第28話 至近距離すぎる訓練

 パフェが来た時点で、すでに俺のHPは三割くらいになっていた。


「うわ、パフェでっか……! あとこれ! 見て見て、ハートのドリンク! きゃわすぎなんだけど~!」


 机に置かれたのは、見事なまでにインスタ映え仕様のパフェと、ひとつのグラスにストローが二本ささったハート型のラブドリンク。完全にカップル用だ。


「え、これ、ふたりで飲む感じなの?」

「そゆことっ♪ はい、誠司くん、せーのっ!」


 つぐみが屈みこむ。その瞬間、目の前に広がる柔らかな谷間。


 見るな、見ちゃダメだ。一ノ瀬誠司!


「よーし、じゃあ次はパフェだね~。一緒に食べよ♡」


 そう言って、つぐみは俺の隣にぴったりくっついてきた。


 近い、近すぎるって!腕動かしたら当たっちゃうよ、これ……。


 てか、これちゃんとマリ先生に許可取ってるのか……?


「ちょっと、マリ先生に確認してもいい……?」


 インカムに手を伸ばそうとすると、つぐみの表情が一変する。


「……私とは、嫌?」

「え?」


 つぐみの声は、ふわっと甘くて優しい――けれど、どこかにじんと湿り気を帯びていた。顔は笑っているのに、目の奥だけが妙に静かで、ハイライトが消えたみたいに感じる。


 「誠司くん……私とは、あーんとかしたくないんだ……。他の娘には、してるのに……私には、ダメってこと?」


 声が震えている。笑顔の裏に、ひりつくような焦りと不安がにじんでいた。


「私、必要ないのかな……って……」


 ぞくり、と背筋に冷たい風が走った。言葉が詰まる。咄嗟に何か言わなきゃって焦るけど、うまく言葉が出てこない。


「ち、違うよ! そんなことは……っ」


「……じゃあ、なんで拒否するの?」


 その声は小さくて、でも芯が刺さるように鋭かった。


「……俺、訓練中だから、って思って……」


 しどろもどろになりながら説明を試みたとき、不意にインカムからマリ先生の声が入った。


『どうしたのー? 今の声、動揺してた気がするけどー』


「何でもありません!」と咄嗟に遮る。訓練だからと口に出すと、つぐみの表情がさらに曇った。


「じゃあ……いいよ?」


 俺が曖昧に頷くと、つぐみはぱっと笑顔になった。明るく、弾けて。


「やったぁ! じゃ、いただきまぁす♡」


 その言葉と同時に、つぐみのスプーンが至近距離から飛んできた。俺の口元へ、甘いクリームが輝くように近づいてくる。


「……っ」


 圧倒的な至近距離あーん。衝撃の甘さと吐息の熱さに、俺はいきなり抵抗不能になった。


「んー♡ おいしい?」


 俺はただ、うなずくしかなかった。理性は甘さに溶かされ、訓練行為は遠く霞んでいく。


「誠司くん、遅い♡」


 甘い催促に胸が跳ねた。でも、まだ訓練の一環だ。と思い込もうとする。でも、心臓のビートはとっくに訓練中枢を超えて震えていた。










 

 カフェを出てすぐ、俺はトイレに駆け込んだ。

 

 別に腹が痛いわけじゃない。ただ、さっきのつぐみの「至近距離あーん攻撃」が頭から離れなくて、心臓がバグったままだからだ。


「……はぁ……」


 鏡に映る自分の顔は、完全に疲労困憊。

 と、ここでインカムが震えた。


『一ノ瀬くん、至近距離でやられたでしょ? 声、震えてたもの』


「う……はい……。あの、やっぱバレてましたか……」


『バレバレよ。今すぐ中断させようか? あれは訓練としても危険域よ』


 中断……。正直、助かるけど。


「……でも、あの子、あんな風に近づいてくるの、何か理由があるんじゃないですかね?」


『理由ぅ? 理由は“そういう手口”でしょ。メンヘラ系の典型、距離感ゼロ戦法』


「いや……でも、近づいたときに俺がちょっと避けようとしたら……めっちゃ悲しそうな顔してて……」


『それも込みで“手口”だから! 油断しちゃダメ!』


 マリ先生の声は珍しく真剣だ。

 でも、俺の胸にはどうしても引っかかりが残っていた。


「……わかってます。でも、あれは、演技じゃない気もするんです」


『……あんたねえ、そういう甘さが……。はぁ、まあいいわ。続行の許可は出すけど、絶対油断しないでよ』


「はい。……ありがとうございます」


 通話を切ると同時に、俺は大きく息を吐いた。

 あの不安定な笑顔と、涙目になりかけた顔が、脳裏に焼き付いて離れない。


「……よし、続き、行くか」


 トイレを出て、つぐみの待つ場所に戻ると、彼女は腕を組んで仁王立ちしていた。


「おっそーい! つぐみ、寂しくて死ぬかと思ったんだけど!」

「いや、ちょっと休憩してただけで……」


 言い訳しかけた瞬間、つぐみがぴたっとくっついてくる。


 俺は思わず半歩引くが――


「……離れるの?」


 目のハイライトがスッ……と消えた。

 

