第五章

 奈美子は中学二年生の時、付き合った男性がいた。私が知る限りでは、最初で最後の恋人だった。その恋人が淳だった。

 淳は成績もスポーツもそこそこだったが、クラスの中では女子生徒からも男子生徒からも人気があった。学級委員をやるようなタイプではなく、信頼できるような男性でもなかったが、明るい性格と親しみやすさから誰もが気軽に話し掛けられるような存在だった。中学二年生の時のクラス換えで淳と一緒のクラスになり、その数ヵ月後、奈美子が昼休みに図書館で本を読んでいると、静かに近づいてきて告白したらしかった。奈美子は不意の告白に戸惑ったが、淳の人柄と親しみやすさからその場で淳の思いを承諾した。

 その時、奈美子は頭のいい男性や、スポーツが得意で女子生徒に追いかけられるような男性よりも、淳のような性格のほうが一緒にいて楽しいと思ったから、だと言った。私は奈美子が淳のような男性を選んだことに以外な感じがした。

 数週間後、奈美子から淳と肉体関係を持ったと聞かされた。私は驚嘆した。私の基準では中学二年で性経験をすることは早過ぎるからだ。私は中学生で恋人をつくること自体、拙速だと思っていた。

 奈美子は淳が迫ったとき必至に拒んだが、半ば強引にホテルに連れて行かれたという。しかし奈美子は、いずれそうなることだし、好きだから、と言っていた。そんな初体験でいいのか、と私は思った。私の中での初体験というイメージは、とても新鮮で綺麗で崇高な感じがしたからだ。奈美子は相手が淳だったら別にいい、と言った。

 初めて関係を持った後、淳は急に奈美子に会いたがらなくなった。教室で顔を合わせても、取って付けたような態度だったらしい。私は奈美子から相談を受けたが、私はただ「どうしてだろうね……」としか言えなかった。

奈美子は淳と付き合い始めてから、よく私に相談をしてきた。今まで私が奈美子に相談をしたことはよくあることだったが、その逆は滅多に、いや全くなかった。私は奈美子が変わってしまったと思った。きっと変わってはいなかったのだろう。今まで見ることがなかった奈美子の違う一面を見ただけかもしれない。とにかく淳が奈美子に目には見えない刺激を与えた、と私は思い込むことになった。それは視覚では捉えられない紫外線によって、白い肌を黒くするかのようだった。




一週間後、奈美子は部活が遅くなって帰るとき、帰り道の薄暗い大通りの歩道で、まるで行き交う車の運転手に見せつけるかのように男女が口付けを交わしている光景を見たらしい。その恋人らしき二人は、二人とも奈美子と同じ中学の制服を着ていた。その二人を奈美子はさり気無く目を凝らして見ていた。そして、その男子生徒は淳だと分かった。

私は奈美子の電話を受けると、奈美子は泣いていた。私は奈美子を慰めた。私が奈美子を慰めたのは、この時が始めてだった。私は奈美子の弱い部分を知った。私は奈美子の弱い部分を知りたくはなかった。願わくは、永遠と知りたくなかった。いつも賢明で運動能力が高く、そしていつも強い奈美子でいてほしかった。私の手の届かない所にいる奈美子が好きだったからだ。

夏休みが近づくと、ある噂が学校中に広まった。違うクラスのある女子生徒が妊娠し、既に中絶をしたらしい、という噂だった。そのある女子生徒とは、あの薄暗い歩道で接吻をしていた女子生徒であり、妊娠させた男性とは淳のことだった。あくまでも噂話だが、淳と女子生徒は結婚することもなく、すでに付き合いも解消したらしい。その解消は本人達の自発的な解消なのか、女子生徒の両親の逆鱗に触れ、解消させられた受動的なものなのかはわからなかった。

 当たり前の話だが、この噂が広まると淳に対するクラスの見る目や接し方が変わることになった。中学生という立場で、まだ意思すら持たない小さな命が、希望に満ちている筈の世界に堕胎されたのだから当然の仕打ちだと私は思った。

 女子生徒は学校に来なくなったらし。これは私と奈美子で確認したので、噂ではなかった。そして淳は、今度は違う中学に通う女子生徒と付き合っているという目撃情報が流れた。




 夏休みに入った。一学期の間に奈美子はいつの間にか淳に振られ、淳は二人の女性を振った(もしかしたら二人どころではないかもしれない)。

 夏休み中の奈美子は強靭の強さを取り戻した。夏休み中は部活と勉強に専念していた。人よりも三倍多くバトミントンのラケットを振り、人よりも三時間多く勉強しているらしかった。中学二年の夏休みは、ほとんど私は奈美子と遊ばなかった。部活動以外の奈美子は、家に篭っていた。

 夏休みが終ると、さらに強くなった奈美子が帰ってきた。私の好きな強い瞳も持った奈美子だった。成績は何度も学年トップに君臨した。私は、あの弱い奈美子を見ることはもうないだろう、と思った。

 ちなみに、この話を知っているのは私だけだった。奈美子は私以外には誰にも話していないと言った。そして私が知る限り、奈美子と淳が付き合っていた、という噂はどこにも流れてはいなかった。




 「最低な男だね」佐和子は吐き出すように言った。

 「でも、あの時、私は初めて奈美子を慰めたと思う。いつも私が慰められっぱなしだったから、ちょと嬉しかった。もちろん淳には腹が立ったけど」私は言った。

 「でも、そんな男ってどこにでもいるね。私も知ってるよ。そんな男。その男の話をしたいところだけど、話の続きが聞きたいから後でね」と言いながら佐和子は笑った。

 私も笑って、話の続きをした。




   

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