第25話 麦の王、花の女王
待ちに待った収穫祭とあって、朝から広場の周囲は人々の浮き立つ気配に包まれていた。
無理もない。最後のお祭りから、もう五年以上が経っている。昔を懐かしむ者、初めて参加する者――想いは人それぞれだ。
会場の飾り付けも無事に終わり、夕方から始まる祭りは、子ども達による『収穫の王と女王コンテスト』から幕を開ける。
楽しみにしているリヴィアもまた、間違いなくその一人だった。
「リヴィア様、絶対観に来てね!」
すっかり大きくなったトマは、子どもとして参加できるぎりぎりの年齢ということもあり、意気込みはひとしおだった。
「何の衣装にしたの?」
「秘密だよ! 夕方、楽しみにしてて!」
教えてくれないトマに「じゃあ、楽しみにしているわ」と返すと、彼は目を輝かせた。
トマのためにも早めに仕事を終わらせて広場へ向かわねば――そう思い立ち、リヴィアは足早に領主邸を目指した。
祭りの注意を記した蝋板は、昨日までにすべて書き終え掲示を済ませてある。蝋は火に弱いため、設置場所には細心の注意を払った。
帳簿は、リヴィアが来る前にグラシアン補佐官がすべて仕上げてしまっていた。確認してみても、やはり隙のない出来栄えだ。
このあと彼は露店の商品確認へ向かうという。何かしでかさないか、不安は残る。
手持ち無沙汰になったリヴィアは台所へ向かったが、そこもすでに綺麗に片付いていた。夕食の仕込みもなく、やることが何もない。
「リヴィア、まだこんなところにいたのかい。早く支度しな」
イザベラが現れ、着替えを促してきた。当然、着る服など持っていないリヴィアは断ろうとしたが、イザベラは迷わず彼女を自分の寝室へと連れて行った。
「……これ」
差し出されたのは、白地のワンピース。そこには美しい花柄の刺繍が丁寧に施されていた。
「あたしが若い頃に着てた服さ。奥にしまい込んであって、見つけるのが一苦労だったよ」
刺繍の真新しさから、イザベラが新たに手を加えてくれたのだとすぐにわかった。
「あたしだけじゃないよ。マルタとアニエスも手伝ってくれたからね」
マルタとアニエスは、新しく加わった使用人の名前だ。三人でこの衣装を仕立ててくれていた――リヴィアのために。
こんな素敵な贈り物を、どうして拒めるだろう。
「ありがとうございます、イザベラさん」
リヴィアは胸の奥に込み上げてくるものを抱えたまま、イザベラにしがみついた。
イザベラは、それを優しく受け止めてくれる。
「早く着替えて行ってきな。楽しんで来なかったら、承知しないからね!」
「……はい!」
リヴィアはその贈り物にそっと腕を通す。胸に湧いた温かい想いが、涙となってこぼれ落ちそうだった。
「化粧もするよ。早くおいで……ほら、泣くんじゃないよ」
泣きそうになるリヴィアを、イザベラはぶっきらぼうに叱る。
涙で服を汚したくなくて、リヴィアはなんとか我慢した。
久しぶりの化粧は、どこか不思議な感覚だった。かつては何かを隠すために塗っていたのに、今はまるで違う。
これが――「鎧としての化粧」というものなのだろうか。
鏡に映るリヴィアは、まるで知らない誰かのようだった――けれど、嫌いではなかった。
「あっれー? リヴィア? 可愛いね。よく似合ってるよ」
マルセルが広場のはずれでリヴィアを見つけ、軽い調子で声をかけてきた。
「マルセルさん、巡回はどうですか?」
「……相変わらず、俺の言葉スルーするのやめてくれる? わざとだよね?」
肩をすくめて笑うマルセルは、いつも通り軽薄そうで――けれど、どこか気を探っているような目をしていた。
「だってマルセルさん、私のこと……本気ってわけじゃないですよね?」
リヴィアは冗談めかして言ったが、マルセルの瞳からは、やはり何の情熱も伝わってこなかった。
その笑顔は、処世術の仮面のように見える。
「……そんなことないけど?」
ぽつりと呟かれた否定は、小さくて、頼りなくて。
その瞳は一瞬、確かに揺れていた。
図星なのだ――と、リヴィアは思う。
「マルセルさんも、お祭り楽しんでくださいね」
そう言い残すと、リヴィアはショールを羽織り、静かに領主邸を後にした。
*
夕日が西の空へ沈もうとする頃――子どもたちの『収穫の王・女王コンテスト』が、ついに幕を開けた。
最初に登場したのは、どんぐりをモチーフにした衣装の子。くるくると愛らしく回って見せ、観客の笑いを誘う。
次の子は、色とりどりの葉をあしらったドレスで登場し、軽やかに踊ってみせた。まるで秋風の精のようだった。
他にも、妖精に扮して透き通るような声で歌を披露する子や、黄色い布で太陽を表現しながら元気にポーズを決める子など、それぞれが工夫を凝らして場を盛り上げた。
そしてトマはというと、『羊飼い』をテーマに、子羊に扮した数人の子どもを連れて登場し、観客の度肝を抜いた。
演出力は抜群だったが、惜しくも麦の王には届かなかった。けれども、トマの顔には満足げな笑みが浮かんでいる。
やがて、リヴィアが心を込めて編んだ冠が、選ばれた少年少女の頭上に――ヴァルトの手によって、丁寧に被せられた。
会場からは大きな拍手が沸き起こり、選ばれなかった子どもたちにも温かな拍手が贈られる。
その光景に、リヴィアは胸の奥からじんわりとあたたかいものがこみ上げてくるのを感じた。
皆が存分に楽しみ、笑っている。――それだけで、今日この祭りに来てよかったと思えた。
次いで、リヴィアは露店の並ぶ通りを歩いた。
