、陰キャがハーレムになって、無能が無双するやつでしょう? 転生前が陽キャで有能だったら? 激ハードモードじゃないとバランス取れなくない?」
「ええ。あなたは激ハードモードです」
「……あるんかい。まあまあ、結構。退屈な世界よりは、そちらの方が私を愉しませてくれるでしょう」
底知れない「無」への恐怖から解放された途端、静香の支配欲と承認欲求が顔を出す。生き残る、それも徹底的に。世界を手のひらで転がすために。
「落ち着いてください。その世界で命が尽きれば、本当に終わりなのです。どうか悔いのないように、生き抜いてくださいね……」
女神は、額を押さえ、吐き出すような声で告げる。その姿は、まるで多忙な上司に苦情を言えず、胃を痛めている中間管理職のようだった。
「ご忠告どうも。胃痛はあなたの管理能力不足じゃない?」
静香の言葉に、女神の瞳がわずかに見開かれる。一瞬の硬直。
(……ふふ、可愛いリアクション。まあ神って言っても、感情を持つ。そして感情を操るのは容易い。この女神だって、私と同じ愚か者なのよ)
「はあ……。では最後に、その世界を生き抜くための加護を授けます。一人に一つだけ与えられる唯一無二のスキルです」
女神は、再び顔を隠すようにボードに視線を落とした。
「へえ、スキル。風を操れるとか? 炎を出せるとか? それともドラゴン召喚? 期待させてもらいますよ、女神」
「……勇者に、幸あれ」
瞬間、静香の体が光に包まれた。柔らかく、温かい。
「あれ、私の加護は?」
女神は、心底疲弊した顔で、はっきりと言った。
「サバを捌く、です」
「……は?」
意識がすうっと溶けていく直前。
女神の顔に「ざまあみろ」という、極めて人間的な歪んだ笑みが浮かんだのを見た気がした。
「……は?」
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