Case:2
「また奇妙が発生かな?てか珍しいね、すっぴんでラフな恰好」
十二月十日。
午後五時三十八分。
天気は晴れ時々曇り。
東京、丸の内駅前広場。
夜が縮こまるその隅で、背後から声をかけられる。聞き覚えのある、然程大きいわけでもないのによく通る女の声。振り返ると案の定、白く染められた髪に赤いカラーコンタクト、派手なメイクと派手な服装で、首からバルナックライカを提げた、いづみがいた。
「………いづみ」
「ど、どしたの。なんかあったの?」
私の顔を見たいづみが、ただ事ではないぞと駆け寄ってきて、近くのベンチまで手を引かれる。石で造られたベンチは、冬の夜風に晒されたのが原因だろう、不快な程に冷えていた。
「ほんと、なにがあったの?紅祢と喧嘩でもした?」
もう喧嘩すらできない。いや、というより、一度も言い争いすらしなかった。口喧嘩くらいできていれば、きっと、今も。
「喧嘩、はできないかな」
含みのある言い回しだ、と眉を顰めるいづみが、「てっきり、いつも一緒なもんだと思ってたんだけど」と首を傾げる。
「いつも一緒、か。うん、やっぱり私も、そうするのが正解………かな」
「え?」
「紅祢ね、アパートの屋上から飛び降りたから。もういないんだ」
二か月前に二度程会って話した程度の相手に、こんなことを伝えても仕方が無いだろう。しかし、どうにもいづみの雰囲気が紅祢と似ているような気がして、こいつなら紅祢が死んだ理由が分かるかもしれない、なんてことを思った。
「そっ………かぁ」
突然知らされた、二回会っただけの女の訃報。いづみは紅祢よりも私と話すことが多かったので、反応に困るのだろう。いづみにとって紅祢は、私という知り合いの想い人、というだけのはずなのだし。
紅祢が死んだ、と口にしたからだろうか。また視界が滲んで、ぼやけて、感情が静かに溢れてくる。
「もう………私も、死のうかな」
生きる理由が、無くなってしまった。このまま抜け殻として、ずっと心の中に冬の朝を描いて、来るはずもない千年王国での再会に思いを馳せるくらいならば。
どうせ、自ら命を絶った者には獣の刻印が押されて、暴力的で支配的で独善的な神とやらの裁きが下されて、楽園には辿り着けないのだ。ならばもう、やはり、私も。
「じゃあ、一緒に来る?」
死にたいと口にした私に、いづみがそう呟く。そして、自分が何故一人で旅をして、一番綺麗な景色を探しているのか、その理由を話した。自分は、死に場所探してるのだと。
「私の周りの景色って、ずっとくすんでて。なんでもできて、でもそれは周囲から見れば当たり前で。汚いって程じゃないけど、少なくとも、綺麗ではなかったんだ」
だから、見たことのない、行ったことのない、最も綺麗な場所を探しているのだと。そして、その景色の中で、死にたいのだという。
「佐藤いづみって名前ね、偽名なの。本名だと、バレたら家に連れ戻されちゃうから」
名前どころか、見た目も言動も、全て偽りということか。いや、どうやらそれは逆で、今の彼女が素であるらしい。
「本名ね、生駒 泉。これでも一応、お嬢様で通ってたんだよ」
彼女が口にした名前に漢字を当て嵌めてみて、見覚えがあるなと記憶を辿る。確か以前、ネット記事で見たことがあったはずだ。名古屋の名門お嬢様高校に通う優等生が、行方不明になったという内容だったか。
「桜花学園のお嬢様って、いづみのことだったんだ」
成程。旧安田楠生邸庭園での言葉は、やはりいづみ………いや、泉の一人旅の理由にまつわることだったのだ。
────金持ち一家に産まれて、自分も成功してさ。でも多分、周りからは全部当たり前だって見られたはずで。そういうのって、嫌じゃなかったのかなーって
レールが既に決まっていることに対しての反抗心や、功績全てが血筋故に当然の結果として受け取られることへの不満。そういったものはなかったのか、泉はそれが気になっていた。私だったら嫌だなー、と、カメラを持つ手を下げた泉の表情が紅祢のもつ雰囲気に似ていたのは、彼女も同じように、死を想っていたからなのだ。
「明明後日………十三日の十二時、ここで。お昼の方ね。十二時過ぎたら、私は行く。待たない」
死に場所探しの一人旅。私を誘ったのは同情からか、ある種の親切心か、或いは、終わりたい女と終わりたいのか分からない女、二人で死に場所を探して旅をするのも悪くない、と考えたからなのか。旅は道連れというやつなのかもしれない。
腰を上げて、赤エルマーのレンズキャップを外した泉が、ファインダー越しに私を覗く。しかし、シャッターは切らない。