焼いたラム肉の香ばしい匂いに誘われ、蜂蜜と木の実のタルトが甘く香る。どれもこれも食欲をそそるものばかりだ。
食べ物だけでなく、髪を飾るリボンや、贈り物にぴったりな花束、小瓶に入った香油、そして「恋占い」の店まであった。
恋占いの店には、意外にも若い娘たちが列をなし、はしゃぐ声をあげている。
イザベラは「結婚に愛など不要」と言っていた。けれど、あの娘たちは――きっと、好きな人が自分を選んでくれる日を、どこかで夢見ているのだろう。
それを馬鹿にすることなどできない。リヴィアにも、その気持ちはどこか、遠い日の憧れのように、まだ残っている気がした。
「――あら? リヴィア様も恋占い?」
列に並んでいた少女たちの一団が、リヴィアに気づいて声をかけてきた。
「……いいえ、私は――」
「もしかして、領主様と!?」
祭りの熱気にあてられた彼女たちは、リヴィアの返事などお構いなしに勝手に盛り上がっていく。
「絶対そうよ! あたし、この間ふたりが一緒に馬に乗ってるの見ちゃったんだから!」
「やっぱり! 私も前からお似合いだと思ってたのよねぇ!」
リヴィアが何かを言う隙など与えられず、少女たちはヴァルトとの恋を妄想してはしゃぎ続けた。
――そういえば、ヴァルトには良い相手がいるのだろうか。
女性の影は見えないが、リヴィアより五つほど年上の彼は、ちょうど妻を迎えてもおかしくない年齢だ。
彼はあまり家族のことを語らないが、ベルグシュタイン公爵家に仕える家門の出で、前王の代には準男爵だったと聞く。
たまに実家から届く手紙を見かける限り、家族仲は悪くなさそうだが――。
リヴィアがそんなことをぼんやりと考えていると、少女たちは彼女の腕をつかみ、ぐいぐいと占い師の元へ押していった。
「リヴィア様! 領主様とのこと、占ってもらってくださいね!」
「え? ちょ、ちょっと待って!」
聞く耳を持たぬ彼女たちに押されるまま、リヴィアは半ば強引に占い師の前へと座らされてしまった。
「いらっしゃい」
占い師の穏やかな声がかかると、もう「間違えました」とは言いにくい。
これは露店の確認……と自分に言い聞かせるほかなかった。
「あの、仕事運とか――」
「生憎うちは、恋占い専門でね」
きっぱりとそう返され、リヴィアの淡い逃げ道はあっさり塞がれた。
「相性かい? それとも片思いかな?」
「特に、好きな相手はいません」
正直に答えると、「じゃあ未来の相手を見てみようか」と言って、占い師はタロットのようなカードを丁寧に切り、並べ始めた。
「……――ふむ。昔、結構キツい失恋をしているね。もう気持ちはないけど、まだ少し引きずってる……違うかい?」
まるで心を見透かすような言葉に、リヴィアは思わず目を伏せた。
「今、あんたに好意を寄せてる男は三人いるね。みんな身近にいる。その中の一人が、ちょっと気になってるんじゃない?」
唐突に、ヴァルトの顔が脳裏に浮かび、慌てて頭を振った。――あの少女たちのせいで、変に意識してしまっている。
「うーん……結婚は案外近いかもね。三人のうちの誰か、あるいは遠くにいる別の誰かと、だろうけど」
「近々結婚」などとあっさり言われて、リヴィアは思わず心の中で溜息をついた。
所詮は占い――そう割り切って、お金を払い、その場を立ち去った。
背後では、占い結果を聞いてさらに盛り上がる少女たちの声が聞こえていたが、リヴィアはそれを聞かなかったことにして、足早にその場を離れた。
*
「……あの! リヴィアさん!」
露店の前で突然呼びかけられた声に振り返ると、そこにはエドモンがいた。
いや、正確には倒れていた。
「グラシアン補佐官……? えっと、何をなさってるのですか?」
彼は足にリボンを絡ませ、地面に見事に転がっていた。
「助けてください……!」
半泣きで懇願する彼に、リヴィアは呆れながらも足元のリボンをほどいてやった。
「まったく……どうしたらこんなふうになるんですか」
「恐縮です……」
感心すらしてしまう不器用さに、リヴィアは小さく笑みを漏らす。
「お気をつけくださいね。……あぁ、ちなみに怪しいものは売っていませんでしたよ。安全確認済みです」
にこやかにそう告げると、エドモンはもじもじと恥ずかしそうに顔を伏せた。
年上のはずの彼の仕草は童顔も相まって、どこか幼く、可愛らしくさえ感じられる。
「……リヴィア、さん! こ、こ、これ!」
彼の手に握られていたのは、赤いリボンだった。
顔までリボンと同じくらい真っ赤にして、彼はそれをリヴィアに差し出す。
「う、受け取ってもらえませんか……?」
日頃、彼に振り回されがちなリヴィアだったが、その不器用さも含めて、これは彼なりの精一杯の謝罪なのだろうと受け取った。
「グラシアン補佐官……お気持ちだけで十分です」
領民のために尽くしてくれている彼に、元王女としてはむしろ感謝すべき立場だ。
リボンなど受け取っては申し訳ない――そう思っての、丁重な断りだった。
けれど、エドモンの様子はどこか様子がおかしかった。
うるうると目に涙を浮かべたかと思うと、「……そうですよね、僕なんて……」と、よくわからない言葉を残して走り去ってしまった。
リヴィアはその背中を呆然と見送った。
……やっぱり天才の考えることは、凡人の自分にはよくわからない。
困惑を胸に、リヴィアは露店の前で立ち尽くした。
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