ニホンホロビル ~日本が滅びちゃうらしいのでどうにかできないか考えてみます~

月日音

O.日食と老人

 お日様が食われている。

 次第に、着実に。

 影がしみこみ、光は失われていく。


 空に浮かぶのは三日月、にやりと笑う口元に似ている。いや、月ではなくて太陽だけれど。


「お日様が隠れるといえば、アマテラスの天岩戸あめのいわとか」


 昔の人は農耕で日々の食べ物を確保していた。そんな彼らからすれば、お日様の異変はどれほど衝撃的だったか。陽光が届かなくなることは不作と飢えに直結し、先にあるのは悲惨な死だ。恐怖の度合いは今とは全く違うだろう。お日様にこれからも地上を変わらず照らしてほしいと必死に願い、祈ったり捧げたり、あるいは祭りを開いたりしたのだろう。


 お日様はまもなく闇に丸ごとのまれてしまった。

 皆既日食かいきにっしょく

 月の裏側に太陽が隠れてしまうだけのこと。

 それでも、空に広がる光景はそれだけのこと、と思えるものではなかった。


 お日様に成り代わった闇の円。その闇の円を囲むようにして光がぼんやりと輪を描いている。お日様の輪郭だ。それほど明るいわけではないので目で直接見つめてみる。

 神様や仏様や神秘的な何かが周囲に放つ光、後光ごこうのようだと感じた。


 ――でも、お日様の後光はお日様自身が隠れてくれないと見えないわけか。とすれば、そのありがたさって失って初めて認識できるってことだな。


 思わず手を合わせてしまい、折角だから何かを願おうかと――その時だった。


「助けて、ください」


 誰かの声が聞こえた。気のせいかと思った。けれども、振り向いてみれば、老人がいた。暗くて顔はよく見えないけれど、近付いてくる。


「そこの、あなた……お願いします。どうか、どうか」

「えっと? あの、はい?」


 戸惑いだけが言葉となり、何を尋ねるべきか全く思い浮かばなかった。近寄ってきた老人は苦しそうに顔をゆがめている。


「お願いします……ほん、助けて」

「助けて? 大丈夫ですか?」


 なぜか老人はうなずきながら、板状の何かを差し出してきた。

 見た目からするとタブレット端末のようだ。スマホにしてはやや大きい。


「日本を。日本のみんなを、どうか助けて」

「えーっと、日本って、どういう意味でしょう?」

「……日本が、滅びる。滅びてしまう」

「滅びるって……?」


 日本は今この場所、この国だ。あまりに平和ボケしていて危機感がなさすぎる国だとは思うけれど、急に滅びるだの言われても、訳が分からない。

 だって、先ほどまで街並みを眺められる少し見晴らしのいい場所、特別でもなんでもない場所で空を見上げていただけなのだ。平和そのもののような時間が流れていたのだ。


「これに全て……」


 タブレット端末を押し付けるように渡してきた。何か書かれているのだろうかと、うながされるまま手にとって画面を見ようとしたら、老人が急にせきこみ始めた。


「ごほっごほっ……あとは、お願い」

「だ、大丈夫ですか?」

「いいので、それを……みんなを…………ごほっぐっ、ガハッ」


 老人は渡してきた端末を指で示してから、ふらふらとよろめくようにして背を向けた。かと思ったら、ひときわ激しくせきこんで、血を吐き始めた。鮮やかな赤い色だ。

 膝を折り、その場でうずくまってしまう。


「ぜぇ……ガハッグホッ」

「救急車! 救急車、呼びますね?」


 口から溢れてくる血は止まる気配がない。血を吐くなんて、どうしようもない。どうすればいいか、分からない。医者でも看護師でもないのだ。救急車を呼ぶこと以外にできることが何も思いつかなかった。


「あの、その、救急車、呼びましたからね?」

「…………ゴハッ」


 呼びかけても返事らしい返事はなく、咳と共に血を吐き出し続ける。老人の口元や手には泡の混じった血がべっとり付いていた。


「えーっと、日本……ニホンさん、しっかりしてください。すぐに助けが来ますから。きっと来ますからね」

「あぁ……」


 何を思ったのか、名前も分からない老人の力に少しでもなれればと思って、そんな言葉が口をついて出てきた。

 ニホンさんは小さくうなずいた気がした。そして、涙を流し始めた。


 それから、どうしたのだろう。

 救急車が来て、運ばれていって。

 茫然と立ち尽くしていた。

 気付けば直射日光を浴び、体中から汗が噴き出ていた。


 手には、渡された端末があった。ずっと手に持っていたのだろうか。

 全然、覚えがない。

 端末は、手の平には収まらず、ポケットにも入らないけれど、片手で持ちたくなるくらいの大きさだ。画面には何も映っていない。電源が入っていないのか。


「あの人、ニホンホロビルさん……違う。ニホンタスケテさんに返せるのかな?」


 懸命に伝えてきた言葉を仮の呼び名にした。

 どんな名前かも、どんな人かも、何も知らない。

 この手にしたままの端末はどうしたらいいのだろう。警察に届けるべきだろうか、それとも病院へ付いていくべきだっただろうか。

 救急車が来た際、付き添うかどうか尋ねられた。でも、首を振って断った。ニホンさんがどうなってしまうのかを想像したら気乗りがしなかった。


 ――助かってたらいいのだけれど。


 白いコンクリートの地面にニホンさんの吐いた血が広がっていた。

 今はもう乾いてきたせいか、くすんだ暗い赤だ。けれど思い出されるのは、朱肉の赤を思わせる赤く鮮やかな血の色だった。

 ふと空を見上げたくなった。空には正午近くのお日様が高い位置に浮かんでいる。


 ――丁度、あの形とおんなじか。


 お日様に向かって手をかざす。

 なんの偶然か、地面に広がった血の跡は、まんまるに近かった。

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