第6章:本当に大切な人
日曜の朝。
蒼真はいつものようにクロワッサンを買うため、近所のパン屋に向かっていた。
けれど今日は、何を食べても味がしなかった。
夏芽に言われた言葉が、頭から離れない。
「あんたが傷つくの、もう見たくないからだよ!」
「もう、知らない」
(夏芽があんな風に怒ったの、初めてだったな)
いろんなシーンがフラッシュバックする。
子どものころ、転んで泣いていたときに、黙って絆創膏をくれたのが夏芽だった。
受験に落ちた日、家の前で無言で缶コーヒーを差し出したのも夏芽だった。
何度恋愛で失敗しても、いつもそばにいてくれたのは夏芽ただ一人。
(……俺、本当にバカだった)
“優しい”って言われるたびに、
満足してた。
でもそれは誰かを「大切にしてる」って
こととは、違ったのかもしれない。
昼過ぎ、蒼真は決意してスマホを手に取った。
夏芽に連絡をしようとする指が、途中で止まる。
(何をどう言えばいい?……謝ればいい? それとも……)
そのとき、1件のLINEが届いた。
由梨からだった。
「今日の夜、時間ある?ちょっと紹介したい人がいて。すごく素敵な人なの。
一緒に食事しない?」
“紹介したい人”。
その言葉に、ふと引っかかるものを感じた。
(……オレ、本当にこの人のこと、
何も知らないな)
蒼真は、ゆっくりと返信欄を閉じた。
夕方。
彼は、夏芽の家の近くの公園にいた。ベンチに座り、薄暗くなっていく空を見つめていた。
いつの間にか、小さな足音が近づいてくる。
振り向くと、そこには夏芽がいた。コンビニの袋を提げて、少し驚いたような顔をしている。
「……なにやってんの」
「……待ってた」
「なんで?」
「ちゃんと、話がしたくて。」
蒼真は深呼吸をした。
胸の奥に溜まっていた想いを、ゆっくりと吐き出すように。
「オレ、たぶん……誰かに優しくして、“ありがとう”って言われるのが嬉しかったんだと思う。誰かの役に立ててる気がしてさ。でもそれって、本当にその人のためだったのかなって……最近、わからなくなってた」
夏芽は何も言わず、黙って聞いていた。
「この前、怒ってくれてありがとう。……夏芽が怒ってくれなかったら、たぶん、
今も気づけなかった」
「……気づいた?」
「うん。“優しさ”は、ちゃんと向き合うこと
から始まるんだなって。
都合のいい優しさじゃ、誰も救えないって……」
言葉を止め、少しだけ間を空ける。
そして、蒼真は静かに言った。
「夏芽。……ずっとそばにいてくれて、ありがとう」
夏芽の目が、少し揺れた。
「……もう遅いと思ってたよ。何年も見てきて、気づかないんだもん。あんたの鈍感さ、ほんとに罪だわ」
「ごめん」
「でも……」
夏芽は、息を整えてから、笑った。
「やっと気づいてくれたなら、それでいい」
2人の間に、ようやくあたたかい風が吹いた気がした。
ベンチの横で、夏芽がそっとコンビニ袋を差し出す。
「ほら、あんたクロワッサン好きでしょ。ついでに買ってきた」
「……なんで知ってんの?」
「バカ。全部知ってるに決まってるでしょ」
蒼真は、ようやく本当に笑えた。
心の奥から、じんわりと。
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