第31話 垂涎ものだが間が悪い
やたら嫌ってきている子が、帆艇葵に心酔していた。
まあよくある話ではあるが、正直目眩がするくらいの変わりようで、頭がついて行かない。
と、今まで涼城しろを宥めていた葵が、一樹の方へ視線を向けた。
「あ、あのイヌガミさん」
先程少しだけ見せた、不安そうな表情に、一樹はじくりと胸が痛む。
やはり、あのときの配信で、いろいろ辛い思いをさせてしまったみたいだ。
そう考えた一樹は、これ以上葵にこんな顔をさせたくなくて、思いっきり頭を下げた。
「あのときは、ごめんなさい!」
「あのときは、すいませんでした!」
――2人の声がハモった。
「え?」
驚いた一樹が顔を上げれば、葵まで頭を下げている。
「せ、先日即興のコラボ配信になって、そのとき一樹さんに助けていただいたのに、ちゃんとお礼も言わずに逃げちゃって……すごく、失礼なことをしてしまったから」
絞り出すようにとつとつと語る葵さん。
彼女のことだから、ずっと気に病んでいたのだ。あのとき、ろくに会話もせずに別れたことに心を痛めているのは、一樹だけでなかった。
その事実に、一樹はなんとも言えないじんわりとした気持ちになる。
「葵さんが謝る必要なんてないですよ。悪いのは俺の方です。いきなり呼び捨てしたり、身体に触れたり。配信中にやるのは、あまりにも節度がありませんでした」
あんな恥ずかしいシーンを全国に曝け出して、あまつさえイヌ×アオとかいうよくわからないカップリングまで生まれてしまったのだ。
ショックを受けないわけがない。
「そ、そんなことないです! 悪いのは私で……そうだ。私、今日お詫びの品を持ってきたので、受け取ってください!」
「え」
お詫びの品、という予期せぬ言葉に一樹は固まる。
実は、謝る際に精一杯の心を込める、という意味で葵の親友こと里奈からのアドバイスなのだが、それを一樹は知るよしもない。
「こちらです」
そう言って、鞄から取り出したのは可愛らしいリボンでラッピングされた四角い箱だった。見た感じ菓子折とか、そういう感じだろうか?
「き、気にしなくていいのに」
一樹は若干冷や汗を掻きながら応じる。
プレゼントなんて予測していなかったから、バツが悪いというのもそうだが、それ以上に命の危機を感じていたからだ。
具体的には、葵の斜め後ろ――彼女にとっては死角となる位置に、小さい悪魔が立っている。
「葵様から、プレゼント……?」
ごごごご……
そんな音が聞こえそうな迫力で、一樹を睨んでいる涼城しろ。
(こんなもん受け取ったら死ぬ! 魂抜かれる!)
一樹としては気が気ではない。
「あ、あの……ほんとお気持ちだけで結構ですから」
「そ、そんなこと言わずに!」
「いやほんと、受け取るわけにはいきません(命の危険を感じるから)」
「そう、ですか……」
とたん、しゅんとしてしまう葵。
なんだか捨てられた犬を見ているみたいで心苦しいが、ここは心を鬼にするしかない。そんな風に思っていた一樹だったが。
ズゴゴゴゴッ……
なぜだろう。涼城から放たれる負のオーラが増している。
見やれば、歯をギリギリと噛みしめながら、
「葵様からの贈り物をあろうことか拒否? 下等なサルの分際で、恥を知れこのおたんこなす」
(もぉおおおおおお! こいつ俺がどういう対応しても怒るじゃんか!)
理不尽ここに極まれり。
「あ、えと……でも、せっかく用意して戴いたのに受け取らないのも失礼(って死神に訴えられてる)なので、受け取らせて戴きますね」
なんとか引きつった笑いを浮かべながら、一樹はそう口にする。
とたん、しおれた花のようだった葵の顔が、ぱっと明るく花咲いた。
「あ、ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこちらの方ですよ。えっと……開けて良いですか?」
「はい! お気に召せばいいのですが」
不安そうに言うが、こんな美少女から何を受け取ろうが、大抵の男は喜ぶのではないだろうか?
一樹は丁寧にラッピングを剥がし、箱を開ける。
「こ、これクッキーですか? しかもこの形……」
「はい! ハートのクッキーです」
中に入っていたのは、丁寧に並べられたハート型のクッキーだった。
一樹の勘違いなら恥ずかしいところだが、こう、バレンタインデーに本命として貰う感じのクオリティである。
「ず、ずいぶん美味しそうですね。どこのメーカーですか?」
そう聞くと、葵は「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。まさか、この反応――
「じ、実は私が作ったんです。お菓子作りなんてやったことがなかったんですけど、親友が手取り足取り教えてくれて、なんとかここまでできるようになりました!」
自信作です、と言わんばかりのドヤ顔の葵。
なるほど、一瞬売り物と見紛うほどの出来映え。これを料理初心者がやったというのなら、たしかに驚愕に値する。
が、今「凄いですね」と本心を告げる余裕はない。
葵の背後だった。
メラメラと燃えていた。
例の野菜の人がめっちゃスーパーになる感じで、こう髪の毛が逆立って、炎が全身を包んでいた。
「手 作 り? 葵様自らお作りになった、至高の一品? 羨ましい、羨ま死ね、コロスコロスコロスコロス……」
「ひぇ……」
修羅と化した涼城しろの姿に、一樹はもう恐れを通り越してドン引きするしかない。
(おい、運命の神様がいるならよく聞け)
一樹は小さく息を吐いて、空にいるであろう運命の女神に思いをたたき付ける。
女子からの手作りクッキーとかいう垂涎もののイベントを、台無しにすんじゃねぇよこのやろー。
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