第23話 俺氏、久しぶりに風邪を引いてしまいました

 早朝、いつもなら清々しく訪れるはずの時間。……の、はずなのに。


「……ん、あれ……なんか……」


 起きた瞬間、違和感が全身にまとわりついていた。


 体が重い。というか、鉛だ。毛布が鉄板に進化したのかってくらいに、動けない。何より寒い。なのに汗がじっとり出てる。なにこれ。


「うそだろ……?」


 かろうじて腕だけ動かし、ベッド横に置いてあった体温計を手探りで掴む。昨夜、報告書書いてるときに何となく嫌な予感がして、そこに置いてたのが今になって功を奏した。


 ピピッと体温計が告げた数値を見た瞬間、目が点になる。


「38.8……!?」


 思わず声が出た。こりゃいかん。完全にアウトライン超えてる。


「おかしいだろ……昨日まで、いや、数時間前までピンピンしてたのに!」


 これが……これが噂に聞く、訓練明けダウン……!?あのWデート、楽しかったけど、地味に精神削られてたのか……!


 とりあえず、事態を伝えねばと、意識をフル稼働させてリビングに向かう。


「……っはぁ……母さん……花音……」


 俺の声を聞いた瞬間、キッチンから顔を出した母さんと、朝食の準備していた花音がフリーズした。


「え、ちょっと誠司!? 顔、真っ赤じゃない!?」

「わっ、お兄ちゃん!? 何そのフラつき!? ゾンビ化してない!?」

「ゾンビ化ってなんだよ……! ちょっと熱出ちゃっただけだって」


 無理やり笑ってみせたが、逆効果だった。

 

「ダメダメダメ! 救急車! 救急車呼ぶ!」

「ちょ、待て母さん! それは大袈裟すぎる! ただの風邪! 風邪だって!」

「いやいやいや! あんたの“ただの”は全然信用できないから!」

「兄さん、昨日もなんかフラフラしてたし……それ、潜伏型ウイルス的なやつじゃないの?」


 2人の過剰反応に、冷や汗が倍増する。


「違うから! イルミネーションも夜の街も行ってないから! 寝不足と寒暖差のせいだから!」


 謎の言い訳が飛び出すあたり、たぶん熱で理性が焼けてる。やっと少し落ち着いたのか、母さんが深呼吸してから言った。


「……わかった。まずはベッドに戻って。誠司、安静第一。私、薬買ってくる!」

「うん……助かる……」


 そうして母は勢いよく玄関を飛び出していった。言葉通り“飛び出して”いった。靴を履く音とともに、疾風のように消えていく。


 一方の花音は、リビングにぽつんと残って、俺を見上げた。


「じゃ、私は……学校休んで、おかゆ係、だね」


 すでにエプロンを巻いてるのがプロフェッショナル感すらある。


「悪い……ありがとな」

「いいけど、兄さん。これ、貸しだかんね?」


 エプロンを巻きながら、花音がまるで司令官みたいな口調で言ってきた。


「た、頼む……。っていうか、そんなに張り切ることか?」

「張り切るでしょ。兄さんが体調崩すなんて、滅多にないことだよ?」


「ま、まぁそれもそうか……」


 自慢ではないが、身体は丈夫な方で、ここ何年かは風邪を引いたことがなかった。なのに、Wデートをした翌日に風邪を引くとは……。


 俺がげんなりした顔でベッドへ戻ろうとすると、背中に軽く声が飛ぶ。


「とにかく安静にしてて! あとでおかゆ持ってくから!」

「……了解。助かるよ、花音」


 半分フラつきながらもなんとか自室へ戻り、ベッドに倒れ込む。


 こうして俺の風邪との静かな闘いが、ゆるやかに始まるのだった。










 昼休み。私はお弁当を手に持って、意気揚々と誠司君の教室へ向かっていた。


「あれ? 誠司君、いない……?」


 きょろきょろと中を見回しても、彼の席はぽっかり空いていた。その時、近くにいた別クラスの女子が、少し残念そうに言った。


「一ノ瀬くん、今日はお休みだよ」

「えっ……!?」


 そう言われて、私は驚く。すると、後ろから軽やかな足音が聞こえた。


「由依さん。……一ノ瀬さんの姿が見えませんね」


 振り返ると、瑞希さんが整った髪を肩にかけ、冷静そのものの表情で立っていた。


「うん。お休みみたい。……体調崩したのかな」

「……どうでしょうね……」


 言葉とは裏腹に、瑞希さんの目が一瞬、曇った気がした。


「瑞希さん、心配なんだね」

「当たり前です。お世話になったLPS男子ですから……」

「そうだね……」


 その瞬間――校内放送のスピーカーが鳴った。


『月岡瑞希さん、芹沢由依さん。至急、研究室まで来てください』


 私たちは顔を見合わせた。


「マリ先生? なんだろう?」

「行きましょう、由依さん」

「うん!」


 私達は急いでマリ先生の待つ、研究室に向かった。




 





 研究室のドアを開けると、そこにはマリ先生が座っていた。表情はいつものように朗らかだけど、目元にはほんの少しだけ、疲労と緊張が混じっているように見えた。


「来たわね、由依ちゃん、瑞希ちゃん」

「誠司君のことで、ですよね?」


 私が尋ねると、マリ先生はうなずいてから、声を落とした。


「ええ。……一ノ瀬君、今朝になって急な発熱で、今日はお休みしてるの。ご家族が看病してくれてるから心配は要らないけど、体温が結構高かったみたい」


「……なるほど。そうだったんですね」


 研究室のソファに座った私は、先生の話を聞きながら深く頷いた。マリ先生は、表情を引き締めて言う。


「男子の体調不良っていうのはね……この学園では、結構ナイーブな情報なの。下手に広まると、生徒たちが大騒ぎするから、一部の教職員しか知らないのよ」

「たしかに、男子は希少種だから……」

「……まるで絶滅危惧種のような扱いですね」


 瑞希さんがさらっと辛辣なツッコミを入れる。……やっぱりこういうところ、抜け目ないなぁ。


「でね、君たち2人にお願いがあるの」


 そう言って、マリ先生は私に紙を、瑞希さんにインカムを渡した。


「2人には、誠司君の家の家へお見舞いに行ってほしいの」

「お見舞いですか? わかりました直ちに向かいます」

 

 瑞希さんが意気揚々と答える隣で私も首を縦に振る・


「よし! じゃあこれは誠司君の家の住所。それと、もしもの通信用。日が暮れる前に行ってきて。できるだけ、早くね」

「……了解です。迅速に向かいます」


 瑞希さんがピシッと敬礼のように答えた。私は住所の紙を見て、ぎゅっと握りしめる。


「誠司君、大丈夫かな……」

「一ノ瀬さんのことです。きっと大丈夫だと思います」

「そうだよね」


 きっと誠司君はただ風邪で寝込んでいるだけのはず。そう信じて私達は研究室を出る。


「じゃあ、行こっか、瑞希さん!」

「ええ。……由依さん」


 そんな調子で、私たちは誠司君のもとへと足を運ぶのであった――。

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