第六章
後楽園をしばらく歩くと、遠くで手を振っている女子高校生を見つけた。一生懸命に手を振っているのは亜矢子だった。麻希子と絵美もいた。どうやら私達を待っていてくれたらしい。
「遅いよ。でも、ゆっくり話せたみたいだね」待ちきれないと言わんばかりに亜矢子が近寄ってきた。
「ありがとう、とても素敵な時間を過ごせたよ」奈美子は亜矢子を見て、麻希子と絵美にもお礼を言った。
「とにかく喜んで貰えてよかった。じっと待っているのは、ちょっと寒かったけどね」絵美は腕を抱えるようにした。
そういえば、歩いているときには気づかなかったが、とても冷え込んでいるように感じた。
「もうすぐバスに戻らないとね。ねえ、もう一枚写真撮っとかない?」麻希子はデジタルカメラを持っている亜矢子を見た。
「ちょっと薄暗いけど、多分まだ大丈夫だよ。じゃあ、並んで」亜矢子は岡山城をバックに移る方向にカメラを向けた。
一枚は近くを通る観光客に頼んで私達五人を撮ってもらい、もう一枚は私と奈美子の二人だけで撮った。
私達がバスに戻ろうと歩き出すと、頭に冷たいものを感じた。
「あれ、これ、雪じゃない?」絵美が空を見上げた。
確かに雪だった。細かい雪が風になびきながら舞っていた。
「岡山って雪降るの早いんだね」亜矢子が空を見上げたまま言った。
「こんなに早く降るのは珍しいと思うんだけど……」麻希子は不思議そうな表情で風に舞う雪を見ていた。
「風も強くなってきたし、早くバスに戻ろう」絵美が歩き出したので、私達も歩き出した。
私達が強い風に抵抗するように短いスカートを手で押さえながら歩くと、奈美子と目があった。私は奈美子の目を見つめながら頷いた。私が頷くと奈美子が微笑んだ。
もちろん憶えてるよ。雪の日の合格発表を。
ホテルに戻り夕食が済むと、私達は部屋で体育教師の悪口を言っていた。その体育教師は何を言っているか分からない男子教師だった。悪口の内容といえば、もっとちゃんと発音しろよ、とか、口を大きく開いて話せよ、などだった。私はこの教師に怒られても、何を言っているかわからないので、いつまでも気にするようなことはなかった。つまり私にとっては、体育教師が何を言っているかわからないことはとても都合のいいことなのだ。
みんな言いたいことを言うと、次の話題を探し始めた。
「私、そろそろ帰らないと」奈美子の声はとても小さかった。
私達は一斉に奈美子を見た。微々たる無言の時間が、とても長く感じられた。
「まだ、いいんじゃない?明日もあるし、新幹線に乗るまででも」麻希子は努めて明るく言っているようだった。
「っていうか、戻らなくてもいいじゃん。私達と一緒にいようよ。ね、亜美もそう思うでしょ?」亜矢子が私を見たので、私は黙って頷いた。
奈美子は首を振った。
「そういう訳にはいかないの。もう、お別れだね」奈美子は私を見て、そして亜矢子に微笑んだ。
「帰るってどこに帰るの?」絵美は奈美子を見た。
「それは言えないの」
「じゃあ、帰らないとどうなるの?」絵美の質問に奈美子は首を振った。
「そっか。とにかくもう帰っちゃうんだね。私達、とても楽しかったよ。奈美子のおかげで最高の修学旅行になった。ありがとう」麻希子は微笑んだ。
「それで、いつ帰るの?」絵美が奈美子に尋ねた。
「今よ」
「今?」
奈美子は頷いた。
「それで、お願いがあるんだけど……」奈美子が言うと、私達は奈美子に注目した。「私が帰るには、一人一緒に来てもらわなければならないの。そうしないと、私は帰れない」
「一緒に来るって?」私は首を傾げた。
「つまり、私の世界に来るってこと」奈美子は私達を見た。
私達は顔を見合わせた。
「それって、何?誰か道連れにするってこと?」佐和子が聞いてきた。
私は佐和子の質問には答えず、話を続けた。
「どういうこと?奈美子の行く世界って……」麻希子の声に緊張が宿るのを感じた。
「それは、わかるでしょ?私と同じ状態になるってこと。私の本来の姿。肉体を離れ精神だけの世界」奈美子の憂いを帯びた表情に、私達は凍りついた。
