日常


療養期間は大体一ヶ月。

父親と話し合って、学校へ行くのは七月からになった。


伊藤家にも、いろいろ変化が訪れていた。


父親は、継母の実家の近くに家を借りたと言う。

職場は隣町だし、ここの家には千穂がいる。

普段はこの家。

週末や休暇は──千穂に関する用事が無ければ継母と愛梨、龍巳の家に行く。


(いいんじゃないかな)


千穂は、父親が示したその提案に賛成した。


「大学は東京に行くつもり。それまでは、それでお願いします」


「ああ。婆ちゃんが残したって言う千穂の学費でか」


「うん。計算したら、贅沢しなければ大学卒業まで一人暮らし出来そうなんだ──国立受かれば、だけど」


「国立じゃなくてもいいんじゃないか?行きたいとこに行けよ。足りない分は、親の俺がどうにかするから」


(本当は私立じゃなければ、国立じゃなくても。贅沢しなければいけるっぽいけど)


おばちゃんが、そう言えというのだ。

ちょっと嘘を付いてしまったが、おばちゃん理論によると──千穂にもう教育費と手がかからないと慢心させない為、らしい。


(お父さん、おばあちゃんにもおばちゃんにも信用されて無さすぎじゃない?)


千穂は可笑しくなって、肩を震わせた。


日常生活に制限はなかったけれど、肋骨は笑いすぎれば痛むし、重いものもまだ持てない。

けれど、普通の家事は問題なく出来たので──療養生活で困る事は無かった。

毎日学校の帰りに奈緒ちゃんと木下君、澪がきて勉強に遅れないよう手伝ってくれた。


奈緒ちゃんと木下君は、最近お付き合いを始めていた。

奈緒ちゃんは、木下君と同じクランでオンラインゲームをしていたんだけど──そこのメンバーの一人に、告白されたんだって。

会ったことも無いし、名前すら知らないけど奈緒ちゃんは相当テンパったらしい。

で、木下君に相談した奈緒ちゃんだったのだが、逆に木下君から告白されたと言うミラクルだった。


(奈緒ちゃんを取られると思って、好きだって気がついたんだろうか……)


詳細は知らないけれど、奈緒ちゃんは六年越しの片想いが実ったのだ。

きっかけがゲームって、すごく木下君らしくて面白い。


優子は、千穂の入院中に北海道の親戚の家に旅立ってしまった。

勝手な思い込みで漁師の家だと思ってたけれど、行き先は馬の牧場のようだ。

意外と楽しいらしく、千穂の手元には素敵な馬の絵葉書が届いていた。


週末の日中は、歩いて十分足らずの叔父さんの家に伺って、澪と過ごした。

澪の祖父母は古滝村に帰っていたのだけど──叔父さんはお仕事の都合でこの村に残り、澪も通学の利便性を考えて残ることに決まったのだ。


「そうそう、大岩の上の後の話だったよね」


「それは、僕もちょっと聞きたかったんだよ。そこまではしっかり聞いて記録してある」


叔父さんが、新調した銀縁メガネをかけ直し、ノート広げて鉛筆を構えた。


「うん。俺は確かにその時は龍だったと思うんだけど──千穂が死んだと思ってたから、周囲が風で木が倒れたり相当荒らしちゃったんだけど。もし……もし生きてたら、病院に連れていかなきゃって思って」


「うん」


「どうにかならないかと悪戦苦闘してたら、雷が落ちて、人間になってた」


「雷──」


「千穂さんの錯乱から生じた発言だと思ってたけど、事実だったと。その光を、千穂さんだけは見ていたのか……」


「私、覚えてないんです……」


「そうだろうね。千穂さんは、本当に半分死にかけてた」


叔父さんは、真面目な顔で言った。


「本当にありがとうございます。お医者さんにも言われました。奇跡のように一秒の無駄もなく運ばれてきた、って」


叔父さんは俯いて、頬を掻いた。


「僕はね、昔は救急救命センターにいたんだよ。新米は救急、って感じで配属されて──」


叔父さんはため息をついた。


「仕事は好きだったけど、派閥──なんと言うか人間関係がもう無理でねぇ……」


「もったいないよなぁ」


「そうでもないよ?今は本当に好きなことを仕事に出来たし、昔の仕事のおかげで甥っ子の恋人救えたわけだしね」


(こ、恋人って!)


俯く千穂と澪。

笑う叔父さん。


「で、澪。人間に戻った時は服は──」


「着てたよ!ちゃんと着てた!で、周囲を観察したらダムが少し離れた所に見えた」


「ふむ」


「でも、夕方だったし夜の山歩きの準備品なんてどっか行っちゃってたし、朝まで動かずに待機した。フィールドワークの基本だろ」


「随分冷静に動けたんだね?フィールドワークは僕についてきてたから、知識と経験はあったとは思うけど」


「その頃はなんでか、千穂は生きてるって確信があったんだ。だから、まず無事に下山を目指した」


叔父さんはすごい勢いでメモを取っていく。


(早いけど、ひどい字だ!読めない……)


澪は麦茶を飲み干し、続きを語りだした。


「朝になって、ダムまで降りていって──二時間くらいで行けたと思う。そこから、道路伝いに降りるか設備点検の人を待つか考えて、そういう人が用事ありそうな、ダムの脇にある扉のとこで待ってた」


「いい判断だ」


「その日は誰も来なかったけど、次の日の太陽が真上にきた頃、白い車と作業服の人が来たから、助けを求めて叔父さんに電話させてもらった」


──なるほど、澪は澪でサバイバルで大変だったようだ。


(私はずっと病院で寝てただけみたいだったけど……)


「その後僕が迎えにいって、診療所だったね。澪は澪で──全身の擦過傷、肩の捻挫に脱水状態で、いい状態ではなかったからね」


「千穂に比べたら──」


「そうだね。千穂さんは実感ないかもしれないけど、僕はあの時本当に怖かった。命がこぼれていってしまう、あの感覚が」


叔父さんは無理やり笑顔になって、言った。


「正直、地獄の口に囲まれた時より、よっぽど怖かったよ!」


「あ、叔父さんはあの時どうなったの」


叔父さんは、肩を竦めて教えてくれた。


「どうもなにも、靄は千穂さんを追っていって、僕は置いてきぼり。あんなに格好つけたのにさ……」


「ええーっ!あんなに情熱的だったのに」


三人は声を揃えて大笑いした。


「だけどね、探しても探しても石塚が見つからない。夕方になって、急に目の前に石塚が現れたと思ったら千穂さんが地面を這っていた」


「澪を探さなきゃって思ってて」


叔父さんは、優しい顔で千穂と澪を見つめた。


「千穂さんは──鎮静の薬で無理矢理意識レベルを落とすまで、ずっと澪を探せと叫んでいた。自分が死にかけていたと言うのに」


「また会えて良かった、もちろん叔父さんにも」


千穂は心から、叔父さんに感謝した。


(生かされた。生きていく、これからも)

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