Case:3

 もう必要の無い物なので、折り畳み机や小物入れ、寝具、カーテンなどは、全て売り払った。ゴミ捨ても終わったし、出立の準備も整っている。キャリーバッグと小さなリュック、店長に貰ったキャンプ道具一式と、家にあった調理器具たち────といっても、持っていくのは小さな手鍋とフルーツナイフ程度だが、これらが旅のお供の全て。退去費用なども支払いを済ませたし、あとは管理人に部屋の鍵を返せば、それで終わりだ。

 ベランダに出て、ロングピースに火をつける。

 十二月十三日。

 午前九時七分。

 東京を出る日の、朝。

 ベランダから部屋を見る。物が一つもないがらんとした空間の所為か、ロフトへ登る梯子が、どうにもミスマッチに見えてしまう。

 たった五か月弱。私と紅祢は、ここに居た。

 鍵の返却は、十時ということになっている。管理人は近くに住んでいるので、まだあと一時間弱は、この何もない、いや、何もなくなってしまった部屋にいることになる。

「………ロングピースって、こんな感じなんだ」

 タールが高く、強い。しかし、確かな甘味を感じられた。成程、紅祢が好むのも頷ける。

 一本吸い終わって、吸い殻をベランダから投げ捨て、スマホを取り出す。そして着信履歴から一番上の番号をタップし、電話をかける。

 一回、二回、三回………六回目のコール音の後に、母が電話に出た。

「あ、母さん?わたし」

『零。どう?』

 これが母との、最後の会話になるかもしれない。或いは、ならないかもしれない。私の答え次第だ。しかし、もしも答えがでなかったのなら、その時にはせめて孝行しよう………と考えながら、戻らないことを伝える。

「警察が電話してくることがあったら、どこに行ったかもう分からない、とでも言っといて」

『でも………』

「迷惑かけないって、言ったし」

 これもケジメのうちだ。それに、死に場所を探しに行くというのに、未練たらしく「探さないでください」などと口にする程、私は間抜けではない。

「大丈夫。多分今はもう、大丈夫だと思うから」

『………そう。あんたが決めたなら、それでいいわ』

 当然のことだが、母は私の親だ。それも、ごくごく普通の、私が捻くれて堕ちる前は愛情を注いで育ててくれた、平凡な親。今の、そしてこの数年の私に思うところはあったとしても、「大丈夫」に裏があることくらいは、見抜かれているだろう。

『零』

「なに」

 やはり引き留められるだろうか。家に帰ってこいと言われるだろうか。若干身構える私だったが、母の声音が一段と優しくなった。

『………元気でやんなさい』

 もっと、言いたいことはあったのだろう。言葉を選んだ末に出てきた言うべきことが、この一言だったというだけだ。しかし、その一言に含まれているのは、一言では言い表せない、というやつなのだろう。

「………………うん」

 通話を切る。そして、母の番号に着信拒否を設定して、履歴を全て消去した。

「なんも言わずにいなくなるの、阿比留達怒るかな」

 それとも、多少なりとも寂しがってくれるだろうか。

 時刻は午前九時三十七分。荷物を置いたまま屋上に向かう。紅祢が街に融けた、その場所へ。

 塔屋から屋上に出て、今度はフェンスの方ではなく、塔屋の上に上る。ビルの隙間から見える甲州街道を、車たちが忙しなく行き来していた。

 ジップロックに入れた紅祢のスマホを、塔屋の隅にそっと置く。そして、自分のスマホでラインを起動して、紅祢の名前を触って、『いってきます』と打ち込んで送信して、塔屋から降りる。ジップロックに入れたところで、しばらく経てば風雨で穴が開いて、彼女のスマホは浸水して、壊れてしまうかもしれない。それでも構わなかった。これは、私が受けた呪いを強めるための、儀式のようなものだから。

 左手首に触れる。正確には、そこに着けた二つの同じブレスレットを。紅祢の誕生日にアガットで購入した、お揃いのブレスレットだ。

「………いってきます」

 最後に振り返って、フェンスに向かって、そう呟く。北風のアネモイが強めに吹きかけた冷たい吐息だけが、私の告別式に参列していた。




 散々嫌味を言ってきた管理人の言葉を適当に受け流し、話はまだ終わっていないと発狂寸前の状態のそいつに鍵を返却して、管理人の住む家を後にする。それから駅前のATMに寄って、少し悩んだ後に、私と紅祢二人の口座から貯金を全て引き出した。合計金額、約七十万。十七歳の小娘が持ち歩いていい金額ではないし、有事の際に失ってしまう危険はあるが、捜索などをされた場合には、口座の使用から足が付いてしまう。不安ではあるが、全財産を持ち歩くことにしよう。

