マンマミーヤ!

micco

間々にならないで!

 あーもうなに? この状況、面倒くさいな!

 いま私の目の前には、式場も仮予約済みの婚約者の和くん、わたしのママ。そして隣のお兄ちゃんと、ママの彼氏がうちの狭い借家リビングを囲んで座っている。

 そしてテーブルの上には婚姻届け。不機嫌なママがそれを見下ろしてる。

 さっきからべそべそ涙ぐんでるのは、隣の三つ上のお兄ちゃんだ。

「ってか、実弥は俺の嫁さんになるんじゃなかったのかよ……。ショックだ、裏切られた気分だ。だからせめて俺は実弥とバージンロード歩きたいんだ!」

 おかしいって。でもツッコむ間もなく、ママの彼氏の山ちゃんが、

「いや立場的には俺の役目だ。な、実弥、任せてくれ」

 と、正義のヒーローみたいなセリフで目をキラキラさせた。だけど言った途端、ママが山ちゃんをびたんと叩いた。

「なぁに言ってんの。あたしはまだ、実弥と和臣さんの結婚には反対なんだからね!」

「ハァ? さっきは賛成してるって言ってたじゃん!」

「言ったわよ。言ったけど、やっぱりだめ。許せなくなってきたの」

 わたしは椅子を鳴らして立ち上がった。

「ちょっと! もう式場も決めて、相手の親にも先週話してきたんだよ? ママにもちゃんと毎回連絡してたじゃん。今さらやめてよ」

 バァンとわたしはテーブルを叩いた。するとママも負けじと立ち上がって叩く。これは我が家のケンカのゴング。

「うるっさいわね! 女手一つで育てたひとり娘を、なんだってそんな人に嫁にやらなきゃいけないのよ」

「和くんのなにが悪いのよ!」

「和臣さんはねぇ!……いい人そう、だけど……」

 ママの視線は私から勢いよく逸れ、和くんに刺さった。でもママお手製のレモンケーキを頬張るその横顔にはなんの緊張感もなくて毒気をすっぱ抜かれたらしい。

 ママが作れる唯一のそれは、私が十歳のときに気まぐれでつくったものらしく「あんたがあんまり美味しい。また作ってっていうから」と覚えたらしい。まぁいつかレシピを聞かないとなぁってくらいには美味しい。

 どうやら和くんは気に入ったみたいだ。

「これ結構すっぱいんですねぇ。でもすごく美味しいです」

 もぐもぐしながら目尻を下げている。和くんのこういうところ好きなんだよな。わたしがそれを飽きもせず眺めてるのに焦れたのか、ママが口を開いた。

「あのね和臣さん、小林家の気持ちとしては、やっぱり和臣さんにお婿に来てもらいたいのよ」

 だって、とママが眉を寄せた。でも言葉はすぐに続かなくて、「なんでそんなに反対になっちゃったの、百合ちゃん」と山ちゃんが小突いた。

「……だって名字が変わったら、『間々実弥』になるのよ。ママミヤ! 絶対変。アバの曲じゃないんだから。これから一生その名前になっちゃのよ、かわいそうじゃない!」

 あー、うん。わかる。わたしも変だと思ってたよ、ママ。


 *


 ママとパパはわたしが九歳のときに離婚して、そこから二十四になるまで、わたしとママは二人暮らしだった。就職して会社の近くに家を借りると、ママは山ちゃんと付き合いは付き合いはじめた。それまで彼氏のかの字も匂わせなかったので、わたしは冗談じゃなくどっひゃーと驚いた。

 それで今、わたしは二十九歳。別に三十超えたってなにがどうなるわけでもないけど、なんとなく区切りの年の前に決めとこうかーみたいなノリで和くんと結婚することにしたのだ。

 それで和くんと七夕の今日、婚姻届けを出そうと思ってママの家に寄ったところだった。すると最近同棲を始めたらしい山ちゃんが帰ってきたと思ったら、隣のお兄ちゃんがお中元のおすそ分けを届けに来て――なぜか誰が一緒にバージンロードを歩くか論争の流れで結婚反対の憂き目にあっている。


「だって和臣さんは次男でしょう? 別にいいじゃない。小林和臣……ほら、俳優みたいな名前でこっちの方がいいわよ」

 ママが鼻にしわを寄せて言う。

「お義母さん、お言葉ですが僕の『間々』という名字は、その昔、間々の入り江と詠われた」

「あーストップ! 和くん、ほら見積りもらってきたんだよね。あれママに見せようよ」

 和くんが自分の名字の由来について語り始めるとそれはそれは長いのだ。実は和くんも名字のことではずい分からかわれた過去があるらしい。それが嫌で古典研究にのめり込んで今では高校国語教師になったのだから、人生とは分からないものである。

