第17話 旨味の始まり

貨幣が生まれると、経済が生まれた。


人々は「いま持っているもの」を「まだ持っていないもの」に換えるために動くようになった。

金属の板が人の手から手へ渡り、物の価値が明確になり、流通が加速した。

鉄器や布、食料や装飾品の取引は、見ていて面白いほど活発になった。


「うんうん、いい感じ」


焚き火のそばで腰を下ろしながら、とわ子は頷いた。

ここまで来ると、もう自分があれこれ口を出す必要はほとんどない。

人は仕組みさえ与えれば、勝手に工夫して広げていく。

鉄器があれば、狩りすらも自分の手を煩わせることがなくなった。


文明は、もうとわ子の手を借りずとも転がり始めていた。


かつ丼歴六十年。


今日も捧げものとして、新しい料理が木の器に盛られて運ばれてきた。

焼いた根菜と干し肉の煮込みに、野草の葉を添えたもの。

食べなくても生きられる。

けれど、一口は口にするのが習慣になっていた。


ひと匙すくって食む。


「……かつ丼には程遠いな」


でも、最初にこの村に来た頃の、素焼きの塊肉よりはずっと複雑な味がする。

人間は、工夫するものだ。


器を置いて、空を見上げる。


――最近、かつ丼づくりのほうを進めてなかったな。


思い返してみれば、米も豚肉も確保した。

問題は――味だ。


「……旨味……出汁が欲しい」


調味料を整えれば、もう少しあの味に近づけるかもしれない。


「塩……海から取れるかな」


頭の中で工程を組み立てる。

浜に行って海水を汲み、煮詰めて塩を取る。

行程は面倒だが、不可能ではない。


「旨味は……グ……なんとか酸……たしかキノコ? 昆布?」


湿った森を探せば、出汁のもとになるキノコは見つかるはずだ。

昆布は……生えている海域を探さないといけない。

どちらも養殖までいくと相当の時間がかかるだろう。


「胡椒……胡椒か……」


眉を寄せて、ため息を吐く。

昔、胡椒はそれだけで貿易が栄えるほど貴重だったと記憶している。

あの香りは、野生ではまず手に入らない気がする。

あれを運んだ船も、もうどこにも残っていない。


「……生えてるのかな……」


森に入れば香るようなものではないし、もし見つからなければ別の香辛料で代用するしかない。

それでも、少しずつ近づけるはずだ。


「……まぁ、時間だけはあるしね」


焚き火が静かに揺れる。

周囲では人々が取引を交わし、貨幣を手に、笑い声を交わしていた。


とわ子は立ち上がり、髪を結い直した。


次は調味料だ。

旨味と香りを整える。

それができれば、いよいよかつ丼の形が見えてくる。


またやることが一つ決まった。


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