Case:4

「だから、あんたの所為だって言ってんじゃん!」

 カウンターの上に逆様に乗せられた椅子を叩き落として、あきらが大声を出す。彼女の目の前に立つ衣色は、普段とは打って変わって歯切れが悪く、ようやく言葉になったと思えば落ち着いてと口にするくらい。

 十二月二十四日。

 火曜日。

 クリスマスイブの朝。

 午前七時七分。

 『草の色』、開店準備中。

 昨夜を含めたあきらのリストカットについて衣色が訊ねて、それをきっかけに、あきらの感情が暴発した。本来部外者である私と泉は、準備の手を止めて、その光景を眺めているだけ。深入りするつもりもないし、されたくもないだろうから。

「やけど、あんなん続けても仕方ないっちゃろ。ガッコの話とか、悩んどるならうちに………」

「しぇからしか、母親面せんとってよ!毎日毎日、犯罪者ん娘犯罪者ん娘言われて、町ん人らからも邪険にされて………うち引き取ったんも、昔んかがりついとるだけっちゃろ!」

 深入りしない、といっても限度はある。今の発言は、流石に一線を越えていた。

 衣色の表情が揺れる。二人は血縁関係にはないが、年齢差を考えれば、実の親子にも見えるだろう。町の人間がこの二人をどのように考えているかは知らないが、血の繋がりがあると勘違いをしている者もいるのかもしれない。特に、あきらと同年代の子供達の中には。

「言い過ぎ。ちょっと頭冷やしな」

 しかし、あきらは一瞬苦い表情を見せただけで、そのまま学校へと行ってしまう。今日が終業式だといっていたので昼前には帰ってくるだろうが、数時間程度で頭に上った血が引いているかは甚だ疑問である。顔を合わせ辛くて散歩をしてから帰ってくるという可能性は………先程の口ぶりからして町にもあまり居場所は無いのだろうから、低そうだ。

 衣色は臨時休業も考えた末に、結局通常通り営業することを決めた。しかし、あきらの言葉が頭から離れないという様子で、仕事に身が入っていない。泉が彼女のミスを何度かカバーしていたが、昼前にあきらが帰ってきた時もその後も、終始上の空だった。仕方の無いことではあるが。

「今から話をするか、明日一日臨時休業にして話し合った方がいいと思います」

 閉店後の掃除をしつつ、泉が衣色に助言をする。衣色は「そやね」と呟いて、数秒してから顔を上げた。

「二人はなんも訊かんのね。犯罪者ってなんとか、何があってんとか」

「失礼かもですけど、ヤクザ関係の人だったなら、ある程度想像はつきますから」

「鋭いなぁ」

 数秒迷うような表情をしてから、衣色が口を開く。そして、自分がかつてどのような人間だったのかを、ぽつぽつと話し始めた。ところどころ冷めていたり、客観視し過ぎていたり、逆に感情が籠り過ぎたりしている、乱高下する声音で。

 彼女に親はいない。福岡県久留米市の小さな施設の前に捨てられていて、そのままそこで育ったという。しかし、親がいないことに強いコンプレックスを抱いており、幼少から手の付けられない暴れ者として周囲に疎まれ、関西を含めた複数の施設を盥回しにされていたらしい。ごちゃ混ぜな方言になった理由は、それなのだろう。

 中学時代ですでに暴力沙汰を何度も起こしており、卒業後は夜の街で春を売ったり、カツアゲやスリをしたり。十六歳と十八歳の時に二度鑑別所送致となり、二度目の後は少年院へと送られ、そこで十四か月を過ごした。十九歳で夜の街へと戻ったが、この頃には小規模なグループを作っており、藥にも手を出しかけていたのだという。

 しかし、偶然知り合った小さな組事務所の若頭に気に入られて愛人となり、薬物を消費する側ではなく提供する側となった。取り扱っていたのは、時代遅れな大麻だったという。当然そんな生活は長くは続かず、二十二歳の秋に若頭共々お縄となって、若頭は懲役八年と二百万円の罰金、衣色は五年の懲役刑が言い渡された。

