第5章:うるさい、もう知らない!

土曜日の午後。

夏芽はいつものように近所のカフェにいた。

おしゃれすぎず、うるさすぎず、窓際の席が心地よい。ひとりになりたいとき、ここに来ることが多い。


けれど、今日はひとりではなかった。


「夏芽~、ごめんね、急に。どうしても聞いてほしくてさ」


目の前でにこにこ笑う蒼真は、まったく空気を読んでいない。

アイスカフェラテをぐびぐび飲みながら、嬉しそうに語り続ける。


「昨日、由梨さんと水族館行ったんだけど、すっごく楽しくてさ。ペンギンの前で、なんか、ちょっと“運命感じるね”って話になって……」


「ふーん……よかったね」


夏芽の声は、薄いガラスのように冷たかった。


「でね、あの人、すごく気遣いができて……オレが“寒くない?”って聞いたら、“寒いよ~”ってくっついてきてさ。いや、もう、あれ反則じゃない?」


「……あんたさ」


「え?」


「あんた、どんだけバカなの?」


蒼真の笑顔が止まる。


「……え、なんで?」


「ほんとに気づいてないの? その人、最初からあんたの“人の良さ”を見抜いて近づいてるんだよ。言動が全部、“私、あなたに合わせてます”っていう営業トークみたいに聞こえるの!」


「そんな……何でそんな事、

由梨さんは、ちゃんとオレの話、

聞いてくれて」


「聞いてるフリしてるだけ!!」


周囲の客が一斉にこちらを見る。夏芽は口元を押さえて俯いた。


「……ごめん。でも……もう無理」


沈黙が落ちた。

アイスカフェラテの氷がカランと音を立てる。


「夏芽……どうしたの? なんでそんなに怒ってるの?」


「……あんたが傷つくの、もう見たくないからだよ!」


抑えていた声が、にじみ出た。


「何回も、何回も、騙されて、捨てられて、それでも“信じてたのに”って落ち込むくせに……なんで私が何言っても、あんたには届かないの?」


蒼真が黙る。


「私はね、ずっと隣にいた。何度だって言おうとした。でも、あんたはいつも、別の誰かを見てる。都合よく励まされて、都合よく笑って……」


夏芽の手が、震えていた。

もう涙が出そうだった。


「……もう、知らない」


小さな声でそう言って、夏芽は席を立った。



帰り道、視界がぼやけるほど涙が溢れていた。

心の奥が、裂けたように痛かった。


(私、こんなに、あいつの事好きだったんだ)


ようやく、自分の気持ちに名前をつけた。

けれどその瞬間、それはもう届かない気がした。



蒼真は残されたカフェの席で、手元のカフェラテをじっと見つめていた。

夏芽の言葉が頭から離れなかった。


「ずっと隣にいた」「届かない」「もう、知らない」


(……オレ、なにやってたんだろう)


このとき初めて、

彼の“優しさ”の限界と、“大切なものの喪失感”が、同時に心に迫ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る