第29話 距離の理由は、教えてくれない

 その後も俺たちは、観覧車で真横にぴったり座られたり、シューティングゲームで背後から腕を回されて一緒に照準を合わせられたり、フードコートではカフェと同じようにストローを差し出して同じジュースを飲ませようとしてきたり……。

 

 いや、どこに行っても必ず物理的に距離ゼロになるって、どういう訓練方針なんだこれ。


「……なあ、つぐみ」

「ん? なにー?」

「いや……何でそんなに近いんだ?」

「近いほうが楽しいじゃん♪」


 即答。しかも悪びれゼロの笑顔付き。

 

 俺はためしに一歩距離を取ってみた。――が、その瞬間、つぐみは何事もなかったように半歩詰めてくる。

 

「……近いよ」

「近くないと落ち着かないの。ほら、こうしてるほうが安心するし」

「安心……?」

「うん。離れられると、なんか……ヤダ」


 言いながら、ほんの一瞬だけ表情が揺れた。

 

 その顔は、いつものギャル全開の笑顔じゃない。

 

 俺の目が錯覚を起こしただけかもしれないけど――あれは、寂しそうな目に見えた。理由を確かめる間もなく、アナウンスが夕方の訪れを告げ、訓練も終わりのムードに包まれていく。


「ねえ……次も、デートしてくれる?」

 

 声のトーンは明るいはずなのに、どこか不安を隠しきれていない。

 

「……由依さんや瑞希さんの訓練もあるから、どうなるかは分からないな」

「そっか……」


 目に見えてテンションが落ちる。

 

 あの、ずっと弾けていたギャルモードが、ふっと影を潜めた瞬間だった。


「……あの二人はいいよね」

「え?」

「普通にしてても可愛くて、相手にされるから……いいよね」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。脳内で言葉を繰り返している間に、つぐみと目が合う。

 

 その瞳には、ほんのわずかに滲んだ自己嫌悪と羨望が混じっていた……気がした。


「――なーんでもない! 今の忘れて。ごめんね!」

 

 慌てて笑顔を作り、ぺこりと頭を下げるつぐみ。

 

 けれど、その笑顔は、ほんの数秒前の寂しげな表情と重なってしまって、どうしても軽く受け流すことができない。


 結局、理由らしい理由は掴めないまま、その日の訓練は終了。

 

 別れ際、ホームに駆けていくつぐみの後ろ姿を見送りながら、胸の奥に小さな棘のような感覚が残った。

 

 その背中が完全に見えなくなった瞬間、俺は糸の切れた人形みたいにベンチへ倒れ込んだ。


「……はぁぁぁ……」

 

 肺の奥まで溜まった空気を全部吐き出す。身体の重さがいつもの二倍ぐらいある。

 

 昨日までのWデート? あれはまだ観光気分で済んだ。でも今日は……全力疾走で逃げ場のないマラソンに参加した気分だ。


『お疲れさま、一ノ瀬くん』

 

 インカムから、マリ先生のやけに柔らかい声。

 

「……先生……正直……Wデートより……きつかったです」

『でしょー? あの子、やっぱり“つぐみの手口”出てたわね』

「手口……って……なんか理由があるんじゃないかと思ったんですけど」

『ないない。あれは本能。あの距離感は計算じゃなくて、生まれつきの習性よ。理由探すだけムダ』

「……やっぱりそうなんですか」

 

 なんか妙に腑に落ちた。あれは狙ってじゃなくて、地でやってるんだ……そりゃ疲れるわけだ。


『ま、とりあえず今日は早く帰ってリフレッシュしなさい』

「そうします……正直、もう足が棒です」

『それと……明日は訓練お休みにしましたー』

「感謝します……」

『でしょ? 感謝の気持ちはスイーツでいいわよ』

「そこはノーギャラでお願いします……」


 ため息をひとつついて、俺は立ち上がる。

 

 電車に揺られながら窓に映る自分を見れば、頬が少しこけているように見えるのは気のせいだろうか。

 

 こうして俺の、ジェットコースターよりも心臓に悪い一日は終わった。

 

 明日こそ、布団とだけ付き合う一日にしよう。そう心に誓いながら。









 家に帰ると、玄関からふわっと夕飯の匂いが漂ってきた。

 

「おかえりー。あ、花林はまだ部活でしょ」

 

 キッチンに立つ母が、エプロン姿で手を止めずに声を掛けてくる。

 

 テーブルの上にはまな板と山盛りの野菜、そして鍋からはいい感じに出汁の香り。……これは絶対もうすぐご馳走コースだな。

 

 とりあえず花林が帰ってくるまで、俺は部屋に……。

 

「はいストップ」

 

 鍋の蓋を押さえた母が、こっちにずいっと顔を向ける。


 なんか嫌な予感がする……。

 

「悪いけど、近くのスーパーで調味料、買ってきてくれない?」

「えぇ……今から?」

「今から」

「せっかく家着いたのに……」

「息子が健康で帰ってきたんだから、それくらいのご奉仕は当然でしょ?」

 

 ……まるで俺が数ヶ月ぶりに生還したみたいな言い方をするな。


「何買えばいい?」

「これと、これと……あと安かったら唐揚げ用の鶏肉も」

「なんで追加で肉まで……」

「主婦の嗅覚をなめないこと」

 

 メモを渡され、財布まで押し付けられた俺は、完全に買い物部隊として強制出撃する羽目になった。


 あーマジで、息子が疲労困憊で帰って来たのにこの仕打ち……。まぁ、家に帰ったらご馳走だし頑張りますかー!自分にそう言い聞かせ、買い物メモを片手に外へ出るのだった。

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