「そん時の看守さんらがな、ええ人らで。うちみたいなしけとう奴にもようしてくれて、親身になってくれたったい。やけん、足洗お思てな」

 出所する頃には組事務所は一斉摘発によって消滅しており、追われるようなことはなかったという。

 保護観察員に顔を見せつつ、久留米市内で派遣社員として働くことになった彼女だが、ある時その観察員から、草津で店をやってみないかと誘われたらしい。高齢で余生、ひいては終活というものを考えていた観察員の男は、昔から好きだった紅茶を提供するカフェを考えていると衣色に語り、今後についてまだ何も考えていなかった衣色は、二つ返事でその誘いを受けた。それが、彼女が二十七になった年の冬のこと。観察員の名は釜無かまなし 優市ゆういち、あきらの父方の祖父である。

「そん時は順調やったけど、今年ん二月にな、あきらん両親ば会いに行く言うて、二人と一緒に事故って逝ってしもたんよ」

 その翌月に、せめてもの恩返しとしてあきらを引き取った。店も三か月の休業を経て再開したのだ、と語る。

 あきらを引き取るべきかどうか、当時相当悩んだらしい。元ヤクザの愛人で、大麻の売買による前科もある自分に引き取られるよりは、まだ施設で暮らした方が幸せなのではないか、と。だが、自分がかつて施設で育ったことから、親代わりはいるべきだと考え、義理の親子となることを決意したのだという。

 あきらが虐められていることは、衣色も当然気付いていた。しかし、黒い経歴を持つ自分が苦情を入れたり、学校に乗り込んだりすれば逆効果になるだろうと考えて、何もできずにいる。この店も組合に所属しているものの、やはり衣色を毛嫌いする者は多いのだとか。

 あきらの祖父から受けた恩を、あきらを育てることで返したい。しかし、自分の過去がそれを許さない。もしも、もっと早くに省みて、夜から抜け出して、普通になることができていれば………と、衣色が顔を伏せる。

「結局、なぁんも返せとらんけん。しけとう人間たいね」

 しけとう、というのは、どうやらしょうもないというような意味らしい。その感覚は、私にもよく理解できる。規模は違えど、私も両親に似たような感情を抱いているから。

 だが、私は結局のところ、それら全てを彼岸か此岸に追いやって、こうして死に場所探しの旅をしている。私と衣色、どちらがなのかは、明白だ。

「返せてるんじゃないですか?今」

 周囲に何を言われても、どんなに白い目で見られても、親代わりを続けている。衣色に取り憑いた優市という故人が何かを想うことが出来るなら、きっと、彼女に微笑みかけて、ありがとうと口にするはずだ。

「衣色さん」

「なんね?」

「わたし、引き寄せ体質なんですよ」

 何を急に、と拍子抜けした衣色が呆けた顔をする。

「なんでか分からないんですけど、変な女とばっかり出会って、変な場所で再会するんです。神ってのが実在するなら、悪戯でもされてるのかなって思うくらい」

「なんばこきようとや」

 まぁ、そうなるわな。しかし事実なのである。

「でも、わたしが出会う変な女の中でも、大人ってちゃんと大人してるんですよ。変な奴で、頭の螺子が抜けてても、子供の前では大人をやってくれる」

 現は例外にしたいところだが、彼女に対してはむしろ私の方がガキだったし、その後のことを思い返せば、彼女も十分に大人な対応をしていたと思う。

「衣色さんも、大人してる。だから、返せてるんじゃないですかね」

 数秒してから、衣色が破顔した。多少なりとも、肩の荷は下りただろうか。

「ありがとう。せやね、大人やらんと。しけとうままで死ねんたい」

 しょうもない人間のままで、死ねない。衣色の今の生きる理由は、あきらの前で大人をやって、親代わりになることらしい。

 あきらと話す、と二階に上がる衣色が、数段上ったところで振り返って、「ええ女やね。ありがとうな」と私に言った。

 隣を見ると、泉がモップの柄を弄びながら、溜め息を吐いた。らしくない仕草と表情だ。

「どうかした?」

「んー、なんかね。ちょい恥ずくなった」

 なんで、と訊ねる。泉は弄んでいたモップの柄をカウンターに立てかけると、入口近くの窓ガラスまで歩いて行って、そこに触れて、外に目をやった。

「零って、私より色々経験してて、色々考えてるんだなーって。私、旅してるのに、なんも積み上がってないんだなって思ったら、恥ずくなった。そのくせ死に場所探しとか言ってるんだからさ、ってやつかなって」

