Case:5

「私、夏に来たばっかりなんだけど」

 熱海駅に降りてすぐ、泉が小さく頬を膨らませて、そう言った。夏にというと、私達と出会う少し前くらいか。泉が死に場所探しを始めてすぐの頃、ともいえる。

 二〇二四年。

 十二月二十九日。

 午後一時十分。

 静岡、熱海。

 衣色とあきらに別れを告げて、在来線を乗り継いだり、公園で寝泊まりをして約二日。軽井沢、草津に続いて、また観光地へとやって来た。

「なんで熱海?紅祢と行ったのって、下田なんでしょ?」

「こっち来たがってたから」

 ここに来るまでの間に東京を通ったが、二週間程度では、変化の一つも起きていなかった。紅祢が死んだ時と同じ、鈍色の摩天楼が群衆を見下す、昼と夜で顔を変える街。今もきっと、阿比留達がいるであろう街のまま。

「ああ、それと、次の目的地なんだけど」

「うん」

「焼津に行きたいんだけど、いい?」

 別に構わないが、と泉が首を傾げる。有名な観光地ばかりを目的地にしていたので、少々以外だったらしい。

「映子って人が喫茶店やってて、行ってみようかなって。聞いてみたいこともあるから」

 衣色の苗字が伊豆丸で、カフェを営んでいたことで、映子のことを思い出した。紅祢と下田へ旅行した際に出会った、未亡人のような雰囲気の女だ。

 焼津の次の目的地も、ある程度決まっている。三重だ。以前は私と阿比留が取材される側だったが、今度は私が、彼女に話を聞いてみたい。生きている理由は何か、と。

「ま、せっかく熱海に来たんだし。年越しまでどっかでキャンプして、来宮神社に初詣とかどう?」

 駅前広場のベンチに座って、泉がそう提案する。

「来宮神社って、パワースポットだっけ。幽霊とか出る?」

「え、どうだろ。あんましそういう話は聞かないかなぁ」

 願いが叶った、という話はいくつかあるらしいが、心霊スポットではないようだ。

 心スポ巡りとかするの、と泉。特にそういう趣味があるわけではないのだが、紅祢と出会ってからは、ふと気になって立ち寄ることがあったのは事実だ。霊の寿命や、どのような記憶を食べて延命されているのか。その疑問は、今の私にとっては、非常に重要なことである。

「汝ら、我が呼びかけに答えよ」

「は?」

 背後から妙な口調で声をかけられ、困惑と共に振り返る。黒いセミロングの髪に、紫色のインナーカラー。ゴスロリ風の服装。身長は低く、おそらく百五十センチ程度。そんな女が、いわゆる中二ポーズを取って、私達の背後に立っていた。

「実に華憐である。我が命じよう、そこな二人、我が取材………取材?んん、もっとこう、いい感じの言い回しが………」

 なんだ、こいつ。

「なにこいつ」

 思わず声に出てしまった。

「イタい人」

 端的でいて的確な表現だ。流石は英才教育を受けたお嬢様である。

 女は取材という言葉の代替品を頭の中で探し、しかし見つからなかったようで、諦めて「ふふん」とうざったらしく笑った。

「華憐なお姫様方よ、我が覇道のため、その知恵と力をお貸しするがよい」

「口調定まらんヤツだな………」

 御唱和ください、とか言い出しそうだ。こいつのコンセプトがまったく分からない。というか、この服は普段着なのだろうか。日常的にゴスロリチックな服を身に纏うとは、なんとも………ああ、いや、服装に関しては、私も人のことを言えないか。たまにコスプレと勘違いされるし。

