第39話 男たちは
国王アレクシスは、私的な応接室にフェルシェル候・ヴァルトを招いていた。
赤く満ちたワイングラスを軽く揺らし、くつろいだ様子で椅子に腰かけるアレクシスと対照的に、ヴァルトは形式に則って着席してはいるものの、背筋をぴんと張り、まるで謁見の場のような緊張感を纏っている。
傍目には、幼なじみの再会には到底見えない。無理もない。二人はすでに、主君と臣下という立場に立っているのだから。
「久しいな、ヴァルト。……元気そうで、何よりだ」
アレクシスが軽い調子で言えば、ヴァルトはすぐさま真面目な声音で返す。
「陛下もご健勝とのこと、慶賀に存じます」
堅物め、とアレクシスは内心で苦笑した。幼いころから律儀で、誠実で、愚直なまでにまっすぐな男。だからこそ彼にフェルシェルを託したのだ。空位となっていた侯爵家を継がせたのも、その誠実さを信じてのことだった。
そしてその信頼に、ヴァルトは完璧に応えている。
「フェルシェルの件は聞いている。――よくやってくれた。本当に、よくな」
ふと真面目な声音で続けると、ヴァルトの眉がわずかに動いた。
「お前のおかげで、あの地は息を吹き返した。セレスティアも――心から感謝していたよ。彼女が自分が責任をとると言って聞かないのを止めるのは、正直苦労したくらいだ」
「……もったいないお言葉です。恐れ入ります」
ヴァルトは小さく頭を下げながらも、やはり態度は崩さない。
アレクシスはグラスを回し、深紅の液体を一口あおった。対するヴァルトは、グラスにほとんど手をつけず、すぐに卓へと戻してしまう。
「今日はお前と私だけだ。少しは楽にしたらどうだ」
「……いえ、陛下の御前では、どんな状況であれ気を緩めるわけには参りません。万が一があってはならぬゆえに」
頑ななその態度に、アレクシスは小さくため息をつく。
(まったく、どうしてあの娘はこんなつまらない男を好んだのか)
心のどこかで不満を感じつつも、仕方がないと悟っている。そう――リヴィアは、本当にこの男を想っているのだ。
「……ヴァルト、賊の件では迷惑をかけたな。もっと早く兵を補充すべきだった。私の判断が遅れた」
真摯な声音に、ヴァルトはわずかに瞳を伏せた。
「いえ。陛下からは、すでに丁重な謝罪のお手紙を頂戴しております。もったいないお言葉でございます」
ヴァルトは深く頭を下げ、あくまでも形式を崩さない。そんな忠誠心の塊のような姿に、アレクシスは小さく息を吐いた。
「だが――リヴィアを危険に晒すのは、もう本当にやめてくれ」
その声には、わずかに苛立ちがにじんでいる。
「セレスティアを止めるのが、骨なんだ」
言われてヴァルトは、ほんのわずかだが苦い表情を見せた。
「……それは……申し訳ないことをいたしました」
セレスティアがどれほどリヴィアを大切にしているか――それはヴァルトにもよく分かっている。だが、それがすでに姉妹愛の域を超えていることには、彼は気づいていない。
それどころか、ヴァルト自身がセレスティアに向ける感情を“恋”だと思い込んでいることすらも。
(本当に気づいていないのか、それとも……気づかないふりをしているのか)
アレクシスはグラスをゆっくりと揺らしながら、目を細めた。彼から見れば、ヴァルトのそれはただの崇拝に過ぎない。騎士が貴婦人に捧げる「ミンネ(高潔な恋愛)」――つまり幻想の延長だ。
だがその幻想が、リヴィアを苦しめているのだと、ヴァルトはまだ気づいていない。
「……そういえば、シリウスはどうしている?」
唐突な話題の転換に、ヴァルトは少しだけ顔を上げる。
“シリウス”――それはかつてアレクシスが偽名でリヴィアに近づいた際に使った名であり、ヴァルトの弟分である騎士の名前でもあった。
「たまに、手紙を寄越します。今は遠方の辺境に配属されているようですが……元気にしているようです」
「そうか……」
可愛がっていた弟分の名を聞いた瞬間、ヴァルトの目元がふっと緩む。主従という仮面の下から、昔の素顔がわずかに覗く。
それを見て、アレクシスはようやく少しだけ真面目な声音に変えた。
「……聞いて欲しい話がある」
静かにそう前置きをして、アレクシスはゆっくりと語り出す。
――リヴィアと『シリウス』として出会った、あの夜のことを。
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