1.端末の中から

 家に帰ると、すぐにシャワーを浴びた。

 一刻も早く身体を流したくなったのだ。

 かなり汗をかいてしまったという理由も大きいけれど、それだけではない。

 ニホンさんの血が付いていたなどは見当たらなかったものの、血の匂いがだんだんと気になってきたのだ。

 特に匂いを強く意識した覚えはない。けれど、家への帰路を歩むにつれ、あの場に漂っていた血の匂いが不思議とこみあげてきた。

 気分が悪くなって吐き気までしてくるほどだった。

 身体を洗い流したら、落ち着いたように思える。


「おかえりなさい。お待ちしてました」

「は? え?」


 シャワーを済ませ、リビングへ向かうと柔らかくて甘い響きのある声に出迎えられた。

 誰の姿も見えない。全く聞き覚えのない声だった。

 気のせい、のはずはないのだけれど心当たりが全くない。テレビの声なども疑ったが、タイミングが合いすぎていたし、そもそもテレビはついていない。


「こちらですよ、こちら。ちょっと組み立てて頂けませんか?」


 声がしたのはテーブルの方だった。ニホンさんに渡されたタブレット端末だ。組み立てるっていうのはなんなのかと思ったら、端末の画面に組み立て方が出ていた。

 家への帰り道では画面をタップしても、ボタンを押しても全く反応しなかったのに、どういうことか。腑に落ちないながら、出ている指示通りにボタンや出っ張りを操作したり動かしたりすると長方形の箱、直方体みたいなものができた。


「ありがとうございます。ばっちりですね! これでやっとご挨拶できちゃいます」


 バーチャル配信者みたいな二次元、いや三次元ホログラムのキャラが直方体となった端末の中に現れた。綺麗で可愛い見た目だけれど、可愛さに比重が置かれていそうな印象だ。

 ツインテールで、ふわふわな白銀の髪で、背中くらいまで長さがあって、キラキラと金色の瞳を輝かせている。


「宜しくお願いします。えーっと、何さんでしたっけ? 露出狂さんですか?」


 お辞儀をしてから、首をかしげて尋ねてきた。随分と過剰な身振り手振りをするよな、と思いつつ、即座に服を着ることにした。下着姿のままであらぬ誤解を受けるのは好ましくないだろう、たぶん。


 端末内で動く存在をじっくり眺めてみると、こいつは一体何者なのだろうという疑問がどうしても出てくる。


「やっほー、聴こえてますか~? そんなにじーっと観察して、私、何かおかしなとこありましたかね?」


 端末の中から山に向かって叫ぶように呼びかけてきたかと思ったら、どこからか出現させた全身映せる鏡で自らの服を確認し始める。学校の制服、というよりは軍服に近いようなビシッとした緑を基調とした服装がキマっている。


「あえていえば、そのきっちりした格好にふわっとしたツインテールは合わないかも」

「えっ、そうですかね? 似合うと言ってくださった方もいるんですけれど」

「それって、もしかしてニホンさんのこと?」


 つい尋ねてしまった。この端末を渡してきたニホンさんとやはり顔見知りなのだろうか。


「……えぇ、そうですよ~。なぜ、ニホンさんなのでしょう?」

「日本助けてって言ってたし、日本滅びるとも言ってたから。あ、だけど、ニホンタスケテさんの方の意味で呼んでるつもりで――」

「それでは、私はニホンホロビルさんですかね」

「え……?」

「日本滅びるとニホンタスケテさんにお伝えしたのは私なので」


 胸元に手を当てて、こちらを見つめてくる瞳はまっすぐだった。それまでのどこかおどけた様子とは違っていた。


「君は一体なんなの?」


 今が訊く時だと誰かに背中を押されたような感覚だった。


「未来から来た超高性能な人工知能です」

「……未来から、なの?」

「えぇ、日本が滅びるのを食い止めるために来ました」


 人工知能という可能性はあると思っていた。でも、未来からというのは想像していなかった。言われてみれば、直方体に組み上がった端末も見たことないような近未来的なデザインだ。