「覇道ってなに、何時の何処の時代の人?」

「よくぞ聞いてくれた!」

 ばっと勢いよく両手を広げた女は、仰々しく天を仰いで、聞いてもいないのに語り始める。

「我が覇道、それ即ち世界創造の神と成ること。汝らにも理解できる言葉を使うならば、そう────"漫画家"である」

「こいつウザいんだけど」

「殴っていいよ」

 確かに、漫画家や小説家というのは、現実とは異なる世界を思い描いて創り出す存在であり、神という表現も間違いではない。間違いではないのだが、目の前の中二病患者にその素質があるようには、残念ながら見えなかった。

「で?」

 呆れ半分、苛立ち半分で、女に要件を問う。取材だ何だと言っていた気がするが、何を聞きたいと言うのか。

「誠に遺憾ながら、今はまだ世界が我を知らぬ。しかし、遠くない未来でその現実を塗り替え、我を俗物と見下した幾億の凡夫の目に────」

「そういうのいいから。普通に喋って」

「えっ………んんっ。華憐であっても所詮は一介の小娘、我を理解でき」

「うるせぇっつってんの。そういう中二な喋り方いいから」

「ご、ごめんなさい」

 名古屋時代に培ったコミュニケーションスキルによって、女の真の心を引き出すことに成功した。やはり、こういう訳の分からない人間相手には、睨みつけて荒い口調で接するに限る。というか、真面に使えないなら中二口調で話すな。なんだよ「誠に遺憾ながら」って。無能な政治家か。

 それで、と、再度女に要件を問う。こんな女相手にも会話を続けてやるのだから、私という人間も変わったものだ。優しさが溢れ過ぎてしまって、残り僅かである。

「ま、漫画を描くので、その、お二人をモデルにしたいなー、みたいな………へへっ」

 最後の「へへっ」は何だ。陰キャか、陰キャというやつか。半年程前の私なら、迷わず殴って財布から札を抜き取っているところだ。

 気乗りしないので断ろう、というかもう本当に殴ろう、と口を開きかけた私を、泉が止める。

「年明けまで数日。泊めてくれるなら、別にいいよ」

 成程、その発想はなかった。確かに、この二日は野宿もといキャンプで夜を明かしていたので、そろそろ暖房の効いた室内で眠りたいと考えていたところだ。この女の家に泊まることができれば、それだけ金も浮くというもの。取材には気乗りしないが、宿代と考えれば安いものだろう。

「あ、あたしの家、狭いけど………ぼ、ボロいし。それでもいいなら、はい。へへっ」

 だから何だ、最後の「へへっ」は。ぼっちちゃんタイプなのだろうが、ぼっちちゃん程魅力を感じない。

 荷物を置きたいから、と、泉が女に案内を頼む。背が低いだけで成人しているようなので、近くに車でもあるのだろう。そう思っていたのだが、残念なことに、女は免許を持っていなかった。

「あ、あたしの家、ちょっと遠くて。バス乗らないと………」

 女の自宅は、青葉町という場所にあるらしい。マップを開いて見てみると、熱海市内でもかなりの田舎に位置していた。

「あ、あの、それと、ご飯買いたいので、ちょっと待ってもらえると………」

 言われて思い出したが、私も泉も、まだ昼食を摂っていなかった。そろそろ何か腹に入れるとしよう。

 三人で駅前のマックに入る。私はダブル肉厚ビーフのナゲットセット、泉はビッグマックのポテトセットを注文。紅祢と出会った夜と、まったく同じである。

 ゴスロリ風は散々悩んだ挙句、ダブルチーズバーガーだけを注文した。家から離れたマックにまで来ておいて、注文するのがダブチ単品とは、心にゆとりがない人間なのだろう。




「こ、ここ。あたしの家。………へへっ」

 時刻表どころか標識一つない、停留所とは名ばかりの畑の前でバスを降りる。前の沢、という名の停留所だったようだが、ベンチすらないとは驚きである。女の住むアパートはそのすぐ近くの、山の斜面に形成された集落のような町の一角にあった。三階建てで雨の跡がこびり付いている、築年数がかなり経過していそうな、小さな安アパートだ。家賃はどの程度なのだろう。四万前後くらいだろうか。