 いやもう、やめてくれ、そのホラー顔は。


「ご、ごめん! 離れない! ほら、こうやって……!」


 俺は流されるがままに、つぐみの肩に腕を回され、歩く。

 

 周囲の視線が刺さる。インカムからマリ先生の深いため息が聞こえた気がした。


『……一ノ瀬くん、完全に飼い慣らされてるわね』


 聞こえなかったことにした。


 そして俺達は次のスポット、テーマパークへと向かう。

 

 ゲートをくぐった瞬間、つぐみは子供みたいに跳ねた。


「わーっ! 来たかったんだよねここ! やば、テンション爆上がり♡」

「お、おう……すごい人だな」


 ここは若者とカップルの聖地らしい。俺は完全に場違い感を覚えるが、つぐみは手を引っ張ってずんずん進む。


「ほらほら、まずはジェットコースターいこ! 絶叫系大好きなんだー!」

「ま、まじか……俺はそこまで得意じゃ……」

「大丈夫大丈夫♡ つぐみが守ってあげる!」


 守るって、何を……。

 

 数分後。俺は、ジェットコースターの座席で絶望していた。

 

 ガシィッ、と腕に絡みつく柔らかい感触。

 

 急降下と同時に、つぐみが全力で抱きついてくる。


「きゃあああああああーーーっ!!」

「わ、わぁぁぁぁぁぁ!!」


 ちょ、ちょっと待て胸! 当たってる! めっちゃ当たってる!!俺の体のあらゆる感覚が、恐怖と柔らかさでごちゃまぜだ。


 視界は風と涙で滲み、耳元でつぐみの悲鳴と笑い声が混ざる。

 

 結果、ジェットコースターをほとんど楽しむ暇はなかった。


 降りた瞬間、俺はフラフラになって地面にへたり込む。


「やっばーい! 超楽しかったー♡ せーじくんも楽しかった?」


「……た、楽しかった……(別の意味で)」


 その後も、つぐみとのテーマパーク巡りは続いた。


「きゃははっ、一ノ瀬くん、アクセルもっと踏んでー!」

「ちょ、ちょっと待って! ゴーカートってこんなにスピード出るんだっけ!?」

「もっと出るよー」


 そう言いながら、つぐみは助手席から俺の腕にしがみつく。

 

 って、胸! 絶対わざとだろ、これ! 運転に集中できないって!


 次はメリーゴーランド。

 

 普通なら隣の馬に座るだろうに、つぐみは当然のように俺の乗る馬にくっついてきた。


「……つぐみ、なんで同じ馬?」

「え? 一ノ瀬くんと一緒じゃなきゃ、やだもん♡」


 ぐいっと腕を絡めてきて、俺の肩に頭を乗せる。

 

 BGMは子供向けでほのぼのしてるのに、俺だけ難易度がハードモードだ。


 さらにお化け屋敷。

 

 暗闇の中、つぐみはもう全身で俺にくっついてきた。


「ひゃっ……今の見た!? 絶対ゾンビいた!」

「いや、まだ入り口だから! 今のは案内のお兄さん!」


 ドンッ、と後ろから音がした瞬間、俺の腕に全力でしがみついてくる。

 

 ……いや、これもう歩けないって。重いっていうか、柔らかいっていうか……。


 ひと通りアトラクションを回り、ベンチに腰を下ろすと、俺はぐったりとため息をついた。


「……なあ、つぐみ」

「なぁに~? 疲れたの?」


 にっこり笑う顔は可愛いんだけど、さっきまでの過剰な密着が脳裏をよぎる。


「いや、その……。なんでそんなに、ずっとくっついてくるんだ?」


 一瞬、つぐみの笑顔がピタリと止まった。

 

 そして、今度はゆっくりと俺の肩に頭を預ける。


「……だって、一ノ瀬くんが離れたら……つぐみ、さみしいもん」


 目のハイライトが、またスッと消えかけた。

 

 心臓がドクンと跳ねる。


 これ……ただの甘えじゃない気がする。

 

 俺の頭の中に、マリ先生の声が反響する。


『つぐみの手口よ。気をつけなさい、一ノ瀬くん』


 わかってるけど……本当にそうなんだろうか……?

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