 式場からもらってきた見積もりは、ざっくり三百万。ママが「ひとり娘の結婚式よ。わたしの貯金に任せなさい」と言って、チョキを出したので、おそらく予算は二百万だろうと踏んで、両家で百五十ずつの計算。

 わたしとしてはレストランウェディングの会費制でもよかったけど、ママの意気込みに乗っかった形だった。

「……ちょっと高くない? ねぇ、こんなもんなの?」

 見積書を持つ手が震えている。安すぎたかな。

 隣のお兄ちゃんが「俺ん時はコロナ前だったからなぁ。百人呼んで四百万だったぜ、おばさん」と、紙をのぞきこんだ。お兄ちゃんはすでにふたりの子持ちだ。

「実弥、あんた何人呼ぶつもりなの?」

「わたしと和くんの職場は呼ばなきゃだから、合わせて三、四十人くらい?」

「うわ、たっけぇ。今時は写真撮って終わりにするってのも多いのも、うなずける話だなぁ」

 ママがちろっとわたしをみた。弱気になってるサインだ。

「……別に無理して披露宴しなくてもいいよ」

 思わずわたしは和くんをちろっと見上げた。

「そうですよ、お義母さん。僕たちは家族だけで挙式したっていいんですから」

 この阿吽の呼吸助かる。やっぱり結婚するならこの人がいいなぁ。

 なんて思っていると、ママがじとっと目を吊り上げていた。

「だめよ、今は実弥が幸せだってみんなに見てもらいたいじゃない」

 ママは、離婚して十五年も狭くて古いアパートにわたしを縛りつけたことを後悔してる節がある。わたしは気にしてないのに。


 なんとなく場がしぃんとなった。

「……じゃあ結局バージンロードは誰が歩くんだ?」

 そこじゃないだろ。

 またしぃんとなる。

「三百万だもんなぁ」

 山ちゃんやめてよ、お金の話は。あ、でもわたしが迂闊に見せちゃったからかぁ。

 これは式場も即キャンセルかとため息が出かけたときだった、和くんがみんなをのんびりと見渡した。そしてママに笑いかけた。

「お義母さん、僕も実弥ちゃんがきれいなドレスを着てるところが見たいなぁと思ってます。だから、挙式はしたいんです。式にお友人も職場の人も呼べますし。でも披露宴は無理しなくていいかなぁと思ってたんです」

 でも。ママのつぶやきは小さい。

「おう百合ちゃん。ふたりの好きにさせたらいいんじゃねぇか?」

「そうですよおばさん。そんなに落ち込まないでくださいよ」

 山ちゃんとお兄ちゃんが慌てている。こんなに弱ったママは見たことがないんだろう。

 また沈黙が落ちた。

 リビングはレモンケーキの香りでいっぱいで、項垂れたママの左巻きのつむじがこっちを向いていた。お金がなくて私立大学に行かせてやれないと、ママが泣いた夜を思い出す。レモンケーキは本当は、ママが自分のために焼いているお菓子だって気づいたのはいつだっただろう。

「分かったよ、ママ」

 わたしは深いため息を吐いた。わざとらしく。

「ね、和くん。結婚式、やめようか」

「え?」

 和くんが豆鉄砲を食らったみたいな顔でわたしを見た。どっちかというとチャペル式に夢見ていたのは和くんで、わたしはやるなら和装がよかったし。

 ってか、面倒になっちゃった。

 鼻にしわを寄せると、和くんが目をきょどきょどさせた。わたしの心情を正しく受け取ってくれたらしい。うん、一生この人といたいな。

「決めた。式はやめる。婚姻届けも延期!」

 びりぃっとわたしは見積書と、その下になっていたつるつるの紙をひっつかんで破った。

 和くんはがくっと肩を落とした。婚姻届けを昨日書くまで「ママミヤ」になりたくないと突っぱねていたのはわたしも同じなのだ。

「もうさ、こうなったら結婚資金で海外旅行にでも行こうよ。ね、和くん」

 君がいいなら、まぁいいよ。ちょっと涙目の和くんは鼻をすすりながらレモンケーキにまた手を伸ばした。


(了)

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