 女の部屋は、一〇三号室。角部屋だ。階段を上らなくていいのは楽だが、上階の住人の生活音は気になるか。二週間前まで最上階の角部屋に住んでいたので、妙に落ち着かない。

 部屋に入って荷物を運びこむ。予想通りのワンルームだ。広さは六畳。風呂とトイレは一体型。コンロは一口、シンクも小さい。コンロとシンクには、洗われるのを待っている食器が積まれている。

「か、片付けるから、ちょっと待ってて」

 半笑いで部屋に入った女が、物音を立てながら掃除と片付けを行う。ビニール袋の音が複数するということは、ゴミ屋敷に近いのかもしれない。泉と顔を見合わせて、選択を間違えたかと後悔する。

 数分して部屋に通され、中を見回すが、ゴミ袋の姿はない。先程ベランダを開く音がしていたので、きっとそこに放り投げられたのだろう。

「あ、改めて。あたし、金操かなぐり 思絵ことえ。今年二十三。う、産まれる時代が早過ぎた将来有望な漫画家志望………です。へへっ」

 来客用の椅子など当然なく、床に直接座って、女の自己紹介を聞く。

 自己評価が高いのは結構なことだが、もう少し交通の便が良い場所に住めと言いたい。コンビニやスーパーに行くのに歩いて十五分はかかるなど、ドがつく田舎ではないか。日常が徒歩五分圏内で完結する利便性の高い土地、それ意外は全て田舎なのである。

 何よりも、車を持たずにこんな土地に住んでいては、仕事に行くのも一苦労だろう。いや、リモートワークなのであれば、通勤などの心配はしなくていいのか。それにしても都会人からすれば僻地というか、バスの本数もあまりないので、やはり不便に感じる。

「し、仕事は、今はしてない。漫画描くの忙しいっていうか、専念したいっていうか」

 高校卒業後すぐに就職して、その時の貯金を切り崩して生活している………ということだろうか。ずいぶんな博打に出たものだが、私も特に考えも無しに東京に出たので、同類だ。

 互いの自己紹介が終わり、ひとまず昼食にしよう、とマックの紙袋を開ける。バーガーだけを買った思絵は、水道水をお供にするつもりらしい。貯金を切り崩しているにしても、かなりの節約家なのだろうか。それならばマックなど買うなという話なのだが。

「これは?」

 紅祢と出会った夜と同じように、泉が私のドリンクを指して、中身を問う。

「スプライト」

「おお、奇遇。私もスプライト」

「こいつでバーガーを胃に流し込むのがいいんだ」

「栄養満点の昼食だねぇ」

 焼き直しのような会話に、懐かしさと空虚さを覚える。あの会話から始まって、しかし私の中の東京は、もう終わったのだ。

「な、なに今のやりとり。か、かわい………ぅへへ」

 気色の悪い女だ。それよりも、漫画家を目指しているならば映画くらいは観ておくべきだろうに、まさかパルプ・フィクションすら知らないとは。実に嘆かわしい。どうせ人気だけはある、ジャニタレ俳優が出ているような映画を観ているのだろう。