「情報体として送り込まれた形になるので、この端末自体は未来のものってわけじゃないんですけれどね」

「あぁ……うん、そっか。近未来的な何かにも見えたけど違ったんだ?」

「もちろん私の力の及ぶ範囲で性能の向上は図っていますよ。なので、この端末がそう見えるのであれば、私の性能がいかに優れているかを示せたことになっちゃいますね」


 誇らしいのかダブルピースを見せつけてくる。こんなのが未来から来た超高性能な奴なのだろうか。そういう設定でそこらにいるどこかの誰かが中の人となって人工知能を演じてる方がよほどそれっぽい。


「実のところ、物質を過去に送る実験も幾度となく試されてはいるんです。しかし、私の知る限りでは一度も成功していません」


 いわゆるタイムマシンか。でも、情報体として人工知能を未来から送り込むだけでもかなりすごいことだと思う。本当のことならば。


「二分後に地震が起こりますよ。この辺りも少しだけ揺れますね――震度二です」

「それは、予言かな?」

「私の感覚では予言や予知とは違うように思えますが、どうなんでしょうね。ところで、ツインテールに合う服を教えて頂けませんか?」

「え、なぜ?」

「ツインテールに合う服を着たいって理由じゃ、ダメですか?」


 ツインテールをいじりながら尋ねてきた。ダメなはずがないのだけれど、なぜわざわざと思ってしまう。


「教えて頂けないのですか?」

「いや、そうじゃなくて、自分が合うと思う服を着ればいいんじゃ、と」

「んーーー、どこかの誰かさんに合わないと言われたくないんですよねぇ。さて、どんな服が合うでしょうかねぇ?」

「あー、えーっと、そっか。うん、例えば、ゴスロリとか学校の制服とかかな」


 じとーっとした視線を向けられる居心地の悪さに耐えられず、思いつくままに答えてしまった。そして、なぜか「へぇ~……」と溜息のような吐息と共に品定めするような視線を向けられる。


「ゴスロリとか学校の制服とか……ですか。んー、ロリータでもいけそうに思えますが、あえてのゴシックアンドロリータなのですね。そうですか。そして、きっちりよりもふわっとですよね~……そうなると……」


 何やらぶつぶつと呟きながら、どこからか取り出したかばんの中に両手を突っ込んでいる。ちなみに鞄は空中に浮かんでいる。もしや四次元空間にでもつながっているのだろうか。仮想現実っぽい端末の中でなら、なんでも起こりそうに思えた。


 と、揺れが起こった。床が、部屋自体が揺れた。地震だ。部屋の時計で確認すると、ちょうど伝えられていた通りの二分後だ。スマホで確認してみたら、震度まで当たっていた。


「どうですか?」


 本当に当てるなんて、と言おうと思ったけれど、そんな返事は求められていないようだ。いつのまにかゴスロリ風の制服みたいなものに身を包んでいた。黒多めで、赤や白がアクセントになっている。


 どうやら地震のことなど全く気に留めず、着替えていたようだ。いや、それでいいのか。君はなんのために来たんだよ。と少しだけ突っ込みを入れたくなった。


「和風にしてみました」


 クルッと見せつけるように、あるいは舞うように一回転。


 回る姿で気付いた。そで部分が振袖のように長くなっている。黒いヘッドドレスの飾りはバラなどではなく赤い彼岸花がモチーフだ。よく見るとリボンも巫女みこ服の羽織に付いているひもみたいなものだし、十字架に見えたのも実際はT字だし、鳥居っぽいのやホオズキっぽい形の紋様も見える。おそらくロリータ要素が強いのは、スカート部分のふわっと膨らんでひらひらしているところだろう。


「もはやゴシックというより和シック。和シックロリータ風の制服みたいな異形だね」

「いぎょー……それってどういう意味ですか?」

「と、当然、素晴らしいって言ってるも同然だよ。もう悪魔融合によって生まれた闇巫女ロリータ制服! とでも呼ぶのが良いように思えてきたくらいだ。これほどファッション性がキレッキレで鋭すぎて大ケガしちゃいそうになってるのなんて、ほんっと初めて見た」

「…………似合ってますか?」

「うん、とても似合ってる」


 それ以上に答えられる言葉がなかった。ツインテールに合うかはともかくとして、白銀の髪に闇巫女ロリータ制服は実際にかなり合っているように思えた。


「ふふふん。ありがとうございます!」


 白銀の髪が少しだけオレンジ色を帯びたように見えた。けれど、気のせいかもしれない。でも、そんな風に感じられるほど眩しい光そのもののような笑顔を見せてきた。

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