再びキャップを嵌めて、どこか────おそらく寝泊まりができるネカフェか何かに向かおうと背を向けた泉が、最後に小さく、しかしはっきりとした声音で、私に告げる。
「誘っておいてこんなこと言うの、アレだけどさ。多分………ううん、間違いなく、来ないのが正解だよ」
先程私が口にした、「そうするのが正解かな」という言葉への答えなのだろう。彼女は自分が普通ではないということを、よく理解しているらしかった。
そしてもう、私も普通に興味は無いし、普通になろうとも思えない。なら、普通の正解というやつを、選ぶ必要も、理由もないだろう。
少しだけ、気分が晴れた気がした。
死に場所探しの二人旅。その中でなら、私がまだ死んでいない理由と、まだ生きている理由を見つけられて、答えを得られるかもしれない。道中出会う人達のそれらも訊ねれば、きっと、最善でも最良でもないのだろうけれど、最適な答えを見つけられるはずだ。
スマホを取り出して、ラインを起動してから店長に通話をかける。時刻は午後六時十三分。まだ仕事中だろうが、今伝えておかなくてはならない。そんな気がした。
「店長、今大丈夫ですか?」
数回のコール音の後、通話が繋がる。すると電話口の向こうから、少し早口になった店長の言葉が聞こえてきた。
『おい、零。大丈夫なのか、お前。いや悪ぃ、大丈夫なわけないよな』
相変わらず、見た目に反して気が回るというか、ちゃんと大人をやっている女だ。
「いえ、今はわりと大丈夫です」
『そうか』
「二週間近くも休んじゃってすみません」
紅祢が死んだ翌日に、ことの経緯としばらく休みたいと伝えはしたものの、店長からすればいい迷惑だろう。いや、店長は今の状況を迷惑だと考えるような人間ではないか。
『気にすんな。それより体とか平気か?飯食ってるか?』
今の私の声は、そんなに憔悴しているのだろうか。店には今は店長一人しかいないらしく、心美や阿比留の声は聞こえない。
「はい、まあ。それで………その、急なんですけど、バイト辞めさせていただこうと思いまして」
おそらく予想はしていたのだろう。数秒の沈黙の後、店長は『そうか』と答えた。
「えっと、まだ未成年っていうこともあって、なんか実家に戻らないといけないとかで。アパートの退去期限も十五日だし」
嘘ではないが、真実でもない。いや、実際に実家に戻れと警察から言われてはいるが、初めからその選択肢だけはないのだから、やはりこれは嘘か。
『そ………う、か。そうか。仕方ない、よな』
「迷惑ばかりかけて、散々世話になったのに、電話一本で申し訳ないです」
これは本心だ。店長や出多や母、三人の大人がいたお陰で、私は普通になろうと思えていたのだから。もっとも、それはもう、私の中では過去形になってしまったが。
『気にすんなよ。ちゃんと飯食えな』
「はい。ありがとうございます」
そういえば、店長にはキャンプ道具を貰ったのだったな、と思い出す。泉と死に場所探しの旅をするなら出費は可能な限り抑える必要があるので、テントなどは役に立つだろう。
『元気でやれよ。落ち着いたら顔見せに来い』
「………はい、また、そのうち」
旅の終わりの答え次第では、またがある可能性も無いわけではない。ただ、それはおそらく、限りなくゼロに近いだろうと感じていた。
通話を終えてすぐに、ラインの連絡先一覧を開いて、紅祢以外を全員ブロックして、削除する。結局これが、私の全てなのかもしれない。
笹塚に戻って、少し周囲を歩く。先程までと違って、夜の街並みが綺麗なものに映った。ビルの間を静かに走る夜風が、私の髪を撫でて、去っていく。
駅前通りから観音通りに入ってすぐに、美容室が目に入った。火曜日でも営業しているとはなかなかに珍しい。アパートのすぐ近くだというのに、この小さな商店街に来たのは初めてだ。美容室の正面には美味そうな中華食堂、この道沿いにはバーやカフェもあるらしい。
紅祢と来たかったな、と髪を撫でて、なんとなくで美容室に入る。時刻は午後七時七分。営業終了は八時らしいので、かなりギリギリの入店だ。
予約も無く、閉店一時間前に美容室に入る客というのは、実際かなり面倒な相手なのではないだろうか。しかし、美容師の女は特に嫌な顔もせずに、営業用の笑顔で対応してくれた。
「今日はどんな感じにします?軽く五センチくらいカットして、ボリューム調整とか?」
本当になんとなくで入ってしまったため、どんな髪型にするか悩んだ。散々悩んだ末に、今の私に相応しい髪型………というより長さはこれだと思い付き、手で鋏の形を作って、首のあたりでちょきんと指を動かす。
「ばっさり、短くしてください」
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