 本当に考えている人間は、死に場所探しなどしないものだ。経験だって、泉ときっと大差ない。積み上げられているというのであれば、それは店長や出多、それと母のお陰だろう。

「帰る気になった?」

「ううん、それはないよ。だから尚更、恥ずいなって」

 泉は四か月程の旅の中で、あまり人と関わってこなかったらしい。上野動物園で私と紅祢に話しかけたのが初めてだったのだ、と。

「まぁ、いづみは景色を探してるんだし。わたしと目的違うんだから、別にそれでいいんじゃないの」

 生死に関わる理由を探し、自分がどちらを選ぶのかの判断材料にする。それが私の旅の目的で、他者と関わる理由だ。一番綺麗な景色を探すだけならば、人と関わる必要性は薄い。

「でも、積み上がってないなら、一番の景色とか、見つからない気がする」

「そういうもんかね」

「多分、そういうもんだと思う。暫定一位もないのに、一位なんて決まらないよ」




 掃除を終えて二階へ上がる。扉越しにあきらとの会話を試みている衣色だが、どうやら難航している様子だ。

 まだ感情の整理がついていない上に、気まずさもあるのだろう。年の近い私と泉がまずは話をして、落ち着いたタイミングで衣色に代わるのが良いだろうか。そう考えて、泉と二人であきらの部屋に入る。

「感謝してないわけじゃないんです。酷いこと言ったなとも思ってて。でも、犯罪者予備軍みたいに見られて、扱われて、虐められて。施設に入った方がマシだったんじゃないかとか、考えちゃって」

 五年程前、衣色が出所してすぐの頃は、家に来た彼女に懐いていたらしい。しかし次第に、周囲に"犯罪者と仲が良い"という目で見られるようになり、引き取られてからは、それが加速した。親代わりになろうとしてくれている、と理解しつつも、一方的に関係を悪化させてしまうようだ。勉学に励んでいるのは、或いは、早く衣色の下を離れたい────そんな思いがあってのことなのかもしれない。

「殴っちゃえばいいのに」

「えっ」

「それが出来るの零くらいだよー」

 暴力が日常にあった人間だからかもしれないが、虐め問題を耳にする度に、何故殴り返さないのかと疑問に思う。きっと普通は、そういう発想すら出ないのだろうが。

「学校の椅子ってさ、案外軽いんだよ。片手で投げれるくらい」

「いや、それは流石に嘘でしょ」

「マジだって。投げたことあるし」

 ええ………と、泉が分かり易くヒく。そんな顔せんでも。

「まぁ、片手だと安定しないから両手で持ってさ。虐めっ子の顔面にフルスイングして、倒れた後もフルボッコにすれば、"ああこいつヤベェな"って関わらなくなるよ」

 ただし刃物は駄目だ、と忠告する。椅子でフルスイングする時も、側頭部を避けて、鼻を折る程度に留めるのが良い。重要なのはダメージを与えることではなく、虐めっ子含めた周囲の思考を停止させて、二度と関わろうと思わなくすることだ。鼻というのは存外脆く、簡単に流血を演出させることが出来るので、非常に狙う価値が高いのである。

「小さな町でそんなことしたら、居場所なくなっちゃうよ」

「じゃあ、このまま溜め込んで、ナイフとかで虐めっ子切りつけるって形で爆発したい?」

 犯罪者とその予備軍、と見られていようと、まるで味方をしてくれる人間がいないというわけでもないだろう。ならば、現状を踏まえれば、椅子で顔面フルスイング程度は然程問題ではないと思うのだが。

 しかし、まぁ、こういう思考は、やはり普通ではないのだろう。一時は暴力的な発想や思考を抑えていたが、普通になる必要性が亡くなった所為だろうか。昔の私に逆戻りである。

