第7話 文明の歯車

稲穂が黄金色に実った年、とわ子はじっと手にした一束を見つめていた。

数年前なら、こんな量を収穫できる日が来るとは思っていなかった。


「さて……脱穀、だけど」


この工程は、稲作の初期から何度も試してきた。

小さな量なら、杵で突き、殻を払えば十分だった。

土器に米と水を入れ、火にかけるだけで炊ける。

数回の失敗を経て、すぐにそれなりに食べられるご飯を作れるようにはなっていた。


けれど、いま目の前に積み上がる大量の稲は――どう見ても手作業には不向きだった。

人力だけで全部脱穀しようとしたら、季節が変わるほど時間がかかる。


「……そろそろ、動力……いるよね」


とわ子は唸りながら視線を川へ向けた。

流れは緩やかだが、ずっと止まらない。

これを利用すれば、人間の労力を減らせる。


「水車……作ろうか」


言葉を発した瞬間、村人たちが緊張したように姿勢を正す。

かつ丼神の新たな神託だと思っているのだろう。

それはそれで都合がよかった。


水辺に杭を打ち、木を組み、川の流れに羽根板を当てる。

何度も調整して、ようやくくるくると回転する姿を見たとき、とわ子は思わず口元を緩めた。


「……回った。やっと……」


水車は脱穀機を駆動し、簡単な粉挽きもできるようになった。

回転する軸から木工用の旋盤を作り、村人に扱いを教えると、道具の精度もぐんと上がった。

石を削るのも、木を整えるのも、前よりずっと簡単になった。


土器も改良が進んだ。

厚みを整え、強度を増し、形を統一する。

保存食を作り置きできるようになると、当然、別の問題も起こる。


倉庫に侵入する獣や鼠だ。


「よし、じゃあ……高床式倉庫。ネズミ返しも付けるか」


設計を描き、指示を飛ばす。

村人たちは最初は不安そうに木を組んだが、出来上がってみれば確かに食料は守られた。


とわ子は完成した倉庫を見て、肩の力を抜くように小さく息を吐いた。


「……うん、これで大丈夫」


照れくさく笑いながら、とわ子は倉庫を見上げた。

文明は、意外と頭の奥に残っているものらしい。


そうして、さらに数年が過ぎた。


水田が拡がり、収穫は安定し、保存も効くようになった。

腹を満たすだけで精一杯だった村に、余剰と時間の余裕が生まれた。


人々は少しずつ、装飾を施した土器を作り、紐で模様を編むようになった。

子どもが文字のような印を真似て土に描く姿を、とわ子は焚き火のそばで眺めた。

遠い昔、人類がこうやって言葉を生んだのだろうかと、ふと思った。


――食料の安定は、文化を生む。


その当たり前を、いま目の前で見るのは思っていたより面白かった。


「……さて」


とわ子は腰を上げ、白飯の次を思い浮かべた。

かつ丼はまだ、遠い。

次は――肉だ。


文明は進んでいく。

全ては、あの日のかつ丼のために。

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