願い事

とるぴぃ

しいて望むのなら

ずっと前、交通事故に遭った。

その時打ちどころが悪く、私は視力を失ってしまった。

急に周りが見えなくなってしまい、胸の中では不安と恐怖が渦めいている。

そんな時、お母さんは私のことを抱きしめてくれた。

「大丈夫、さきは私が守ってあげるからね」

その言葉で私の心は、雲が晴れて翼が生えたように軽くなった。



──「咲、もし願いが叶うならどんなことをお願いする?」

母が私に訊いてきた。

何か願うのなら、何一つ不自由なく過ごしたい。

お金持ちになったり、元気いっぱいでいたり、視力が元に戻ったり…

そんなことを考えながら、ふと思いついたことを答えた。


「お母さんに…会いたいな」


後ろで息を呑む音がした。


「私ならここにいるでしょう?常に会っているじゃない」


私の頭を優しく撫でながら母は答える。


「でも私、目がえないし…ちゃんとお母さんに会えていないでしょ。ちゃんと目と目を合わせて話したい」


「ふふ、いつか医療技術が発達して、目が視えるようになるといいわね。そういえば明日は紙にお願い事を書いて飾る日よ。そのお願い、飾りましょうか」


「うん!そうする!」


そして母は部屋を離れて、他の部屋から紙を持ってきてくれた。

私はテーブルのある方にゆっくり近づいて、椅子に座った。

机の上を紙が滑る音がする。


「ほら、ここに書いてね」


母から鉛筆を渡してもらい、私は紙に鉛筆を走らせる。

なんとなくだけど、目が視えていた頃の記憶を頼りに。


「お、か、あ、さ、ん、に、あ、え、ま、す、よ、う、に…できた!」


「上手にかけたわねぇ~明日お部屋に飾っておくからね」


そう言って母はまた部屋を出ていった。

正直、紙に書くだけで願いが買うなんて思ってない。

でももし奇跡的に叶うのなら、一縷いちるの望みにかけてみたい

壁の向こう側からかすかに声が聞こえる。


「今日の夜ごはんは何か食べたいものある?」


私は力いっぱい、大きな声で叫んだ。


「にんじんのいっぱい入った野菜スープがいい!」


「わかったわ。人参いっぱい入れるわね」


その日の夜ごはんは、野菜スープと大きなハンバーグだった。華やかなコンソメ香りがする。ハンバーグの付け合わせにも、にんじんがゴロゴロと添えられていた。



──気づいたら、私は暗闇の中にぽつりと立っていた。

私の見る夢はいつもこんな感じで、これも夢なのだろう思った。

そんな時、耳を澄ませると遠くから私を呼ぶ声がする。

いつの日か聞いたことのある温かい声だった。

音の出所が気になって私はその音を追うように歩く。

でも、その音は四方八方から聞こえるようで、脳に直接響いてくるようで、どこから聞こえてくるのかわからなかった。

音の聞こえる方へ歩いてはいるものの、同じ場所をぐるぐると歩いているような感覚で進めているのか戻っているのかさえ…

どこから聞こえるの…?


「──こっちよ」


突然、はっきりと後ろの方から声が聞こえた。

音の方へ振り返ると、そこには一人の赤ちゃんの女の子とその子のお母さんらしき影があった。


「ほら、こっちよ。いち、に、いち、に。はい上手にできた〜」


その女の子は母親の手を握りながら歩いている。

おそらく歩く練習をしているのだろう。

その足取りはおぼつかなく、手を離したら倒れてしまいそうなほど体も脚も不安定だった。

母親は女の子を抱き上げて、頬にキスをした。

親子は暗闇に消えていった。


「──これが私の名前?とっても上手だわ」


また別の方から声が聞こえる。


「まだ幼いのにこんなにきれいな字を書けるのね」


同じ親子の姿が見えた。

今度は文字を書く練習をしているようだった。

さく…ら…?

女の子は「さくら」という三文字を書いていた。

私のお母さんと…同じ名前だ。

よく見てみると、どこか見覚えのある女の子。

あれは…私がまだ幼かった時の姿…?