「やるかやらないかは別として………ってか、やらない方がいいと思うけど。それはそれとして、そのくらいの気持ちでいたらってこと」

「零はほんとにやってたでしょ」

「やってた」

 殴って蹴っては当たり前。紅祢と出会うまではそうで、紅祢が死んでからも、またその思考に戻った。

「悪いけど、虐めに関しては、わたしは真面な解決案は出せない。だって、そんなのがあったら、世の中に虐めなんてないから。わたしに言えるのはせいぜい、別に殴ってもいんじゃねってくらい」

 ただ、と、口を開きかけたあきらを言葉で止める。

「虐めの件は別にして、朝のアレは良くなかったと思う。いっぱいいっぱいなんだろうけど、流石に言い過ぎ。謝るなら、早い方がいいよ」

 衣色が親代わりで、大人をやってくれているということは、あきらも理解している。行き場のない日々の鬱憤と感情が、濁流になって氾濫しただけだ。しかし、あの言葉が衣色にとってどのような意味を持つのかを考えて、省みて、頭を下げる必要が、あきらにはある。

「昔がどうでも、何をしてた人でも。そこは重要なことではあっても、最重要じゃないから。吐き出すにしても、今朝みたいなじゃなくて、違う形で、衣色さんに吐き出してあげな」

 阿比留もそうだが、虐めというものが個人にどの程度の苦痛を与えるのか、私は想像が出来ない。私は虐められる側ではなく、虐める側だったから。だから、真っ当な意見は出せないが、それでも、あきらは阿比留と違って、衣色に頼ることができる。

「前に言われたことあるんだ。過去が今を創ってても、未来に意味を持たせるのはだって。人によって受け取り方は違うだろうけど、多分、二人にとっては、大事なことだと思う」

 大麻の売買で捕まり実刑判決を受けた女と、その女の義理の娘。この先も周囲から、白い目で見られ続けるだろう。私達通りすがりがそれを変えることなどできないし、変えようと奔走するつもりもない。

 ただ────今の衣色の生きる理由を、あきらは知らなくてはならないと、そう思っただけで。

「恩返しだけじゃなくて、あきらの親をやるのが、衣色さんの生きる理由なんだって。だから謝って、話し合いな」

「なにを話せばいいのか、わからなくて」

「なんでもいいよ。………話せないまま二度と会えなくなるのって、堪えるから」

 出多も同じようなことを口にしていたな、と思い出して、気付かれないように苦笑する。

 殴れば良い、という助言は、やはり不適切だった。他者に言葉をかけるならば、最低限普通を演じなければならない。何より、私はあきらよりも年上なのだ。大人ではないにしても、年上を演じて、年上をやらなくてはならない。まだ、店長や出多や衣色や、母さんのようには、成れないようだ。成りたいかどうかも、もう分からないが。

 泉と二人であきらの部屋から出て、外を歩くと衣色に伝える。この先は部外者抜きで、二人で話し合うべきだろう。

 日付が変わって、十二月二十五日。

 外を歩いていると、雲がかかった空から、氷の結晶がひらひらと舞い落ちてきた。

「ホワイトクリスマスだ。なんかヤだね」

「同感。癪に障るよな」

 そう言い合って煙草を一本銜える。ジッポを取り出そうとしたが、泉がそれを制止して、自分のジッポを私が銜える煙草の前で開いた。

「さんきゅ」

 ロングピースの煙と白い息。その二つが、雪に逆らって夜空の透明な梯子を登っていく。

 この雪はきっと、空虚さを孕んだ白い心情が、北風のアネモイによって吐露されたものだ。誰の心情かは不明だが、顕微鏡で見なくては透明度が確認できない氷の結晶なのだから、不明瞭なのは当然かもしれない。

「どう?」

 歩きつつ、泉に問う。

「あんま見れなかったけど、軽井沢と同じかな」

 彼女の言葉に同意する。明日を最後に、明後日にはこの山間の小さな、それでいて日本有数の観光地を離れよう。

 ここにもまた、私の探す理由は無かった。泉が求める景色も。死に場所を探すというのは、予想していた以上に、難しいらしい。

 隣に立った泉が、皮肉めいた声色で、「メリークリスマス」と呟く。その言葉は肺から吐き出された有毒な煙に巻かれて、ちらほらと灯りがついている草津の町に、静かに滲んで消えていった。

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