【02】二年生の列
表題は『二年一組学級名簿』――掲示板に貼り出されていたものと同じだ。どうやら、始業式の後に配られる予定のプリントを先んじて入手したらしく、詩葉は得意気にそれを見せつけてくる。
「先生に頼んだら貰えちゃった。」
「そんなことしなくても、待てばいいのに。」
とはいえ、昇降口はとても混んでいたから、僕も詳しく名簿を確認できていたわけではない。落ち着いた状態で、同じクラスになった人を把握できるのは素直にありがたいことだ。
詩葉の他にも、名簿には見知った名前がいくつか載っている。慶太はいないが、雑談やグループワークに困ることはなさそうだ。
「……でも、これがどう関係あるの?」
ただ、問題は詩葉が妙なことを言いながら名簿を広げたことである。
「今年は凄いことになる」――確かに落ち着きのない子はいるし、一年生の冬ごろから付き合い始めたカップルもいて、喧嘩の絶えない二人組もいる。少なくとも、賑やか以上のクラスになることは間違いないが、まさか、彼女がそういうことを言いたかったわけではないだろう。
「ねぇユイくん。二年生の合計は?」
「一組は24人でしょ。だから、学年だと倍の48人。……ほら、ここにも書いてある。」
不思議な問いには簡潔に答える。
名簿は『綿本 詩葉』――出席番号24番の彼女で終わりだ。右下の方にも合計人数が丁寧に記されているから、間違えようがない。
「それ、覚えておいた方がいいかも。」
軽口を叩くときとは違い、彼女は至って真剣な顔で言う。
もちろん、僕はすかさず「どういうこと?」と聞こうとしたけれど――声を出すよりも先にチャイムが鳴ってしまった。
「はい、始業式は体育館です。もう二年生だからテキパキ動けるよね。」
予鈴に合わせて、学年主任のよく通る声が響く。
教室の椅子が一斉に引かれ、不揃いな足音が床を叩いた。早速、皆は廊下に出て、体育館へ向かう列を作り始める。男女ごとの背の順で並ぶことになるので、僕は前の方、詩葉は真ん中だ。身長自体は同じくらいなのに、女子は競争相手が強くないから羨ましい。
「話はまた後で。ユイくん出番もあるもんね。」
「あ、そうじゃん!」
今日の僕には「今年度の抱負」を話す役目がある。
空穂中学校の始業式では、毎年、新二年生と新三年生の代表生徒が簡単にスピーチを行う。もちろん、全校生徒の前で真面目な話をするというのは、僕らにとって拷問にも等しいので、メンタルの強いお調子者か、教師から頼まれて断りきれなかった生徒の仕事になることが多い。僕は後者である。
原稿は頭に叩き込んでおいたし、前日には家で発声練習もしたから、変なことにはならないと思うけれど、意識すればするほど不安が過ぎる。詩葉は、僕のその様子を面白がっているみたいで、先程の真面目な顔がまた満面の笑みに戻っていた。
「……言っとくけど、別に噛んだりはしないからね!」
「はいはい、それは心配してないって。」
僕らがそれぞれの場所につくと、列はゆっくりと動き出す。
廊下には制服の布擦れと靴音だけが響いた。無駄話をする子もいたが、全体的には静かだ。春という季節は、皆に緊張を強いるものらしい。
体育館の空気はまだ少しだけ冷えていた。
窓の高い位置から差し込む光は、木の床をまばらに照らしている。そこに、僕らは腰を下ろして始業式の開始を待つ。
やがて、教頭先生がステージに立ち、マイクの前に歩み出る。口に出されるのは、簡潔で、なおかつ別に面白くはない開式の挨拶である。
そこから、バトンを渡された校長先生の長い話は、新たな挑戦の大切さについて明るく語るものだったけれど、内容よりも「いつ終わるか」の方に意識が向いてしまうのが恒例だ。
僕は二年一組の列で、手元の原稿を握りしめながら順番を待っていた。
誰かの咳払いが遠くに聞こえる。空調のない体育館はとても静かで、力の入った指先が原稿をくしゃりと歪める度に、その音が全校に響き渡った。
「さて、生徒を代表して、二年生の春田 結翔くん、三年生の
先生の案内に合わせて、僕は頭の中で「大丈夫」と何度も唱えながら、壇上へと歩み出す。眼下に広がるのは、学年も性別も入り混じった誰かの顔ばかりだ。
少し目線を動かせば、二年一組の長い長い列の向こうには詩葉がいて、憎たらしいにやけ顔を浮かべているのがわかる。また、一組よりも更に長い二組の列には、後ろの方から両手を振ってくる慶太がいる。
僕はその二人を一瞥してから、マイクの前に立つ。
「――皆さん、おはようございます。二年生の春田 結翔です。今日はこの場を借りて、僕の抱負について話したいと思います。」
一度、声に出してしまえば、後は流れるように進んでいった。
そもそも、先生にもチェックしてもらった原稿だ。内容自体に恥ずかしいことは一つもないだろう。
「昨年、僕は生徒会副会長に選ばれてから、年間を通じて様々な行事に関わってきました。準備は大変でしたが、誰かと一緒に動くことで、学校という場所が少しずつ自分のものになっていく感覚がありました。」
「そして、今年度は――」
それから、僕のスピーチは「副会長として学校をよりよくしながら、次の選挙では会長として立候補したいこと」「部活でも、初めてできる後輩の手本として立派に引っ張っていきたいこと」――というように、当たり障りのない方向性で展開されていった。
同じ立場であれば他の誰でも言えるような内容だけれど、実際、本心がこうだから仕方ない。僕は普通の中学生として、真面目に、前向きに、明るく生きていきたい。それでいい。そうでなければいけない。
「――そうして、皆で少しずつ成長していけたら嬉しいです。」
決して人を動かすような言葉ではなかったけれど、この学校の皆はほどほどに優しい。後輩や友達が前に立っているというだけで、興味をもって話を聞いてくれる子が殆どだ。
三年生の反応は「可愛い」やら「頑張って」やらが占め、二年生は、その長蛇の列にいるほとんどの人が大きな拍手を繰り返してくれている。
「……え……?」
そう、二年生の長蛇の列がある。
二年一組の皆が並ぶ長い列の横に、更に長い二組の列がある。
――二年生の合計は?
不意に、詩葉から訊かれたことが頭を過ぎった。
二年生の数は48名。今年度の空穂中学校では最少人数の学年だった。それなのに、今、僕の目の前にいる彼らの列は三年生よりも遥かに長い。しかも、2クラスの人数は同じであるはずなのに、長さに差が生まれてしまっている。
「なんで……!」
マイクから少し離れた位置で息を吐く。
足元の床がわずかに軋む音と、拍手の余韻の中で、自分の声が無意味に空中を撫でる。
目の錯覚だと思った。あるいは、整列の乱れが原因で長く見えているだけだと考えた。ところが、壇上から見下ろす限り、二年生は明らかに「人数」が多い。
それでいて、僕には誰が増えているのかもわからないのだ。
「春田くん、発表ありがとうございました!」
進行役の先生が陽気に声をかける。
呆然としていた僕は、そこで慌てて一礼してから足早にステージを降り、自分の場所へと戻っていった。
「結翔、お疲れ。」
「かっこよかったよ〜!」
「全く噛まなかったねぇ。」
クラスメイトは口々に褒めてくれるけれど、僕には彼らの声を判別する余裕がなかった。鼓膜には届いているというのに、どこか、遠くの世界から聴こえてくるような心地がした。
ここにも異物はいるかもしれない。
それが何人かもわからない。
このとき、僕の頭を埋めていた想像はそれだけだった。
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