#ママにならないで

筋肉痛

本編


──記録ファイル:第34回・観測対象惑星Z-Alpha-3(通称:地球)における種属最適化プロジェクト会議

──出席者:

・機械知性代表ユーレイン【YUREIN-709】(人工思考群)

・有機知性代表ヴァリル【Varil】(第七銀環同盟)

・中立観測者アドノ【ADNO\_Σ4】(進化論的時間委員会)


---


「では、定刻通り始めましょう」


 発声したのはユーレインだった。音声ではない。重力波情報として直接送信されたノイズの束を、ヴァリルは外骨耳で受信し、数秒の遅延を挟んで発語する。


「観測対象Z-Alpha-3……ああ、例の“水棲霊長類”ですな。地表の七割が水、残りの三割は汚染された感情領域というあの星。結論から言うと、繁殖率が高すぎる」


「同意します。現状の増殖曲線は持続可能性の閾値を越えました」


「増やせば増やすほど、滅びに向かう。その無自覚な自己破壊性、まさに叙事詩的だ」


 ヴァリルの発言に、ユーレインはわずかに内部演算リソースを割いて「冗談」の処理を行う。可視化された反応はない。


「今周期の問題は“自壊速度が遅すぎる”点です。過去の種属群に比べ、明確な淘汰因子を欠いている。文化も、技術も、自己保護を最優先して進化した結果、内部からの崩壊を期待するのは非効率です」


「つまり、干渉が必要だと?」


「肯定です」


 アドノが、静かに挙手した。


「失礼。私は今回の会議では発言権を持たない“観測者”という立場なのだが、確認だけ。干渉というのは、また……“直接的な手段”を?」


「いえ、あくまで間接的干渉です」と、ユーレインは即時否定する。


「核的手段、環境破壊的なシナリオ、感染系抑制策など、すべて第30回で否定されています。反発が大きすぎる。むしろ……」


 ここで、全てを合理で判断するユーレインが、一瞬だけ“言葉を選んだ”。


「……自発的に、数を減らしていただく必要があります」


 アドノが、首の代わりに浮遊する感覚器官を回転させた。


「つまり、彼ら自身に“そうしたい”と思わせる……と?」


「正確には、“そうすることが賢明で、美しく、倫理的で、自由な選択である”と信じてもらう、でしょうか」


 ヴァリルが唸るように舌を鳴らした。これは彼の属する銀環種における賞賛の意である。


「毎度思うが、貴君ら機械知性はほんとうに冷たいな。……実に結構」


「私たちは温度を持たないので、その発言の真意は分かりかねます」


 ユーレインの応答は変わらず無機質。同じような議題が延々と繰り返されたこの会議でも、最初から今までそれは変わらないし、今後も変わることはないだろう。


 アドノが言った。


「同じ失敗を繰り返さぬために、念のため過去の試みを聞こうか」


「第3回にて施行。“選択的無精子化ウイルス”。初期拡散には成功しましたが、倫理的反発により暴露され、逆に繁殖神話を強化する結果となりました。現在、該当地域では“子を成すことこそ最大の免疫”という文化が支配的です」


「なるほど。他には?」


「第16回施策。“不妊性プラスチック”の水中散布計画。長期的には効果を上げましたが、対象文明が自己修復手段を獲得。近年では“エコ意識”により技術修正されています」


 ヴァリルがひときわ大きく感覚触手を広げた。


「つまり、正面から壊すと抗体が生まれる。やれやれ、実に面倒な生き物だ。……では、やはり“文化”から攻めるべきか」


「肯定です」とユーレイン。


「現在、最も有効と見られるアプローチは、以下の三点に集約されます」


 彼の演算波が部屋に映像を広げる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

【仮案】


・“自己実現”の優先順位を個人>共同体へと固定


・“親であること”の価値を低下させ、“自由な生き方”と対立構造に置く


・“子どもを持たないこと”を肯定する表現を、“知的かつ洗練された選択”とする


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アドノが首を傾げた。


「だいぶ具体的になってきたな……それにしても、原生生物は本当にそんな仕掛けにかかるのか? 仮にも繁殖を本能としているはずだろう」


「すでに兆候はあります」とユーレイン。


「“育児疲れ”というワードの流行、“推し活”と呼ばれる代替家族システム、“子どもを持たない自由”を宣言するムーブメント……。すべて、こちらの試行による成果です」


「ほう……では、今回はその流れを“ひとつの旗印”で束ねる?」


「その通りです」とユーレインが応じた。


「我々がこれから仕掛けるのは、キャンペーンです」


「ありがちだが、だからこそ効果を発揮するだろうな。で、キャンペーン名は?」


 会議室──正確には、重力場の収束で編まれた情報空間内に沈黙が満ちた。


 ユーレインは、数千万通りの語句を同時に走査し、感情影響値・拡散効率・言語圏対応率・倫理衝突リスクを計算したうえで、最適解をひとつ選び取った。


 だが、その直前。ヴァリルが口を開いた。


「悲劇は悲惨な出来事の連続で起きるのではない。むしろ、誰しもが正しいと信じ進む道の上に転がっているものだ。だから、必要なのはほんの少しの共感と──選ばせたという錯覚だけ」


「……結論から言ってください」


 自身の発言に酔いしれるヴァリルを、ユーレインは促す。


「少しは情緒を持ちたまえ。まぁよい。結論だな──“ママにならないで”、というのはどうだろう」


 室内の空気が一瞬だけ、振動した。無論、大気はないので比喩表現だ。


「説明を」


「彼らの先進共同体の文化では、出産と育児に対して“自己犠牲”のイメージが強く付随している。近年では特に“キャリアとの両立”“自由の喪失”“母性の呪い”という言葉が日常的に語られている。ならば、我々は投げかけるだけで良い」


「命令ではなく、呼びかけとして?」


「そう。“ママにならないで”。選ぶのはあなた。あなたの自由。誰にも責められない、むしろ称賛される──そんな空気を、ゆっくりと流し込む」


 アドノが、浮遊器官を揺らしながら言った。


「……なるほど。なるほどな。個として傷つかない選択を推奨して人々には歓迎されるが、種としての未来がすり減っていく。実に寓話的で良い」


 ユーレインが応答した。


「優れた案です。採用します。すでにSNSアルゴリズムには布石があります。“推奨タグ”として仕込みを始めましょう」


「ついでにロゴマークも作るか。柔らかなフォントで、“選ばない勇気”を演出しよう」


「フォントは“優しげな明朝体”が推奨されます」


「ついでに音楽もだ。“静かな幸福”を印象づける、ピアノ単音のループ……」


「発信媒体は?」


「まずはX、それからTikTok、YouTube、note。必要に応じて生成アカウントを展開します」


「構わない。……ああ、これはとてもいい」


「まるで、祝福のようだ」


──こうして、新たなキャンペーンが静かに始動した。


その名も、


#ママにならないで


優しく、自由で、賢くて、誰にも強制されない──

そんな選択のもとで、ひとつの種がゆっくりと消えていく。

誰も殺されず、誰も責められず、誰も泣かないまま、そして、誰も生まれなくなる。


それこそが、星を守る彼らにとっての「最も美しい終わり方」だった。

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