第9話 沈黙のなかの、やさしさ


最近、音楽室にいても、落ち着かない。

目を閉じても、クラリネットの音がまっすぐ伸びない。

理由は分かってた。

いや、ほんとはずっと分かってた。

同じクラスの親友、早坂裕香と、うまく話せなくなっていること。

それがずっと、私の心をじわじわ蝕んでいた。

裕香は吹奏楽部じゃない。

いつも下校が早くて、学校の帰り道でばったり会うか、LINEでつながる関係だった。

でも、近頃はそのLINEの既読も遅くて、返事も短い。

「どうしたの?」って聞く勇気がなくて、

気づかないふりをしていた。

でも、ある日の夕方。

音楽室の前の廊下で、とうとう鉢合わせた。

「あ、真悠…」

「……裕香」

「最近、なんか避けてる?」

「そっちじゃないの?」

思わず返したその言葉が、鋭くて、私自身も驚いた。

「私が避けてたのは……真悠が、何も話してくれないからだよ」

「話してるよ」

「話してない。全部“だいじょうぶ”って言って、強がってるだけじゃん」

心がぎゅっと縮こまった。

それは、私自身がずっと分かっていたことだったから。

「……私だって、つらいの。誰かにとられるの、怖いの。

 また妃芽に……比べられるの、やなんだよ」

「じゃあ、なんでそれを言わないの?」

裕香の声は怒っているというより、少しだけ寂しそうだった。

その場に立ち尽くす私の視界の端に、誰かの背が見えた。

——荒垣峻太郎。バスケ部のユニフォームを着た彼が、体育館から戻ってくるところだった。

彼は、私と裕香のやりとりを見ていたけど、何も言わなかった。

ただ、すれ違いざまに小さく言った。

「……本音、言っていい人って、ちゃんと見たほうがいいよ」

その声は風のように通りすぎたけど、妙に心に残った。

その夜、私はLINEを開いて、

震える指で裕香にメッセージを打った。

「私、怖かったんだと思う。嫌われるのも、面倒くさいって思われるのも。

 本当のこと言って、それでいなくなるのが一番怖かった」

「……いなくなるわけないじゃん。

 でも、何も言われないまま勝手に遠ざけられるの、こっちも傷つくよ」

「ごめん。……ありがとう」

気づけば、画面がにじんでいた。

そして、その翌日。

私は廊下で荒垣峻太郎に頭を下げた。

「昨日……ありがとう」

「別に。言いたかっただけ」

それだけ言って、彼はいつものように無表情で通り過ぎた。

でも、不思議と、あたたかかった。

その日から、峻太郎と連絡を取り始めた。

ある日の夜、真悠がスマホを握りしめている。

画面には荒垣くんからの未読メッセージがひとつだけ。

「明日の練習、いつから?」

それが1週間ぶりの返信だった。

真悠は思わずため息をつく。

「なんでこんなに返事遅いんだろう…」

翌日の放課後、校庭の端で偶然会った二人。

荒垣くんは無表情でボールを手にしながら言った。

「吹奏楽部、今日はどうだった?」

短い一言に、冷たさが滲む。

真悠が答えると、荒垣くんはすぐに背を向ける。

「ふーん、無理すんな」

真悠はその背中を見つめて、胸がざわつく。

彼の気持ちは読めない。

それでも真悠はスマホを握りしめながら、また荒垣くんの返信を待つ。

たまに届く短いメッセージに一喜一憂し、複雑な感情が胸の中で絡み合うのだった。

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