 東京駅のコインロッカーに荷物を預けて、WK2というカフェに入る。エスプレッソとマンゴーパンケーキを注文して席で待っている間、店の外を眺めていたのだが、構内の店舗のために、あまり眺めは良くなかった。やはり、カフェというのは景色を楽しめてこそだと思ったが、エスプレッソもパンケーキも味が良かったので、景色のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまった。我ながら単純な人間である。

 広場に出て、泉と話した石のベンチに腰を下ろす。時刻は間もなく午後十二時。約束の時間だ。

 項に当たる冷えた外気が心地良い。見上げると、青と白のコントラストが高くかかっている。周囲を建造物で囲まれた広場から水晶体に映す冬空は、吹き抜けを通り越して見る天井のようにも思えた。

 行き交う人々の雑踏の中で、背後から近付く一人分の足音とキャリーバッグの車輪の音だけが、際立って聞こえる。それはある意味で、死を運ぶ足音ともいえるだろう。白髪赤眼で場面を切り撮る、死神の足音だ。

「髪、可愛いじゃん」

 斜め後ろで立ち止まった足音の主が、わずかに微笑んでそう言った。

「だろ」

 二日前と違い、今日は────今日からは、また以前のように、百二十パーセントの装いだ。無論、冬仕様の。当然、短く切った髪もきっちりセットしてある。

「荷物はロッカー?」

「そう」

「おけおけ。とりあえずどこ行くか、零が決めていいよ」

 泉が誘ってきたので、てっきり彼女が目的地を決めるものだと思っていたのだが………一番綺麗な景色を探すのであれば、他人の行先に身を任せるのも一つの手、ということか。

 しばし考え、私の死に場所探しの原点を思い出す。まだ生きている理由とまだ死んでいない理由を探すのであれば、紅祢との足跡を辿ったり、或いは紅祢と行きたかった土地を目的地に定めるのがいいかもしれない。

「じゃあ………軽井沢」

「いいけど、なんで軽井沢?」

「紅祢と行きたいねって話してたから。行った場所と、行きたかった場所とかを、まずは回りたい」

「ん、いいよ」

 私の目的地になるかもだし、と泉が頷く。

 二人で死に場所を探して旅をする。それはつまり、どちらか一人が先に答えを見つけた場合には、その後の片方は一人旅になるということだ。そういう意味では、一人と一人の旅、と表現した方が正しいのかもしれない。

「あ、待って」

 立ち上がり、構内へ向かおうとした私の背を、泉が呼び止める。レンズキャップを外しているということは、写真を撮るつもりのようだ。そしてどうやら被写体は私らしい。

 ピントを合わせてシャッタースピードを設定し、ファインダーを覗いた泉が、東京駅を背景に私にレンズを向ける。

「はい、チーズ」

 セルフタイマーが付いている型なのだから、どうせなら泉も入ればいいのに………とも思ったが、彼女はあくまで記録者側でいるつもりのようだ。それもまた一興、ということにしておこう。

「じゃ、行こっか」

 フィルムを巻いてレンズキャップを付け直した泉が、キャリーバッグを引いて構内へと向かう。

 東京は日本の中心。そしてその東京の中心が、この場所だ。死に場所探しの始発点が日本の中心地というのは、なんとも結構なことである。

 東京から軽井沢へ向かうのであれば、北陸線に乗るのが最も早いだろう。次に出る新幹線は、一時四分発だ。しかし、別に急ぐ旅というわけでもないし、金銭的にも今は余裕があるが、いざという時のためにできるだけ安く済ませたい。在来線を乗り継いでいけば三千円弱で軽井沢まで行くことができるようなので、そのルートを選ぶことにしよう。

 まずは上野、そこからJR高崎線で籠原へ。籠原から高崎へ向かう電車に乗って、JR信越本線で横川、あとはバスで軽井沢まで。所要時間は約三時間、らしい。こういった情報がすぐに手に入る時代というのは、やはり便利なものである。

 十二時十四分、山手線に乗って上野へ。二十七分発の普通電車で籠原に向かう。

 窓の外の景色が、流れていく。なんとなくで訪れて、紅祢と出会って、普通になろうとした街の景色が、視覚的に過去へと移ろい逝く。

 或いはもう二度と、この街を見ることはないのかもしれない。吊革を握って眺める東京は、鈍色の摩天楼が立ち並ぶ鳥籠のようにも見えた。無関心なまでに暴力的な優しさで感覚器官を麻痺させる、綺麗で汚れた鳥籠に。

 二〇二四年。

 十二月十三日。

 午後十二時三十八分。

 私達は二人、東京を出た。




    宛名に千年王国を

          /終

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