「それ、死んじゃうってことじゃない?私、嫌だよ」亜矢子が懇願した。
「どうして誰か行かないとだめなの?」麻希子が質問する。
「そうしないと私は帰れないの」
「だったら、帰らなければ……」麻希子の言葉に奈美子は首を振った。
「ちょっと待ってよ。何で私達が死なないといけないのよ」絵美が声を張り上げた。
絵美の顔は怒りにも怯えにも似た表情をしていた。
「ごめんなさい」
「私は絶対に嫌だからね。奈美子の為に死ぬ気なんてまったくないから」
「でも、それだと私は帰れないの」
「そんなの知らないわよ。私はあなたに会いに来てほしいなんて言ったことないんだから」
「ひどいよ、絵美」亜矢子の表情は困惑していた。
「だってそうじゃない。もしかして、最初からそれが目的だったんじゃない?私達の誰かをあの世に連れて行く。だから私達に会いに来たんでしょ?」
「ひどいってば……」亜矢子が泣き出した。
「ちょっと待ってよ。なんでそんなことをする理由があるの?」麻希子が絵美に尋ねた。
「理由?そんなのわからないよ。あの世には、あの世の決まりがあるんでしょ?さっきから奈美子は私達には言え無いことばっかりじゃない。きっと、あの世のお偉いさんから、誰かを殺して連れて来い、なんて命令されたんじゃない」絵美の顔は紅潮していた。
「とにかく落着いて」麻希子が宥めた。
「そうだ、亜美。あなたが行けばいいじゃん。亜美が一緒に行けば、奈美子だって寂しくないでしょう」絵美が私を見た。
私は一斉に視線を浴びた。誰かが奈美子についていかなければならない。だとすると一番仲の良い私に矛先を向けられるのは当然だった。それに奈美子は私に会いに来たのだ。
「ちょっと待ってよ。何言ってるの、絵美」麻希子が理性を必至に保とうとしているのが伝わってくる。
「だって、それしかないでしょ」絵美が冷たく言い放った。
「嫌だよ。誰も死んじゃ嫌だよ」亜矢子が叫んだ。
「じゃあ、亜矢子が行く?別に麻希子でもいいけど」絵美の言葉に亜矢子の嗚咽だけが聞こえた。
「とにかく、もうちょっと冷静になって。もう少し奈美子の説明を聞きたいし……」麻希子が絵美を落着かせようとしていた。
私は見渡した。必至に頭を回転させようとしている麻希子。すでに理性を保っていられないのは明らかな程、顔が紅潮している絵美。そして、涙を流している亜矢子。何故、私はこんな光景を見なければならないのだろうか。いつも一緒にいる仲間が混乱に陥っている姿。私はそんな仲間を見たくはなかった。いい思い出のままで残したい。大切に思える修学旅行にしたかった。
「いいよ。私を連れて行って」私は言った。
みんな一斉に私を見た。
「亜美……」亜矢子の声が微かに聞こえた。
「私、奈美子と一緒なら別に死んでもいいよ。私、何度も奈美子に助けられた。だから、奈美子が困っているなら私が助けるよ。奈美子とずっと一緒にいられらるなら、それでいい」私は穏やかに言った。
「ありがとう、亜美」奈美子の目から涙が流れた。
私の頬にも冷たいものが流れるのを感じた。奈美子が両手を広げたので、私は笑顔で奈美子に近づいた。
「ちょっと待ってよ。亜美、待ってってば」麻希子の焦燥を感じる。
「やだよ亜美。待って……」嗚咽の間から発せられた亜矢子の言葉が聞こえる。
絵美は、ただ黙って私と奈美子を見つめていた。
私は奈美子に抱きついた。奈美子は私の背中をきつく抱いてくれた。
「ありがとう。亜美」奈美子の言葉に私は黙って首を振った。
もう誰の声も聞こえなかった。私は奈美子の胸で泣いた。それは死ぬのが嫌だからではなかった。こうして奈美子と会うことができ、永遠と共にいられるかもしれないという喜びでもない。ただ奈美子とこうしていられることに涙が出てきた。
「亜美、忘れないでね……」奈美子が涙声で囁いた。
奈美子の腕に力がこめられた。私の視界は薄暗くなり、そのまま暗黒に世界に堕ちてたいった。
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