それならあの女性は私の…


「そうよ、咲」


すぐ背後から声が聞こえた。

振り返るとすぐ目の前にあの女の子のお母さんがいた。

またどこか記憶の一部だろう思い、あの女の子はどこにいるのかと辺りを見渡した。

先ほどの親子がいた場所は、すでに闇の一部となっている。

探したけど、姿はどこにも見当たらなかった。

目線を戻すと、目の前の女性は困惑した顔で私を見つめていた。


「なにきょろきょろしているの?」


「もしかして、私に言ってる…?」


「あなた以外に誰がいるっていうの」


予想外の返事が返ってきた。

冗談めかして言ってみたけど、本当に返答されるとは。

私のお母さんは目に涙を浮かべて私をまっすぐ見つめていた。


「久しぶりね…」


本当に久しぶり…

目が視えなくなって、お母さんの姿と会えなくて。

ずっとお母さんの姿を再び見たいと思っていた。

お母さんは私に向かって両手を大きく広げる。

私は吸い込まれるようにその胸の中に抱かれにいった。


「あぁ…私の可愛い咲…」


「お母さん…」


目から涙があふれ出てしまった。

あれから何年たったのだろうか。

お母さんの声と少しの肌の接触だけで、お母さんを感じていたけど…今は、この時だけはからだ全部でお母さんを感じられる。

瞼の裏に映るただの映像に過ぎないけど、それでも私は嬉しい。

お母さんは私の頭を優しく撫で始めた。


「私の知らない間にこんなに大きくなったのね」


お母さんの声もわずかに揺れて、かすれている。

私の頬にお母さんの涙がこぼれ落ちた。

抱きしめる力も少し強くなった。

お母さんの顎が、頬が、頭に当たる。

私の気持ちを感じて、一緒に泣いてくれてるのかな。

温かい抱擁ほうようがほどかれ、お母さんと顔を見合わせる。

ゆっくりと顔が近づいてきて、涙で濡れていないほうの頬に、お母さんはキスをした。


「ありがとう、お母さん」


「いいのよ、私はあなたのたった一人のお母さんなんだから」


お母さんは温かく優しい笑顔を私に送ってくれた。

また頭を一撫でして、頬をもちもちと手で挟んだ後、なぜか私の瞳の上から手をかぶせた。


「私がいなくなってからも、強く生きていてくれたのね」


…え、それってどういう…

そう訊こうとした瞬間、遠くから爆発音が聞こえた。


「何!?」


子供の泣き声が聞こえる。

火の気が上がる音も聞こえる。

どこかで事故が起こったんだ。


「大丈夫、あなたは大丈夫。」


それはどこか昔、聞いたことのあるセリフだった。


「咲は、私が守るからね──」



──そこで私は目を覚ました。

朝日が部屋の中を照らしている。

私はゆっくりと体を起こした。

時計を見ると時刻6時58分を指していた。

…両手を見た。

…両足を見た。

…天井を見上げた。

目が、機能している…

突然のこと過ぎて、まだ夢の中にいると思った。

頬をつねってみる、痛い…

夢では…ないみたい。

部屋にかざられている笹に、短冊が一枚。

「おかあさんにあえますように」

読めるか読めないかギリギリの字でつづられていた。

夢の最後で、お母さんが私の目をおおってくれたことを思い出す。

お母さんが私に視力を授けてくれたのかな。

そんな温かさと優しさを感じて私は嬉しくなった。


「咲、起きたの?」


遠くの方で母の呼び声が聞こえる。

この時、私は初めて気づいた。

私が言葉ではお母さんと呼ぶけど、心の中では母と呼んでいたことを。

夢の中で感じた温かな声を感じない。

むしろ突き放しているような、冷ややかな声のように感じる。

気づくことのない多少の違和感から、私は本能的に避けていた。

ドアがゆっくりと開く。

私は、再び瞳を閉ざした。


「いい夢見れた?」


今日は七夕、人々の願いが叶えられる日だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

願い事 とるぴぃ @torupyi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