第5話
「宇津井さーん、大丈夫ですか?」
私は玄関のチャイムを鳴らしながら、声をかけてみた。
その間にも、部屋の中からは何やら籠もったような叫び声が聞こえてくる。
……やっぱり、ゲームだよね? でも、ちょっと心配になるレベル。
もう一度、念のためチャイムを押す。
すると、叫び声がぴたりと止まり、玄関の方へと足音が近づいてきた。
やがて、ドアがゆっくりと開く。
現れたのは、やっぱり——ぼさぼさの黒髪。これで会うのは二度目だ。
「どうしたんですか? 突然叫び声が聞こえたので、心配になって来ちゃいました」
私は彼の顔を覗き込むようにして、やわらかく声をかけた。
「あ……いや、なんでも……ないっす。すんません」
宇津井さんは、目を合わせるのが苦手なのか、視線を泳がせながら頭を下げた。
その姿がなんだか、ちょっとだけおかしく見えてしまって、私は思わず口元を緩める。
「ゲーム、ですよね?」
私がそう尋ねると、彼は一瞬だけ目を見開いて、それから小さくうなずいた。
「……はい。ちょっと、味方がポンコツで鬱で……。あと、下に人が引っ越して来たことを……忘れてて……」
「……なんだ、そういうことなら安心しました。誰かとケンカでもしてるのかと思っちゃいましたよ」
私が笑いながら言うと、宇津井さんは気まずそうに頬をかきながら、ぼそっとつぶやいた。
「……すみません。声、うるさかったですよね」
「まあ、ちょっとだけ。でも、初日から怒鳴り込むのもなぁって思って。心配のほうが先でした」
そう言うと、彼は少しだけ表情を緩めた。
ほんのわずかだけど、さっきよりも顔が柔らかくなった気がする。
「……あの、気をつけます。ほんとに」
そうぼそりといい、彼は一つ頭を下げ、ドアを閉める。
その日はもう、叫び声が聞こえてくることはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、私は朝ごはんを食べながら、のんびりとテレビを眺めていた。
白ご飯にお味噌汁、お漬物、納豆、卵焼きという、ちょっと豪華な和朝食セット。
会話がないのが寂しいけど、こういう朝ごはんをゆっくり食べられるのも、今の生活ならではだなぁ……なんて思っていたところに、スマホが鳴った。
画面を見ると「お母さん」の文字。
まだ引っ越してきて3日目なのに、ほんと、相変わらず心配性だ。
「綾香、アパートの隣にある建物、あれは見てみた?」
電話口から、いつものテンポでお母さんの声が飛び込んでくる。
そういえば、私の部屋のすぐ隣に、10人くらいは入りそうな小さな建物があったっけ。
てっきり公民館か何かだと思っていたけど……。
「あそこはね、前の大家さんが住人の共用スペースとして使ってたのよ」
「引っ越しの荷物の中に鍵が入ってたでしょ? あれで開くはずだから。どう使うかは綾香の自由だけど、掃除くらいはよろしくね~」
「えっ、ちょっと待って、それって——」
「じゃ、私も仕事だから!」
私の言葉を遮るように、ぷつりと電話が切れた。
……相変わらず、言いたいことだけ言って去っていくお母さんだ。
言われてみれば、引っ越しの荷物の中に、見慣れない鍵がひとつ入っていた。
銀色で、少し古びた感じのする鍵。たぶん、あれのことだろう。
「まあ、せっかくだし……ちょっと覗いてみるか」
私は朝ごはんの食器を片付け、軽く身支度を整えてから、掃除道具を片手に鍵をポケットへ入れ、外に出た。
朝の空気はひんやりとしていて、肌に心地いい。
スニーカーの足音をコツコツと響かせながら、隣の建物の前に立つ。
近くで見ると、やっぱりちょっとした公民館みたいな造りだ。
木製の引き戸に、すりガラスの窓。どこか懐かしい雰囲気がある。
ドアノブに鍵を差し込み、ゆっくりと回すと、カチャリと音を立てて開いた。
「……おじゃまします」
中は思っていたよりも広く、天井も高い。
畳敷きのスペースがあり、その奥にはやや大きめの流し台。
一人で使うには、ちょっと贅沢なくらいのサイズ感だ。
壁には古びた掲示板があり、前の大家さんが健在だった頃のものだろうか。
色あせたチラシや、手書きのメモがいくつか貼られたままになっていた。
空気は少しこもっていて、埃っぽい。でも、どこか懐かしくて、落ち着く匂いがした。
「うわぁ……これは、掃除しがいがありそうだなぁ」
私は袖をまくり上げ、気合いを入れて、さっそく掃除に取りかかることにした。
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