第40話 真実

「……なんということを――」


 ヴァルトは、アレクシスの語った真実に愕然とした。

 しばらくは、言葉も呼吸も失っていた。


 それは、彼にとってあまりに衝撃的な事実だった。

 すべてが、初めて知ることだったのだ。


 ――王族しか知らぬはずの、秘密の通路の在り処。

 それを知り、クーデター決行の夜に城へ潜入し、城門を開かせたのは自分だ。

 だが、その情報源がリヴィアだったなどと――夢にも思わなかった。


 アレクシスがその情報をどうやって得たのか、ずっと疑問だった。

 だがセレスティアという“王女”が側にいた彼のこと。

 リヴィアではなく、セレスティアから聞き出したのだと、ヴァルトは勝手に納得していたのだ。


 まさか。

 あの傲慢で、我儘で、虚勢ばかりはっていた、かつての王女が――。

 恋人に扮した男に、心から信じて、すべてを渡してしまっていたとは。


 胸の奥に、ぐらりと黒い怒りが立ち上がった。


 アレクシスに対して――

 いや、むしろ、かつての自分自身に、か。


 それはすぐに怒りという形をとどめず、形を変えて、彼の内側をむしばみ始める。

 罪悪感、悔恨、そして、言いようのない痛み。


 (リヴィア様は、あの夜、どんな思いで……)


 今の自分ならわかる。

 彼女がどれほど信じ、恋をしていたか。

 そして、どれだけ傷ついたかを。


 フェルシェルでの日々を思い出す。

 民のために泥にまみれ、汗を流し、手を傷めながら――

 彼女は、あまりにも健気で、真っ直ぐで、温かかった。


 もし、その姿を知らなければ。

 昔のままのリヴィアしか知らなければ。

 この話を聞いても、ヴァルトは冷笑していただろう。


「当然の報い」だと、王女の傲慢さが招いた破滅だと。

 何の躊躇もなく、自らの行動を正義と信じて、己の手を汚すことを誇りに思っていたかもしれない。


 ――だが今は違う。


 (私は、何も知らなかった)