「え、映画はね、あんま観ないよ。ゲームとアニメ」

「それもいいけど、漫画家になりたいなら、教養は必要じゃない?」

 スプライトを飲みつつ、泉が諭すように言う。

「ゲ、ゲームとアニメだって、勉強、なるよ」

「まぁ、それはそうだけど」

 どうにも噛み合いきっていないというか、曖昧な返事をされているように思える。真剣さが見えない、と言い換えるべきかもしれない。

 机の上にはノートパソコンとモニター。原稿用紙やペン、インク、ミリペン、砂消し、トーンなどは当然置いてあるものの、原稿用紙とトーンは残り枚数が少ない。

「今時全部アナログなの、珍しいね。液タブとか買わないの?こだわり?」

「ま、漫画家っていったら、コレでしょ」

 ならゴスロリではなく、ベレー帽が似合う服装にするべきではないか。いや、アナログ原稿の良さというか、浪漫については、同意できるところだが。

「む、昔読んだ漫画に、主人公がずっとデジタルで漫画描いてたけど、アナログに変えたら味が出た………っていうエピソードがあって。それ凄い好きで、だからアナログ」

「あー、あれか。『マンけん。』だっけ。わたしも好きだったな、あれ」

「そう、それ!」

 オタク特有の、共通の話題になると声を張るという習性が出たらしい。思絵はずずいと私に顔を近付けてきた。

「誰好き?あたしアリスちゃん好きで、最初漫画下手だったのにめっちゃ頑張ってサッチのライバルにまでなるの良すぎっていうかあの二人ほんと尊くて無理っていうか」

「早口やめてね」

 思絵の口を押えて、彼女の体を押し退ける。陰キャオタクというのは、どうしてこうなのか。

「て、ていうか、ブレスレット。二つ着けるの、流行ってるの?お、お洒落だね」

 左手で思絵の口を押えたことで、袖に隠れていたブレスレットが見えたのだろう。彼女は私の左手首を見つめて、しかし、妙だなと首を傾げた。まったく同じブレスレットを一人の人間が身に着ける、というのが不思議でならないといった様子だ。

「か、形見かなぁ?なーんて………へへ」

 冗談めかした思絵の言葉で、部屋の温度が僅かに下がる。別段隠すことでもないが、自分から人に語って回るような話でもない。特に、死に場所探しの旅については。

「そういうの、冗談でも言わない方がいいよ。詮索されたくないことって、貴女にもあるでしょ」

 呆れたように、泉が言う。二人称や口調、声色から、僅かに怒気のようなものが込められているのが分かる。

 泉と紅祢は、たった二回会って、ほんの数言交わした程度の間柄に過ぎない。私という知り合いの想い人というだけだ。しかし、今現在の私と泉の関係性は特殊で、共に死に場所なんぞを求めて旅をしている。その発端となったのが、紅祢の自殺だったわけで。泉からしても、紅祢の死は無関係ではないのだから、思絵の軽率な発言に怒りを覚えるのも、不思議はないのかもしれない。それにしても人の好さが出ている、とは思うが。

「そ、そうだね。ごめんなさい」

 私達を取材したい、とのことだったが、どうもこの女、人の機微に疎いというか、会話慣れしていなさすぎるというか、出多との違いを強く感じる。出多と思絵は………四歳違いか。その程度の年齢差で、こうも対人能力に違いが生まれるとは。いや、単純に、この女がコミュ障なだけか。

「ご飯終わるまで、なんか別の話する?音楽とか」

 話題と空気を変えようとでもしているのだろう、泉はそう言って、ビッグマックに齧り付いた。

「お、音楽も、あたしちょっと分からない」

 こいつ、本当に漫画家志望なのだろうか。

「わたしはちょいちょい聴くかな。最近だと………SuZuとか」

「SUNAHAMAのSuZu?私も好きなんだよね」

 泉は知っているらしい。CDは部屋を引き払う際に全て売り払ってしまったが、スマホがあればいつでも聴くことができる。便利な時代だ。

 それよりも、泉もジャズロックを嗜むとは意外である。服のセンスといい、私と好みが似ているのかもしれない。

「零はあれだね、チャーリー・パーカーとか好きそう」

「CD持ってたよ。バード・シンボルス」

「おお、名盤だねぇ。私はねぇ、ギルバート・オサバリンとか好き」

「そっちもCD持ってた。アローン・アゲイン」

 果たして十七歳の会話なのか、と頭の上に若干疑問符を浮かべつつ、泉と二人で盛り上がる。思絵はというと、会話に参加できずにまごついていた。これも勉強だ。私達の会話をよく聞いて、メモしておくといい。取材の形の一つとして。

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