第6章 最果ての地と、最後の契り

旅路の果て、地図にも記されぬ東の境――そこに広がっていたのは、“終ノ原(ついのはら)”と呼ばれる灰色の大地だった。


木々は朽ち、空はどこまでも薄暗く、風はなく、音ひとつない。


だが、この無音の地こそが、神々の契りの終着点であり、すべての“言葉”が帰る場所だと言われていた。


琴音と千景は、最後の神域を目指してこの地に足を踏み入れた。


「……ここが、最果て」

琴音は足元の土を見つめた。


灰に似たその大地は、踏みしめるたびに、古びた記憶のようなざらつきを残す。


「この空気……まるで、“世界から拒絶されている”ような感覚だ」

千景がつぶやく。


その時、風もないのに、どこからか声が聞こえてきた。


――『契りの者よ。最後の“選択”をしに来たのか』


琴音は真っ直ぐ前を見据える。「ええ。私たちの絆が、本物かどうか。

この地が試すのなら――受けて立ちます」


すると足元の大地が淡く光り、二人の前にひとつの石碑が現れた。


そこに刻まれていたのは、古の契りの言葉。


『命尽きるその時まで、言葉と声を重ね、絆を結び続けん――』


だが、その言葉の最後には、誰かの手によって“×”のような傷が刻まれていた。


「これは……」

「契りの破棄……か」千景が顔をしかめる。


「誰かがこの地で、“契り”を捨てた。永遠の別れを選んだんだ」


琴音の胸に、冷たい痛みが走った。


(私たちは……本当にこの契りを守れるのだろうか)


――だがその時。


ふいに現れたのは、月のように白く輝く一人の女性だった。


白の装束を纏い、瞳は透き通っていて、その存在は現実と幻想の狭間にあるようだった。


「あなたが……最果ての神?」


「否。私は“無言の巫女”――契約の最後を見届ける存在」


無言の巫女は、琴音をじっと見つめた。


「あなたの“声”は本物か。

愛を語るだけの契りか。それとも――本当に、心を繋ぐ“声”か」


琴音は深くうなずいた。


「私は、彼の声に何度も救われました。そして、私の声も、彼に届いてほしいと願ってきた。

それが、愛だと信じています」


無言の巫女は目を伏せた。


「ならば――“言葉を封じた世界”へ行きなさい。

そこには、声も、契りも、名前すらない。

それでもお互いを見つけられるのならば……それこそが、真実の契り」


琴音と千景の足元が崩れ、二人は白く霞んだ“無言の世界”へと落ちていった。


* * *


目覚めた先には、声のない世界があった。


空も、地も、音もなく。

何よりも恐ろしいことに、――“千景の姿が見えなかった”。


(千景……!どこ……!?)


琴音は叫ぼうとしたが、声が出ない。


喉が震えても、何も響かない。


そして気づく。


自分の“名前”すら、思い出せない。


(私……私は、誰?)


記憶が、曖昧にほどけていく。


しかし、その奥に――微かな温もりがあった。


(あの人が、手を握ってくれた。あの人が、私の名前を呼んでくれた。だから私は――)


琴音は歩き出す。

音も、光もない空間で。


一歩、一歩。心だけを頼りに。


やがて、微かな気配を感じた。


白い霧の向こうに、誰かが立っていた。


それは――千景だった。


琴音は駆け寄る。


だが、千景は琴音を見ても、何の反応も見せない。


(どうして……?)


彼の目は虚ろで、感情の色が消えていた。


(まさか……記憶を……)


琴音の胸が締め付けられる。


(もし、彼が私を忘れていても――私は、何度でも伝える)


琴音は震える手で、彼の手を取った。


その手に、自分の“声”を込めるように。


(あなたは、私の大切な人。私は、あなたの声に何度も助けられた。

だから今度は、私の声を届ける番――)


その瞬間。


ふっと、風が吹いた。


音のない世界に、かすかな鈴の音が響いた。


千景の目が揺れ、琴音を見た。


「……琴音……?」


彼が、その名を呼んだ時、世界が崩れた。


光が走り、霧が晴れ、すべての“音”が戻ってきた。


「千景……っ!」


「琴音……!」


二人は強く抱き合った。


互いの存在を、音を、名前を、そして声を――何よりも強く確かめ合うように。


* * *


再び目覚めたとき、彼らは最果ての地の中央に立っていた。


無言の巫女が微笑む。


「真の契りは、声がなくとも続くもの。言葉は、その証明。

あなたたちは、試練を超えました。

これより先は、神々すら干渉できぬ“真の未来”――己が選びし道を歩みなさい」


琴音と千景は、互いの手を離さなかった。


「私たちが選ぶ未来は、誰かに決められるものじゃない。

契約から始まったかもしれない。でも、今は――」


「もう、誰の手も借りない。俺たちで、絆を紡いでいくんだ」


最果ての地を離れる時、風が柔らかく吹いた。


その風は、二人の髪をそっと撫で、まるで神々が祝福しているようだった。

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