 深く、己の無知が恥ずかしかった。

 そして、そんな無知な男の傍らで、あの人がどれほど傷ついたか――想像すらしたくなかった。


「あの頃の状況は――お前も知っているだろう。急がねばならなかった。時間がなかった。だから、どんな犠牲を払ってでも情報を手に入れる必要があった」


 アレクシスの声音には一片の迷いもなかった。あくまで理性的で、計算されつくした冷徹な語り口。

 だが、ヴァルトはその意味を痛いほど理解していた。


 セレスティア救出のため、あの時、時間は確かになかった。

 それを成し遂げるには、誰かが血を被らねばならなかった。


 ――だが。


「……何も、陛下自ら間者のような真似をなさらなくても……」


 ヴァルトは拳を握りしめる。


「それならば……私が……私が代わりに――!」


 それは主君への忠誠心からではない。

 傷つけられた彼女の姿が、ヴァルトの脳裏に何度も浮かんで離れなかった。


 自分が、騙し、情報を引き出す役に回ればよかったのだ。

 どれほど彼女に憎まれようとも、アレクシスの名は汚さずに済んだ。

 そう――あの人の心を弄ぶ役を、自分が背負うべきだった。


「……ヴァルト。お前では無理だ」


 アレクシスは静かに言った。


「お前のような男に、女を騙して、心をつかみ、情報を引き出すなんて器用なことはできはしない」


 それは、紛れもなく事実だった。

 ヴァルト自身、否定できなかった。

 誰よりも誠実で、真正面からしか相手を見られない不器用な男。

 彼には、嘘で人の心に踏み込むことなど、到底できなかった。


 アレクシスは続けた。


「名は――シリウスから借りた。だが、演技の中身はすべて……ヴァルト、お前だ」


 ヴァルトは思わず息を呑んだ。


 アレクシスはリヴィアの好みを徹底的に調べ上げ、彼女の性格も過去も、好きなものも、すべてを掌握した。

 そのうえで、彼女の前に現れた“理想の恋人”を演じたのだ。


 それは、ヴァルトそっくりの男だった。

 まっすぐで、優しくて、黙って見守ってくれるような、彼女が夢見ていた「騎士」だった。


「……四年前のあの日から、ずっと――」


 アレクシスの声が静かに落ちる。


「リヴィアが恋している相手は、私ではない。――お前だ、ヴァルト」


 静かに告げられた言葉に、ヴァルトは目を見開いた。


「……私を? リヴィア様が……?」


 こみ上げてきたのは、驚きと困惑。そして、押し殺しきれぬ喜びだった。


「気づいていなかったのか? あんなにも分かりやすいというのに」


 アレクシスは皮肉めいた口調で呟く。

 思い返せば、確かにリヴィアは時折、はにかむように自分を見つめていた。そんな目で見られていたのかと、今になって気づく。


 言葉を失ったヴァルトに、アレクシスはなおも続けた。


「……セレスティアのことは、まだ好きなのか?」


「っ……そ、そんな……。妃殿下に対して、恋慕など……恐れ多い……」


 しかし、否定の言葉とは裏腹に、ヴァルトの瞳は激しく揺れていた。

 その動揺を見逃すはずもなく、アレクシスはため息を吐く。


「今さら取り繕うな。お前がセレスティアに恋情を抱いていたことなど、とっくに分かっていた」


 ――お前のペンダントもな。


 その一言に、ヴァルトは息を呑む。


 あのペンダント。戦地に赴く直前、セレスティアが渡してくれた“お守り”。

 彼はそれに、こっそりと彼女の小さな肖像画を忍ばせていた。どれほど辛い戦地の夜も、その小さな面影が支えだった。


「はっきり言おう。セレスティアへの想いは、恋などではない。あれは――憧れだ。そうだろう?」


「……私は……」


 答えを言い淀む。恋情と憧れ、その違いさえ曖昧だった。

 だが、アレクシスの言葉はさらに核心を突いてくる。


「お前の好みはな、どこか不器用で、放っておけなくて、庇護欲をくすぐる……まあ、あの柔らかそうな雰囲気の女だ」


 セレスティアとは真逆のタイプ。

 そう続けられて、ヴァルトはぽかんと口を開いたまま固まった。


「……知らなかったのか? お前、昔からそういう女ばかりを無意識に目で追っていたぞ?」


 どこを追っていたかまでは――察して余りある。


 ヴァルトは唇を結び、そしてそっと目を伏せた。

 確かに。思い返せば、気になって目を向けていたのは、いつも――。


「私は……」


 リヴィア王女を、いつの間にか――。

 その事実を認めた途端、すべてが腑に落ちた。

 彼女の言葉、笑顔、視線、何もかもが、自分の心に深く残っていた理由が。


 アレクシスは静かに問うた。


「リヴィアに求婚する権利をやろうか? 今は私があれの後見人。結婚相手を決めるのも、私の権限だ」


 だが、ヴァルトは小さく首を振った。


「……それは、出来ません」


「なぜだ?」


「……あの方と私では、身分が違います」


 そう言いながらも、ヴァルトの胸は苦しかった。

 彼女に手を伸ばしたい――けれど、踏み越えてはならない一線がある。

 王族と自分。夢のような想いは、ただ胸に秘めていればいい。それが、彼女への礼儀でもあると信じていた。


「――お前がそう言うなら、あの話を進めるしかないか」


 肩をすくめ、困ったようにアレクシスがため息を漏らす。


「実はな、リヴィアに縁談が来ている」


 “縁談”という言葉に、ヴァルトははっきりとわかるほどの動揺を見せた。


「相手は、セレスティアの母の故国――エリュサリオスの第三王子だ。穏やかな気質で、顔立ちも悪くない。向こうも前向きだと聞いている。……断る理由がない限り、このまま話を進めるつもりだが?」


「……そのお話、リヴィア様には?」


「これから話すつもりだ。今のあの子なら――私情を捨てて、国のために結婚するだろう」


 “私情を捨てて”――つまり、お前のことを忘れてという意味だ。


 隣国に嫁いでしまえば、リヴィアとは二度と会えない。


 胸を強く握られるような痛みが走る。


「お前が身を引くというのなら、私は喜んでリヴィアをエリュサリオスへ嫁がせる。……どうする?」


 アレクシスの問いに、ヴァルトはほんの僅か唇をかみ――そして言った。


「……それが、我が国と王女殿下の幸福のためになるのならば」

 

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